南の島のトヨタ2000GTレプリカ
バリ島の業者さんがこさえているトヨタ2000GTのレプリカは、フレームまでオリジナルと同じ造りに拘った力作なれど、残念ながらインドネシア国内でしか販売しないとのこと。
知人が工房を訪れて実車を見分していますが、出来はとてもよいらしいですよ。
バリ島の業者さんがこさえているトヨタ2000GTのレプリカは、フレームまでオリジナルと同じ造りに拘った力作なれど、残念ながらインドネシア国内でしか販売しないとのこと。
知人が工房を訪れて実車を見分していますが、出来はとてもよいらしいですよ。
表題の件について、今年の5月14日と15日に当方のXに投稿しました。
興味のある方は当該ポストをご覧になってみて下さい。
5月14日のポスト
https://x.com/mizma_z/status/1922656979173978509
※「車体の一部だけが残っている車両(4号車)」というのは、甦れヨタハチ (トヨタスポーツ800)さんで紹介されている、映画「ヘアピン・サーカス」の劇中で使用されたトヨタ2000GT(MF10~10004号車)のことです。
5月15日のポスト
https://x.com/mizma_z/status/1922985141250437158
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このエントリーは12月2日午後10時に書いています。ということは、今年も残すところあと29日と数時間。
2021年も、もう少しで終わってしまいます。
結局今年も新型コロナに振り回された一年となりましたが、個人的には嬉しい出来事がありました。
それは、長年探していた本を手に入れられたことです。↓
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本の名前は「いつの日も遠く」で、著者は安川 力氏。
安川氏はヤマハ発動機株式会社(以下、ヤマ発)のヤマハ技術研究所にあった「安川研究室」の室長で、ヤマ発が自主開発した四輪車YX-30の開発責任者を務め、ヤマ発が日産やトヨタと業務提携した際にはA550Xやトヨタ2000GTのヤマ発側の開発責任者を担当された、ヤマ発の四輪事業に関する実情の全てを知る重要なキーマンと言えます。
「いつの日も遠く」はそんな安川氏が執筆した自叙伝で、氏が携わった仕事について事細かに記録されています。非常に貴重な資料です。
ただ、「いつの日も遠く」は私家版として制作されたものゆえ、印刷された部数が少なく市場にも流通しなかったため、手に入れるのはまず無理だろうと半ば諦めていました。ところが今年、ひょんなことからこの貴重な本を入手することができたのです。
そして、"ボクの宝もの"となった訳です。
因みに安川氏は今年の7月に逝去されています。歴史の生き証人が失われたことを、非常に残念に思います。
「いつの日も遠く」はweb版がヤマ発の公式サイトで公開されているので、興味のある向きは探してご覧になってみて下さい。
"ボクの宝もの"その2。
ブログを長くやっていると時には思いがけないことが起こります。
私にとって今までで一番のサプライズは、故ポール・フレールさんの奥様のシュザンヌ・フレール(Suzanne Frere)さんからお手紙を頂いたことです。
自筆のお手紙にはなんと!、ポール・フレールさんの生写真が同封されていました。
しかも、そのお写真はシュザンヌさんがお気に入りだったもので、ホンダの上原さん(初代NSXの開発責任者)とお会いになった時には持参して、上原んにお見せになったとのことです。↓
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左が頂いた生写真、右はホンダの公式サイトに掲載されたシュザンヌさんの画像です。
シュザンヌさんが手に持っておられる写真と、私のPCモニターの前に置かれている写真は全く同じものでしょ?
