特定産業振興臨時措置法案(特振法)の功罪 東洋工業(ロータリーエンジン)編
特定産業振興臨時措置法案(特振法)とは何ぞや?という方は↓下掲の画像の赤枠部分か、前回の「特定産業振興臨時措置法案(特振法)の功罪 プリンス スカイライン編」をご参照下さい。
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(出典:山本健一氏 内燃機関の革新とバンケル・ロータリー・エンジンの開発)
では本題。
特振法は、国内自動車メーカー(正確には特定産業の企業)の合併や整理統合を促進し、企業規模拡大による大規模生産体制を構築することで、国際競争力を高めることを目的としていた。
合併や整理統合を行うということはつまり、特振法が成立すれば規模の小さな会社は大きな会社に取り込まれて独立を維持できなくなる、ということである。業界が注目したのは、どの会社が生き残り、併呑されて消えるのはどの会社か、であった。
ここで"消える会社"として名前が挙がったのが東洋工業(現マツダ)である。"特振法が成立すれば東洋工業は他社に吸収合併されてなくなってしまう"という話は、当時 業界筋でかなり多く語られたようだ。
これは東洋工業にとって風評被害以外の何物でもなかったが、人の口に戸は立てられず、噂は瞬く間に広まってしまった。こういった風聞は会社にとって死活問題である。社内の士気は下がるし、販売面への影響も大きい。
そこで、松田恒次社長はどうしたか。
このエントリーの核心部分は、以下のテキスト(赤線部分)に記載されているのでお目通し下さい。
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(出典:山本健一氏 内燃機関の革新とバンケル・ロータリー・エンジンの開発)
ご覧のように松田恒次社長は、"東洋工業が独立を維持するには、他社にない特異な技術をものにするしかない"と考え、活路をロータリーエンジンに見出したのである。
東洋工業が国内の同業他社に先駆けてロータリーエンジンのライセンスを獲得した(※)のは、こういった理由があったからであった。
(事実上)東洋工業だけがロータリーエンジンをものにできたのは、ロータリーエンジンの実用化が東洋工業にとって社運を賭けて取り組んだ"絶対に負けられない戦い"だったからである。流行り物にちょっと手を出してみただけの会社とは、腰の据え方が違ったのだ。
幸いなことに特振法は不成立・廃案となり、東洋工業に対する謂れなき風聞も霧消した。
(※ ヤンマーディーゼルも同時期にライセンスを獲得しているが同業とはいえないだろう)
あくまでも結果論だが、特振法に後押しされる形で東洋工業はロータリーエンジンの開発に着手し、それをモノにすることで会社のアイデンティティーを確立した。東洋工業(マツダ)=ロータリーエンジンと脳みそに刷り込まれているマニアは多いだろう。それがマツダにとって良いことなのか否かは私には分からないが、兎にも角にも特振法とマツダロータリーには、斯様に切っても切れない深い縁(因縁?)があるのである。
プリンス スカイラインと同様に、特振法の騒動がなければ東洋工業やロータリーエンジンのヒストリーは、現在とはずいぶん違ったものになったであろう。(GT-Rの50連勝目をマツダロータリーが阻止するドラマが生まれなかった世界線なんて、想像も出来ない・・・)
マツダロータリーもまた、特振法の落とし子だと個人的には考えている。
以下、蛇足。
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これは、松田恒次社長とロータリーエンジンの開発責任者を務めた山本健一氏が、それぞれステアリングを握って広島から全日本自動車ショー(1963年開催)の会場の駐車場に乗り付けた、コスモスポーツの1次試作車"MAZDA 802"である。
"32-85"のナンバープレートが付いてるのが試作1号車で、"57-35"の方はおそらく試作2号車。2台は細部の仕様が異っている。
自動車ショーに出展しなかったロータリーエンジン搭載車のプロトタイプを、社長自らが運転して自動車ショーの会場に乗りつけるパフォーマンスは、恒次社長が仕掛けたサプライズであった。
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上がMAZDA 802の1号車、下が(おそらく)2号車。
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