カテゴリー「Honda その他」の記事

2022年5月13日 (金)

幻のプロトタイプ、HONDA S86(ホンダ エスハチロク)

ホンダエスシリーズにS500のマスクを持つS600、通称"S5・600(エス ゴロッピャク)"と呼ばれるモデルが存在したことは良く知られている。しかし、S800にS600のマスクが付いたモデルがかつて存在したことを知る者は殆どいないだろう。
私が個人的に「HONDA S86(ホンダ エスハチロク)」と呼んでいる幻の試作車は、F.I.A.のホモロゲーションを取得しており、レースに出場することが出来た。HONDA S86のフロントフェンダーには、S800と同様にHマークのオーナメントが付き、ホイールは4穴タイプのものを履いていた。つまり中身はリジッドタイプのS800なのである。
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HONDA S86にはクーペバージョンも存在し、こちらもF.I.A.のホモロゲーションを取得している。
220513_s86_coupe_1_denoise1 (クリックで拡大表示)
HONDA S86は何台製造され、レースには出場したのか・・・。残念ながら現時点では情報がなく全く不明である。
 
以下はS800のホモロゲーション取得時の申請書類(の一部)。
これを見れば、S86とS86クーペが間違いなく"S800"であることが判る。
220513_s800_homologation_1 (クリックで拡大表示)
220513_s800c_homologation_1 (クリックで拡大表示)
参考までに、S600の申請書類に添付された写真は↓こちら。
S500顔とS600顔の両方が写っている。
220513_homologation_s600 (クリックで拡大表示)
チェーンタイプのS800の申請書類も手元にあるが、これにはS600マスクのモデルは見当たらない。


   

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2021年12月 2日 (木)

ボクの宝もの

このエントリーは12月2日午後10時に書いています。ということは、今年も残すところあと29日と数時間。
2021年も、もう少しで終わってしまいます。
結局今年も新型コロナに振り回された一年となりましたが、個人的には嬉しい出来事がありました。
それは、長年探していた本を手に入れられたことです。↓
211202__01 (クリックで拡大表示)
本の名前は「いつの日も遠く」で、著者は安川 力氏。
安川氏はヤマハ発動機株式会社(以下、ヤマ発)のヤマハ技術研究所にあった「安川研究室」の室長で、ヤマ発が自主開発した四輪車YX-30の開発責任者を務め、ヤマ発が日産やトヨタと業務提携した際にはA550Xやトヨタ2000GTのヤマ発側の開発責任者を担当された、ヤマ発の四輪事業に関する実情の全てを知る重要なキーマンと言えます。
「いつの日も遠く」はそんな安川氏が執筆した自叙伝で、氏が携わった仕事について事細かに記録されています。非常に貴重な資料です。
ただ、「いつの日も遠く」は私家版として制作されたものゆえ、印刷された部数が少なく市場にも流通しなかったため、手に入れるのはまず無理だろうと半ば諦めていました。ところが今年、ひょんなことからこの貴重な本を入手することができたのです。
そして、"ボクの宝もの"となった訳です。
因みに安川氏は今年の7月に逝去されています。歴史の生き証人が失われたことを、非常に残念に思います。
「いつの日も遠く」はweb版がヤマ発の公式サイトで公開されているので、興味のある向きは探してご覧になってみて下さい。

"ボクの宝もの"その2。
ブログを長くやっていると時には思いがけないことが起こります。
私にとって今までで一番のサプライズは、故ポール・フレールさんの奥様のシュザンヌ・フレール(Suzanne Frere)さんからお手紙を頂いたことです。
自筆のお手紙にはなんと!、ポール・フレールさんの生写真が同封されていました。
しかも、そのお写真はシュザンヌさんがお気に入りだったもので、ホンダの上原さん(初代NSXの開発責任者)とお会いになった時には持参して、上原んにお見せになったとのことです。↓
211202_photo1 (クリックで拡大表示)
左が頂いた生写真、右はホンダの公式サイトに掲載されたシュザンヌさんの画像です。
シュザンヌさんが手に持っておられる写真と、私のPCモニターの前に置かれている写真は全く同じものでしょ?
写真の裏側には"5・1959"という数字とプリントした写真店(?)の店名や住所などかスタンプされています。
数字は写真をプリントした年月でしょうか。写真の裏面は全体的に黄ばんでいて、長い年月の経過を感じさせます。
211202_photo2   (クリックで拡大表示)
ポール・フレールさんの奥様から頂いたポール・フレールさんの生写真。これも大事な大事な"ボクの宝もの"です。
どこの馬の骨とも知れぬ日本人の私にお手紙と写真を送って下さったシュザンヌさんは、残念ながら既に故人となってしまいました。
世の無常を感じずにはいられません。。。
(追記)
シュザンヌさんからお手紙を頂くことになった経緯については、↓こちらのエントリーをご参照下さい。
https://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/cr--9155.html


