【ホンダT360】設計変更の理由の一例【AK250】
この3つを課題に、ホンダは1965年からASとAKの増産を進めています。(例えば、T360の'65年1月の生産台数は1,655台でしたが、同年8月には3,853台にまで増えていますから倍以上の増産です)
これは、オリンピック終了後の不況により多くの会社が倒産していた時期だったにも関わらずです。
T360の設計変更の理由には他に、北海道日高の漁村で行った耐候試験の結果のフィードバックや、新しい生産技術(設備)の導入による仕様変更などもありましたが、ここでは詳しいことは書かないでおきましょう。
「設計、生産、販路、サービス体制など多方面からこのクルマ(T360)を見返し云々」と今号のOT誌にありますので、ネタがカブってしまっては申し訳ないですからね。
| 固定リンク
「Honda T360 T500」カテゴリの記事
- 特定産業振興臨時措置法案(特振法)の功罪 プリンス スカイライン編(2025.12.28)
- ホンダエスのプラグカバーと部品供給に関する私の"ざれごと"あるいは"たわごと"(2025.08.28)
- 6月5日はT360の展示と試走が行われた日(2021.06.05)
- 狭山製作所におけるAK250・AK280の塗装工程(2021.04.11)
- T360が現役だった頃の高画質映像(2020.05.12)





コメント
初めて出す4輪ですので性能はもちろんの事コストダウンしなければと言う意識が強かったんですね。会社ですから売るからには少しでも利益を、そして信用の為性能を損なわない。日々考え抜いていたのですね。
当時でも軽トラは売れ筋車種だったんでしょうかね。現在では農道のフェラーリなんて呼ばれますが(笑)。
投稿: スポーツ800 | 2020年3月10日 (火) 午前 08時49分
>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。
開発責任者だった中村良夫さんが書き残した資料によれば、T360は開発中からコスト高が問題になっていたようです。
何せ、エンジンだけ見ても水冷4気筒でオールアルミ、ツインカムに4連キャブレターですからね。同時代のライバルが空冷2サイクル2気筒シングルキャブだったことを考えれば、間違いなくコストを掛け過ぎな訳で…。
コストダウンは生産が終了するまで常に大命題だったようです。当然ながら、コストは下げても性能は下げれませんから、開発技術者も生産技術者も、生産現場の方達も大変だったと思います。
T360が発売された1963年当時は、やはりオーナードライバー向けの乗用車よりも商用モデルの方が売れたのでしょうね。
農道のフェラーリならぬ農道のNSX アクティは、来年で生産を終えることが決まってしまいました。ホンダの四輪参入の尖兵としてデビューしたTの血統はTNからアクティへと受け継がれましたが、その命脈が尽きることになってしまい本当に残念です。(TωT)
投稿: mizma_g@管理人 | 2020年3月10日 (火) 午後 09時57分