写真の裏側には"5・1959"という数字とプリントした写真店(?)の店名や住所などかスタンプされています。
数字は写真をプリントした年月でしょうか。写真の裏面は全体的に黄ばんでいて、長い年月の経過を感じさせます。
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ポール・フレールさんの奥様から頂いたポール・フレールさんの生写真。これも大事な大事な"ボクの宝もの"です。
どこの馬の骨とも知れぬ日本人の私にお手紙と写真を送って下さったシュザンヌさんは、残念ながら既に故人となってしまいました。
世の無常を感じずにはいられません。。。
(追記)
シュザンヌさんからお手紙を頂くことになった経緯については、↓こちらのエントリーをご参照下さい。
https://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/cr--9155.html
"ボクの宝もの"はまだあります。
これは↓、チームトヨタのキャプテンを務め、トヨタスポーツ800やトヨタ2000GT、トヨタ7を駆ってレースで大活躍した細谷四方洋さんから頂いたトヨタ2000GTのモデルカーで、このモデルカー自体も"ボクの宝もの"なのですが、
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モデルカー以上にお宝なのは、細谷さんに直接執筆して頂いた回想録の原稿です。
細谷さんを取材して書かれた書籍や記事は数多ありますが、細谷さんが自ら綴って下さったトヨタ2000GTの開発記やレース活動の記録は、当ブログでしか読めないものです。
細谷さんが慣れないPCを使ってご苦労をされながら書いて下さった原稿は、"ボクの宝もの"以外の何物でもありません。
長くなるので、これで最後にします。
最後に紹介する"ボクの宝もの"は、初代フェアレディZのエクステリアデザイン(ファイナル案)を担当された田村久米雄さんが、当ブログのために書いて下さった原稿です。
頂いた原稿の殆どはブログで紹介済みですが、諸般の事情から未公開になっているものもあります。
それが大変申し訳なくって、己の力のなさに切歯扼腕する次第です。
田村さんも残念ながら亡くなっており、もうお話を伺うことは出来なくなってしまいました。
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これは田村さんが描いたS30Zのイラストです。もちろん頂きものです。
こんな泡沫ブログでも長年続けていると色々な出会いがあり、全く無名の私のような人間でも、著名な方達と交流することができてしまうのですからインターネットって凄いですね。
コンピューターは私にとって、まさに魔法の箱です。
ただ、元々ブログは文章を書く練習のつもりで始めたものでして・・・、でも長年ブログを続けても文章力は全く向上せず。
本来の目的は何年経っても果たせない、ダメな"ボク"なのでした。orz
オールドタイマー誌の付録カレンダーにトータス306(280A I型の1号車)の写真が掲載されているじゃないですか。
眼福、眼福。
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ところで、1971年5月に開催された「全日本鈴鹿1000Km自動車レース 」にトータス305という名前の車両が出場していますが、これは残念ながらトヨタ2000GTではありませんでした。↓
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1971年1月に開催された「全日本鈴鹿300キロレース大会 」に出場したシロキヤ6は、トータス306そのものだったんですけどね。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1917&window_flg=1
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ノスヒロ誌に取り上げられて有名になったレース仕様の2000GTの廃車体はトータス306なんじゃないか、と一部で囁かれているようですが、トータス306は280AのI型、廃車体はII型なので、廃車体がトータス306ということはあり得ないですね。
残念ですけども。
(2023/09/01 追記)
"トータス306は280A/I型の1号車(=スピードトライアルカー)ではない"という意見もあるようですね。私がトータス306を280A/I型の1号車と考える理由は以下の通り。
トータス306は助手席側のリトラクタブルライト部分が四角いパネルで塞がれています。これは過去にここにエアインテークが取り付けられていた証拠で、この特徴はトライアルカー(280A/I型1号車=日本GPの前に火災事故を起こした車両)と一致します。311S以外でレース仕様に仕立てられ左のリトラにエアインテークが取り付けられた280A/I型は1号車しかないので、トータス306=スピードトライアルカーと考える次第。
280A/I型はフロントフェンダー周りの形状や、ドアアウターハンドル(クラウンから流用したフラップタイプ)、角の部分が尖ったフロントターンシグナルランプなどがII型以降のモデルと異なるので容易に見分けることができます。
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390Aの開発が関東自工で始まったのは、トヨタ2000GTが発売される直前の1967年(昭和42年)3月頃で、ちょうどその頃、日産ではのちにフェアレディZとして結実するマルZ計画が進められていた。
