第4スタジオ “スタジオチーフ”の職務と権限
2012年2月26日にアップしたエントリーの『【用語解説】造形課に於ける“チーフデザイナー”とは』の補足として、第1造形課第4スタジオのスタジオチーフの職務と権限について田村久米雄氏に解説して頂いたので、以下にそれを掲載します。
とかく誤解されがちな、松尾良彦氏の肩書きと職務内容について、一人でも多くの方に正しい知識と認識を持って頂けましたら幸いです。
この部分を誤解したままで、S30Zのデザイン開発史の正しい考証・考察はできないと個人的には思います。
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過去のS30に関する多くの文献の記述をみると、取材者の多くはチーフデザイナーはその車種の開発全般に亘って権限があり、他部署にも自由に提案が出来るデザイン部署の責任者で、ジェネラル・マネージャーとしてデザイン開発全てに関与していた役職であったと解釈しているように感じます。
何度も繰り返しますが、このブログのエントリー「造形課の組織図」をご覧頂けばお分かりのように、造形課にはデザイン実戦部隊として「カラーリング・スタジオ」「インテリア・デザインスタジオ」「エクステリア・デザインスタジオ」があり、エクステリア・デザインスタジオは第1〜3スタジオにはスタジオ・チーフ(総括:係長)と担当デザイナー、アシスタントデザイナー数名が配属されて居ました。
スポーツカー担当の第4スタジオは松尾チーフ(主任)、モデル案の担当デザイナーとして吉田章夫(ふみお/’67年4月下旬に第二造形課に転籍)、千葉 陶(いつき/本人の証言を得られていないので詳細は確定できませんが、’65年’〜66年半ばまで第4スタジオ、以降インテリア・スタジオに移動)、田村久米雄・西川暉一・桑原二三雄(’67年2月配属)でエクステリア・デザインを進めていました。
吉田さんが担当していたCA案(過去の文献ではA案と記載されていますが)を私が引き継ぎ、’67年11月、役員承認を得て、線図化作業、生産展開に移行します。従って、松尾さんはスタジオのマネージャーとして人員配置、作業の進行管理、他部署からの仕様に関する条件変更などのデザイナーへの伝達を担っていました。松尾さんは当時、総括職ではなく主任でしたので他部署との折衝は課長の四本さん、課長補佐だった猶井さんを経由しなければ出来ない立場にありました。
過去の文献でブルーバードやセドリックなどのH/Tデザインに松尾さんが関与したと記述がありますが、彼は第4スタジオ(マルZ計画スタート以前は前身であるアドバンス・スタジオ)に所属しており、他のスタジオのデザイン作業に関わることはできなかったはずです。(他のスタジオには担当デザイナーがおり、セダンのデザイン終了と共にH/Tデザインを担当しますので、わざわざよそのスタジオの年配のデザイナーに依頼する訳もなく、そのような話は聞いたことも有りません。)
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