【Old-timer】公開校閲その3【171号】
40頁上段の写真キャプションに「1965年9月に大和工場で初めてラインオフしたL700は、翌'66年1月にP700('65年10月生産開始)と同じ狭山工場に移管。そう、当初 LとPは別工場で生産されていたのだ!」とありますが、正しくはL700の狭山への移管が決まったのが'66年1月で、L700の埼玉製作所大和工場での生産は、その後 3月まで続きました。狭山への移管は大和工場での生産が終了した後です。
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出典:PolePosition誌 スペシャル号
P700に関する資料は残念ながら手元にないのですが、以下の事実からP700の量産立ち上げは埼玉製作所大和工場だったと当方は推測しています。
この件に関して、情報や資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご教示頂きたくお願い申し上げます。
・L700を生産するにあたって、埼玉製作所では"車体開発センター"を発足させ、L700の生産立ち上げに伴う不具合対策と、4輪車の骨格となるプレスや、溶接を含めたボディーづくりについての本格的な量産化の仕組みづくりにあたっている。(出典:https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1974hondaengineering/page03.html)
P700を生産するため、狭山製作所にも同様の組織を発足させたのか?
・'65年4月に軽トラックT360と小型トラックT500を狭山に移管した後、翌5月にL700の生産が行われたL3工場に小型トラック車体組立ラインが新設されている
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出典:PolePosition誌 スペシャル号
・L700の狭山への移管が決まったのは、P700の生産が始まった後である。L700の狭山への移管が決まる以前に、同機種といっても過言ではないL700とP700を別の工場の別のラインでそれぞれ生産したとすれば、経済合理性を無視した設備投資を行ったことになるが、本田さんや藤澤さんはこのような投資に果たしてGOサインを出しただろうか?
L700とP700が'66年3月に同時に狭山に移管されたとすれば、同年に両機種の車台番号が1で始まるものから2で始まるものに変更になったことも説明がつくのではないでしょうか。
すなわち、「1******」が埼玉製作所大和工場製、「2******」が狭山製作所製ということです。
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T360は狭山に移管された年に、車台番号が「1******」から「5******」に変更になっていますね。
ただ、S600とT500は狭山に移管後も、車台番号の先頭の数字は変更されていません。
以下は余談。口は災いの元というお話。
L700の狭山への移管が決まった際、塗装品質を調べることになり、当時ホンダに導入されたばかりだった「降雨付きカーボンアーク型耐候試験機」を使って試験を実施したところ、サマセットブルーの退色が著しい(赤味が抜けてしまう)ことが確認されました。すぐに塗料の納入業者だった日本メラミンの浜本幸滋社長をよんで「このような塗料は狭山では使えないからすぐに直して下さい」と申し入れたところ、浜本社長が「ホンダさんもテストなんかするんですか」と不遜な返答をしたため、日本メラミンとの取引きは打ち切られ、狭山では別の塗料メーカーの塗料が使われることになりました。メデタシ、メデタシ?
当時のホンダは、塗料の調達にあたって品質よりも入札価格の安さを重視していたため、質の悪い塗料を使うことが多く、後にNを輸出した際、手痛い失敗をすることになります。それも2度も。
Nの詳しい話は、また別の機会に書こうと思います。、
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コメント
やはり記事内容はしっかり調べて書かないとですね。
日本メラミンの社長さんはいらん事を言いましたね。率直な性格の方だったんでしょうか(笑)。
投稿: スポーツ800 | 2020年3月 2日 (月) 午前 09時14分
>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。
このシリーズ、もう少し続く予定です。ライターさんは色々なクルマの記事を書かなければならないので、細かいことまでは調べきれないのでしょうけれど、だからといって誤った情報を垂れ流していいことにはならないので、やはり記事を書くにあたってはしっかりと事実関係の確認をして欲しいですね。
日本メラミンの社長はホンダを"所詮バイク屋"と見下げる気持ちがあったのだと思います。四輪に参入したばかりの頃のホンダは、色々な場面でそういった扱いを受けていました。
"二輪メーカーと四輪メーカーには格の違いがあった"という感覚は、現代ではなかなか理解されないでしょうね。
投稿: mizma_g@管理人 | 2020年3月 3日 (火) 午前 07時35分