"ボクの宝もの"はまだあります。
これは↓、チームトヨタのキャプテンを務め、トヨタスポーツ800やトヨタ2000GT、トヨタ7を駆ってレースで大活躍した細谷四方洋さんから頂いたトヨタ2000GTのモデルカーで、このモデルカー自体も"ボクの宝もの"なのですが、
211202_2000gt_modelcar   (クリックで拡大表示)
モデルカー以上にお宝なのは、細谷さんに直接執筆して頂いた回想録の原稿です。
細谷さんを取材して書かれた書籍や記事は数多ありますが、細谷さんが自ら綴って下さったトヨタ2000GTの開発記やレース活動の記録は、当ブログでしか読めないものです。
細谷さんが慣れないPCを使ってご苦労をされながら書いて下さった原稿は、"ボクの宝もの"以外の何物でもありません。

長くなるので、これで最後にします。
最後に紹介する"ボクの宝もの"は、初代フェアレディZのエクステリアデザイン(ファイナル案)を担当された田村久米雄さんが、当ブログのために書いて下さった原稿です。
頂いた原稿の殆どはブログで紹介済みですが、諸般の事情から未公開になっているものもあります。
それが大変申し訳なくって、己の力のなさに切歯扼腕する次第です。
田村さんも残念ながら亡くなっており、もうお話を伺うことは出来なくなってしまいました。
211202_s30z_illustration   (クリックで拡大表示)
これは田村さんが描いたS30Zのイラストです。もちろん頂きものです。


こんな泡沫ブログでも長年続けていると色々な出会いがあり、全く無名の私のような人間でも、著名な方達と交流することができてしまうのですからインターネットって凄いですね。
コンピューターは私にとって、まさに魔法の箱です。
ただ、元々ブログは文章を書く練習のつもりで始めたものでして・・・、でも長年ブログを続けても文章力は全く向上せず。
本来の目的は何年経っても果たせない、ダメな"ボク"なのでした。orz

 

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2021年11月20日 (土)

ホンダSシリーズの異端児、S5・600(えすごろっぴゃく)の生産台数と販売台数に関する一考察

ホンダSシリーズといえば、S500に始まりS600、S600クーペ、S800、S800クーペとバリエーションが増えていきましたが、これらの他にS500と同じ外観を持つS600が存在したことをご存じの方も多いと思います。
このS500と同じ外観を持つS600、通称S5・600(えすごろっぴゃく)が何台生産・販売されたかについて、このエントリーでは深堀してみようと思います。

さて、S5・600(えすごろっぴゃく)の生産・販売台数ですが、これはきちんとした資料がある訳ではないので、状況証拠からの推測になってしまうことを予めお断りしておきます。
それではまず、S600が発売されるまでの経緯をまとめると以下のようになります。

1964年(昭和39年)
2月   浜松製作所で量産試作開始
2月26日 荒川テストコースでプレス向け発表会と試乗を実施
3月1日  S600発売
4月 埼玉製作所でS600用エンジンの生産開始
5月 市場向け車両の生産とデリバリーを開始

この時期のS600の生産台数は、どこのご家庭にもある「S600 5桁フレーム号機車台番号一覧」によりますと↓
211120_s600_5 (クリックで拡大表示)
出典:ホンダ公式サイトのコンテンツ "ホンダ バーチャルピット" ※現在は閉鎖されて閲覧不可

以下のようになります。

1964年(昭和39年)
2月 10001~10068 68台
3月 10069~10103 35台
4月 10104     1台
5月 10105~10355 251台
(以下、省略)

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2021年9月23日 (木)

ホンダSシリーズ 車体色一覧 (令和3年9月暫定版)

「別冊CG ホンダ・スポーツ」に掲載されているボディカラーの一覧表をベースに、私なりにリサーチした情報を加えてホンダSシリーズの車体色一覧表を作成してみました。
210923_2109_a2

210923_2109_b     
     (クリックで拡大表示)

↓こちらの「別冊CG ホンダ・スポーツ」のオリジナル版とどの辺が違うかを比較してみて下さい。210923_cg

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2021年3月31日 (水)

春ですね

地元の桜の名所、福岡堰で撮影
210331_0331b_aquos_sense4_lite(クリックで拡大表示)
Aquos sense4

近所の稲荷大明神で撮影
210331_0327_zenfone3 (クリックで拡大表示)
ASUS ZenFone3

近所の桜並木で撮影
210331_0329_aquos_sense4_lite (クリックで拡大表示)
Aquos sense4

軽自動車検査協会で撮影
210331_0330_aquos_sense4_lite (クリックで拡大表示)
年度末なので激混みでした。当然ながら、桜はありません。
Aquos sense4

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2021年1月 2日 (土)

明けましておめでとうございます

210102_reiwa3_ra301
                              (クリックで拡大表示)
コロナ終息というゴールに辿り着けることを願って・・・。

 

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2020年11月13日 (金)

