カテゴリー「Honda Sports500/S500」の記事

2026年1月14日 (水)

ホンダがHマークのデザインを変更する件について

『ホンダが四輪事業のシンボルとして新デザインの「Hマーク」を適用  webCG』
https://www.webcg.net/articles/-/53257

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↑の1963年のHマークをデザインしたのは社内デザイナーの河村雅夫氏です。河村氏が最初にデザインしたHマークは、1969年のHマークのように幅が狭く縦長のものでした。
この形状のHマークに10mmの脚をつけて、ボンネットマスコットとしてS500のご先祖様であるスポーツ360(TAS260/1962年発表)のノーズに取付けましたが、本田社長に"洗車の時に手を引っ掛けて怪我をするから駄目だ"とドヤされたため、横長のフラットなデザイン(七宝焼きのエンブレム)にしたとのことです。
河村氏は縦長のHマークによほど拘りがあったのか、スポーツ360(TAS260/AS250)やスポーツ500(1962年発表)のステアリングエンブレムに縦長のHマークを使っています。
それとこれは私見ですが、最初の縦長のHマーク(ボンネットマスコット)は、二輪のウイングマークと同様にサモトラケのニケの翼をモチーフにしていると思います。
後方に向けて先すぼまりになるようにテーパーを付けた長い一対の造形物は、翼を抽象化しているように私には見えます。つまり、"Hマークもウイングマークもルーツは一緒"ということです。
今回、原点回帰とも言えるデザイン変更を実施する理由は、webCGの記事に記述されているのでご参照下さい。

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サモトラケのニケ
画像出典:https://note.com/chi_eko131/n/n933758ee4c2a

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2025年12月28日 (日)

特定産業振興臨時措置法案(特振法)の功罪 プリンス スカイライン編

昭和36年(1961年)5月、通産省は「自動車行政の基本指針」を示した。この「自動車行政の基本指針」は後に特定産業振興臨時措置法案(以下、特振法)※となるものだ。
戦後十数年を経て日本の復興と経済成長が進み、海外から市場の開放を求める声が高まってきた。いつまでも敗戦国として保護貿易を続ける訳にはいかなくなってきたのである。
日本は1963年に"GATT 11条"の適用国となることが決まっており、貿易(輸入)が自由化されれば性能や品質面で優れた外国車が大量に日本に入ってくることが予想された。そうなれば、外国車に市場を席巻されて日本の自動車産業は立ち行かなくなる、と通産省の役人は考えた。そこで既存の自動車メーカーを量産車グループ、特殊車(スポーツカーや高級車等)グループ、軽自動車グループの三つに分けて統廃合を促し、国際競争力を強化することを企図した法案を立案した。これが特定産業振興臨時措置法案(特振法)である。
特振法には新規参入を制限することが盛り込まれていたため、本田宗一郎は猛反発した。
特振法は1963年3月に閣議決定された後 3度国会に上程されたが、いずれも審議未了で廃案となり、通産省の思惑は外れてしまった。
外国製乗用車の輸入自由化は1965年から始まったが、予想されたほど輸入台数は増えず、また国内自動車メーカー各社が値下げの断行や新型車を投入するなど企業努力を怠らなかったことで、折からの高度経済成長とモータリゼーションの波にも乗り、この時期に国産車の生産/販売台数は急激に増えていった。
乗用車需要は1965年の59万台が1970年には237万台に増え、年平均32%の成長を遂げた。国内の自動車保有台数は、1965年の630万台が1967年には1,000万台を突破。また、生産台数も1965年の188万台が1967年には315万台となり、西ドイツを抜いて世界第2位の自動車生産国に躍進し、続く1968年には400万台を突破する生産台数を記録した。」(トヨタ自動車75年史より引用)

※特定産業に指定されたのは自動車(乗用車と自動車用タイヤ)、特殊鋼、石油化学の三分野

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2025年8月28日 (木)

ホンダエスのプラグカバーと部品供給に関する私の"ざれごと"あるいは"たわごと"

「あなたが人間であることを確認」云々の画面から先に進めないためログインできず、私のXアカウントはしばらく前から放置状態になっています。なので、Xの話題には全く疎いのですが、風の便りに"ホンダの部品供給に関する話題"が最近Xでバズっていると聞きました。で、こんな画像があるよと以下の画像を送って頂きました。
250828_01 (クリックで拡大表示)

250828_02 (クリックで拡大表示)

雑誌記事のキャプションを読むと、ホンダは部品供給をしてくれているけれども、その部品のクオリティが低いと言っているように読めますが、私はこのキャプションは間違っていると思います。

エスシリーズのプラグカバーは、S500のプロトタイプであるスポーツ500から、S800のエンジン番号1006742までは、"HONDA"の書体がシンプルで仕上げは銀ラッカーを塗ったようなものでした。(以下の画像参照)

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2025年3月28日 (金)

疑問

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2025年3月18日 (火)