両車の共通点は、アメリカ市場をターゲットにしていたことで、390Aの販売価格は米国で3,500ドル(国内100万円)、S30Zの販売価格は米国で3,000ドル(国内100万円)とほぼ同価格に設定されていた。
片や採算度外視の手作り工芸品、片やマスプロダクション製品として企画された大量生産車。この二車が同価格帯で販売される可能性があったことは、意外な事実といえよう。
以下は、S30Zのファイナルデザイナー田村久米雄さんから頂いたメール。
マルZ計画時の設定価格のソースと、2000GTとS30Zを比較した際に感じた氏の率直な所感が伺えます。
件名 細谷さんのトヨタ2000GTの記事
送信者 田村 久米雄
宛先三妻自工
日時2013年09月16日 21:54:35
三妻自工さんへ
私がブルーバード510やS30のデザインに従事していた’66〜’68年頃、トヨタと日産は自動車業界の覇権を争っており、レース活動も日産はプリンス自動車を併合して積極的に参戦していましたが、トヨタが自社技術でトヨタ7で挑戦していたのに日産はシボレーエンジンを持ち込んでレースに臨んだ時は「技術の日産」のプライドを捨てて広告宣伝効果だけを狙った戦術に社員として落胆したものです。トヨタ2000GTが4輪ディスクやDOHC、フルシンクロ、4輪独立懸架などの新メカを採用していることを知っていましたが、自分が担当しているS30が何処まで最新メカを採用してくれるのか不安に感じていました。マルZ計画(次期スポーツカーを2シーター/クローズドボディのデザインで開発せよと云うプロジェクトでは当初から3000ドルの販売価格が目標でした)では100万円が販売価格のターゲットでしたから、’69年のモーターショーでS20エンジンを搭載した「フェアレディZ432」がマグホイール装備で185万円の価格で発表された時には「嘘だろう!!」と思いました。今にして思えば担当デザイナーの居ない状況で生産展開をしなければならない状況だったのでやむを得ない事だったのでしょうが、輸出仕様、国内仕様がバラバラで発売しなければならなかった状況に胸が痛みます。
一般にトヨタ2300GTと呼ばれている輸出仕様の試作車(正式にはトヨタ2000GT/MF12L型)は、後期型がベースでSOHC 2,300ccの2M-B型エンジンを搭載しているのが特徴。
MF12L型を"廉価版"と説明する向きが多いが、これは誤り。米国向け廉価版として試作されたのは390Aである。
390Aは前期型をベースに、原価低減のため内外装を関東自工がデザインし直した(但しラフなデザイン案はトヨタが提示)試作車で、関東自工がボディの製作と艤装を担当する予定だった。
390Aの販売価格は米国3,500ドル、国内100万円に設定され、月産500台で5年間生産する計画であった。
試作予定台数は6台(初期の2台はヤマハ製ボディ、中期の2台はヤマハ製のボディパーツを関東自工で組み立て、後期の2台は関東自工がボディを製作)だったが、実際に試作されたのはLHD仕様の1台のみだったようだ。
ただし、RHD仕様のインテリアを写した写真が残っている。おそらくこれは、インテリアのモックアップであろう。
参考までに、トヨタ2300GTと呼ばれているMF12L型は9台(MF12LC型2台を含む)製造されたうち、S/N #1、#2、#6、#8、#9の5台の現存が確認されている。
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4月11日のブログ記事で、ホンダスポーツのスタイリングを手掛けた河村雅夫さんがデザイン系の専門誌に寄稿された記事のことを紹介しました。
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今回は、トヨタ2000GTのエクステリアやインテリアのデザイン全般を手掛けられた野崎喩さんが、トヨタ2000GTが発売される直前に出版された「デザイン批評」誌に、河村さん同様 寄稿していたことを紹介します。
といっても、寄稿された文章の内容については言及しませんので、内容をお知りになりたい方は当該誌をご購入下さい。
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因みに、私がこの本の存在を知ってから手に入れるまでに、3~4年掛かりました。なかなか売り物はないです。
ただ、なかなか見つからない探し物って、出てくるときはいっぺんにいくつも出てくるのですよね。
私は某ネットオークションでこの本を手に入れましたが、その直後、度々チェックしていたウェブの古書店に売り物が2点も出てきました。
欲しい時はなくて、不要になると出てくる。これもマーフィーの法則ですね。(苦笑
以下は、ただのぼやき。
前回のエントリーのコメント欄で、2000GTボンドカーに搭載された特殊装備が撮影車と予備車で違っていることをご教示頂いたので、両車の特殊装備の違いが一目で分かるように画像を並べてみようと思います。
まずは、グローブボックスの特殊装備から。
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これは撮影車を写したものです。
この機材は、"特選外車情報エフロード 2008年9月号"に掲載されている福野礼一郎氏の記事によれば、ソニーが1966年に発表した電池式携帯型VTRの試作機を使って、特別に仕立てられたものとの由。