幻の"ホンダ R800"に関する通説を、無知な管理人が無謀にもひっくり返して爆死するエントリー(暗愚

ホンダR800といえば、ホンダRSC(レーシング・サービス・クラブ)と鈴鹿サーキットが独自に開発した車両で、1969年4月に開催された鈴鹿500キロ自動車レースでデビューを果たし、並居る強豪を相手にトヨタ7(415S/V8 2,987cc)に次ぐ総合第2位を獲得した、驚異の小排気量レーシングスポーツであることは広く知られていると思う。
このR800は、ブラバムの"F3シャシー"を流用してRSCが独自に仕上げたフレームに、S800のエンジンとヒューランドのギアボックスを搭載したものだった。
そして、レース出場時にエントリーシート記載された車両名及び車体名は"ホンダ800R"であった。

正式な車名がR800か800Rかはさておき(この稿では、参考にしているホンダの資料に倣ってR800で統一する)、デビュー戦で好結果を残したことは、レースの翌日にサーキットホテルで会議をしていた藤澤武夫副社長(当時)に伝えられ、朗報を聞いた藤澤副社長はRSCの木村昌夫氏を呼んで話を聞き、「ちょっと(クルマを)見たいな」ということでサーキット内にあるRSCの工場に出向いて、R800を目の当たりにした。そして、この時 藤澤副社長が発した言葉は「このクルマ、ホントにここで作ったの?」というものだった。
20201113_-02 (クリックで拡大表示)
     (RSCの工場で藤澤副社長にR800の説明をする木村昌夫氏)
 

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2020年5月 2日 (土)

【driver@web】ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!

1964年2月26日に荒川テストコースで行われた、ホンダS600のメディア向け試乗会を取材したドライバー誌の記事(1964年4月号に掲載)がdriver@webにアップされています。
表題の記事は最近執筆されたものですが、当時の記事そのものがPDFで公開されていますので、興味のある向きご覧になってみて下さい。
ゴールデンウィークをReading Weekとして過ごすのも一興かと思いますよ。

ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!【東京オリンピック1964年特集Vol.5】
200502_driver196404 (クリックで拡大表示)
試乗会でお披露目されたこのS600は、S500の車体とエンジンを流用して研究所で仕立てられたものでした。
実は、S500の生産設備でS600を作る事は出来なかったんです。藤澤さんがS500の発売遅延の理由を説明した際に、「S600の登場を待って」と述べたのはこういった事情があったからでした。
もう少し分かりやすく言うと、S500とS600には決定的に違う部分があったためS600の量産開始が遅れ、それにつられるカタチでS500の発売も予定より遅くなってしまった、という訳です。
両車の決定的に違う部分については、もったいぶって申し訳ありませんがここではナイショにしておきますね。

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2020年4月20日 (月)

ホンダの塗色コードシステム

最近のことは分かりませんが、ホンダが四輪の生産を始めた頃の車体色のカラーコード(色記号)は、二輪の方式が引き継がれて「アルファベット - 数字  色名」という体裁でした。
200420_colorcode1 (クリックで拡大表示)
アルファベットの部分は何を意味しているかというと、マンセル色相環の色相記号で、数字は色開発の順番を表していました。
例えば「Y-3 クロームイエロー」ならば、Yellow色相に属する3番目に開発された色、ということになります。
200420_munsell-color-system (クリックで拡大表示)
ただ、マンセル色相環にはご覧のようにWhiteやBlack、その中間色のGrey、あるいはMetallicなどはないので、それらには"NH"という符丁が用いられました。
NHの意味は、無彩色を表す"Neutral"と"Honda"の頭文字とのことです。(コメント欄にてご教示頂きました)
20221020_ (クリックで拡大表示)
※ この一覧には間違いが四ヶ所あったので修整してあります。


  

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2020年3月10日 (火)

【希少】S500量産試作車の映像【レア】

海外の動画サイトでS500の量産試作車の映像をみつけました。↓
https://www.britishpathe.com/video/VLVA3Z1UEVTZZXZ1M7FBO8UNK5TJJ-JAPAN-HONDA-CAR-ROAD-TEST/query/honda
(ポインターを映像に重ねたときに右上の角に表示される三角マークをクリックすると全画面表示になります)

エンジンはもちろんオイルバスエアクリーナー付き。 
シリンダーヘッドカバーに付くブリーザーカバーがボルト2本留めのタイプは、AS・AKのオーソリティの方によれば、試作エンジンの中でも少量しか作られなかった極初期のものとのこと。
ただし、このタイプのエンジンは比較的露出が多く、当時の雑誌等をつぶさに観察するとそこかしこで見つけることができます。
例えば、S600顔のS600の試作1号車に搭載されたエンジンも、このブリーザーカバーがボルト2本留めのタイプだったりします。
つまり、S500の試作エンジンを流用した600ccエンジンだった訳ですね。(下掲の画像のように1号車は車体もS500のものが流用されていました)
200310_mm6405_1 200310_mm6405_3 

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