第二回日本GP優勝車(バックナム車)、ニュル500km優勝車(ハルム車)、'65年マラトン・デ・ラ・ルートクラス優勝車(古我車)に共通する特長 その2

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第二回日本GP優勝車(バックナム車)、ニュル500km優勝車(ハルム車)、'65年マラトン・デ・ラ・ルートクラス優勝車(古我車)に共通する特長 その1

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2022年5月13日 (金)

幻のプロトタイプ、HONDA S86(ホンダ エスハチロク)

ホンダエスシリーズにS500のマスクを持つS600、通称"S5・600(エス ゴロッピャク)"と呼ばれるモデルが存在したことは良く知られている。しかし、S800にS600のマスクが付いたモデルがかつて存在したことを知る者は殆どいないだろう。
私が個人的に「HONDA S86(ホンダ エスハチロク)」と呼んでいる幻の試作車は、F.I.A.のホモロゲーションを取得しており、レースに出場することが出来た。HONDA S86のフロントフェンダーには、S800と同様にHマークのオーナメントが付き、ホイールは4穴タイプのものを履いていた。つまり中身はリジッドタイプのS800なのである。
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HONDA S86にはクーペバージョンも存在し、こちらもF.I.A.のホモロゲーションを取得している。
220513_s86_coupe_1_denoise1 (クリックで拡大表示)
HONDA S86は何台製造され、レースには出場したのか・・・。残念ながら現時点では情報がなく全く不明である。
 
以下はS800のホモロゲーション取得時の申請書類(の一部)。
これを見れば、S86とS86クーペが間違いなく"S800"であることが判る。
220513_s800_homologation_1 (クリックで拡大表示)
220513_s800c_homologation_1 (クリックで拡大表示)
参考までに、S600の申請書類に添付された写真は↓こちら。
S500顔とS600顔の両方が写っている。
220513_homologation_s600 (クリックで拡大表示)
チェーンタイプのS800の申請書類も手元にあるが、これにはS600マスクのモデルは見当たらない。


   

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2021年11月20日 (土)

ホンダSシリーズの異端児、S5・600(えすごろっぴゃく)の生産台数と販売台数に関する一考察

ホンダSシリーズといえば、S500に始まりS600、S600クーペ、S800、S800クーペとバリエーションが増えていきましたが、これらの他にS500と同じ外観を持つS600が存在したことをご存じの方も多いと思います。
このS500と同じ外観を持つS600、通称S5・600(えすごろっぴゃく)が何台生産・販売されたかについて、このエントリーでは深堀してみようと思います。

さて、S5・600(えすごろっぴゃく)の生産・販売台数ですが、これはきちんとした資料がある訳ではないので、状況証拠からの推測になってしまうことを予めお断りしておきます。
それではまず、S600が発売されるまでの経緯をまとめると以下のようになります。

1964年(昭和39年)
2月   浜松製作所で量産試作開始
2月26日 荒川テストコースでプレス向け発表会と試乗を実施
3月1日  S600発売
4月 埼玉製作所でS600用エンジンの生産開始
5月 市場向け車両の生産とデリバリーを開始

この時期のS600の生産台数は、どこのご家庭にもある「S600 5桁フレーム号機車台番号一覧」によりますと↓
211120_s600_5 (クリックで拡大表示)
出典:ホンダ公式サイトのコンテンツ "ホンダ バーチャルピット" ※現在は閉鎖されて閲覧不可

以下のようになります。

1964年(昭和39年)
2月 10001~10068 68台
3月 10069~10103 35台
4月 10104     1台
5月 10105~10355 251台
(以下、省略)

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2021年9月23日 (木)

ホンダSシリーズ 車体色一覧 (令和3年9月暫定版)

「別冊CG ホンダ・スポーツ」に掲載されているボディカラーの一覧表をベースに、私なりにリサーチした情報を加えてホンダSシリーズの車体色一覧表を作成してみました。
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     (クリックで拡大表示)

↓こちらの「別冊CG ホンダ・スポーツ」のオリジナル版とどの辺が違うかを比較してみて下さい。210923_cg

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2020年5月 2日 (土)

【driver@web】ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!

1964年2月26日に荒川テストコースで行われた、ホンダS600のメディア向け試乗会を取材したドライバー誌の記事(1964年4月号に掲載)がdriver@webにアップされています。
表題の記事は最近執筆されたものですが、当時の記事そのものがPDFで公開されていますので、興味のある向きご覧になってみて下さい。
ゴールデンウィークをReading Weekとして過ごすのも一興かと思いますよ。

ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!【東京オリンピック1964年特集Vol.5】
200502_driver196404 (クリックで拡大表示)
試乗会でお披露目されたこのS600は、S500の車体とエンジンを流用して研究所で仕立てられたものでした。
実は、S500の生産設備でS600を作る事は出来なかったんです。藤澤さんがS500の発売遅延の理由を説明した際に、「S600の登場を待って」と述べたのはこういった事情があったからでした。
もう少し分かりやすく言うと、S500とS600には決定的に違う部分があったためS600の量産開始が遅れ、それにつられるカタチでS500の発売も予定より遅くなってしまった、という訳です。
両車の決定的に違う部分については、もったいぶって申し訳ありませんがここではナイショにしておきますね。

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