予備車にも全く同じものが搭載されていましたが…。
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1本目は、1967年開催のジュネーブショーに出展された2000GTボンドカー(予備車)の映像です。
https://www.britishpathe.com/video/motor-show-2
※ボンドカーの映像は0:32から。映像の右上の角の三角マークをクリックするとフルスクリーン表示になります。
予備車も特殊装備を"完備"していたことが分かりますね。
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2本目は、1966年開催の第13回東京モーターショーに出展された2000GTボンドカー(撮影車)の映像です。
https://www.britishpathe.com/video/VLVA4394JBJ6WI8L0SSIK4Q74P62S-JAPAN-THE-13TH-TOKYO-MOTOR-SHOW/query/motor+show
※ボンドカーの映像は1:07から。同上
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最後におまけの映像を。
これは2000GTの映像ではなくて、1964年にオーストラリアで撮影された、日本人女性がオートレース用のバイク?に乗って、ダートトラックでドリフトをキメまくる映像です。
https://www.britishpathe.com/video/VLVACC3RI6JBIDVE9J2LVYSV237CM-JAPANS-SPEEDWAY-GIRL-IN-AUSTRALIA/query/Japan+Motor
いつの時代にも男勝りの女性はいるものですが、56年前にこれだけ豪快なライディングができる女性がいた事実に驚愕させられますね。
"おかもと ななえ"さん、お見事!
トヨタ2000GTの最初期の試作車「280A/I型」は"5台程生産された"、というのがトヨタの公式アナウンス。
「"程"ってなんだよ!」と思わず突っ込みたくなりますが、要するに5台くらいは造りましたよ、ということなんでしょう。
そこで、5台の280A/I型を正月早々じっくり観察してみたりなんかしたりして。
(2021/11/19追記)
通算6台目となる280A/I型を発見したので、当該車両の画像を追加します。
トヨタが5台程とアナウンスしていたのは、5台+"α"があるかもしれないということを示唆していたのかもしれませんね。
ということで、まずは生産第1号車。この車輌は作りが荒っぽいのが特徴ですね。
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ホイールアーチの裾、凹ましたの誰だよ!(プンプン)
続いて生産第2号車。この車輌はTMSに出展されましたね。
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明らかに1号車よりも出来がよくなっています。
次は生産第3号車になるんでしょうか。左ハンドルです。
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フロントフェンダーのメインテナンスパネルにキーシリンダーが付いていません。
早くもコストダウンに着手したんでしょうか。
(2021/11/19追記)
これが生産4号車になるのか、それともこちらが3号車なのかよく分かりませんが、左ハンドル仕様車と同様にフロントフェンダーのメインテナンスパネルにキーシリンダーがない、右ハンドルの280A/I型です。
この写真は公道でのテスト走行中に撮られたもののようですね。
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ボディの色がタイヤの黒色と比べると明度が高く明るい色であることが分かりますが、1号車のシルバーほど明るい色ではないように見えます。
モノクロの写真から色を判断するのは難しいですが、ディーラーナンバーの赤縁ラインと明度が近いことから、個人的には赤ではないかと推測しています。(あくまでも個人の見解です)
公道でのテスト走行には、もう1台のI型(中央の白い車両、ハンドルの位置は不明)も参加していたようです。↓
右端の車両はスポークホイールを履いていることから280A/Ⅱ型と思われます。
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次の2台は、言わずとしれたアルミボディーの競技用車輌 311Sです。
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サメのエラのようなフェンダーのルーバーが格好いいです。痺れます。
と、こんな感じで確かに280A/I型は少なくとも6台は生産されたようです。
果たして7台目の280A/I型は存在したのでしょうか。
そして、上の6台のうち、車体のほんの一部でも現存している車輌はあるのでしょうか。
興味は尽きません。
トヨタ2000GTにもバリエーションは数々あれど、やはり最初に造られたこの280A/I型のスタイリングが個人的には一番好きです。
ただし、洋式トイレの便座のフタのようなリトラクタブルライトの形状だけはイタダケませんが・・・。
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