画像で辿る、ホンダS500発売までの軌跡
S500が発売されるまでの軌跡を、年表形式に纏めてみました。
但し、年表に掲載したのは量産型(ボディサイズと排気量が拡大されたモデル)に関する事象のみです。
それと、文章を羅列するだけでは味気ないので、各トピックの画像も添付しました。
拙いものですが、皆さんがS500のヒストリーを考察する際に参考にして頂けたら幸いです。
【10/05/19】 年表に2件追記
【10/05/20】 動画を2本追加
【10/05/21】 年表に2件追記
【10/10/10】 年表に2件追記
【10/12/14】 画像を1枚追加
※画像をクリックすると拡大表示します(Click image for full size)
*******1963年(昭和38年)*******
4月28日 朝日新聞が“ホンダは5月中に360ccの軽四輪トラックを、7月に360ccと500ccのスポーツカー
及び500ccの小型四輪トラックを発売する”と報道

4~6月頃 研究所において外形寸法と排気量を拡大したスポーツ500の試作車が製作される
※製作台数は5台、ベースになったのは浜松製作所製スポーツ360のフレームと足廻り
5~6月頃? 左ハンドル(LHD)車2台をアメリカに移送
※テスト及び宣材写真の撮影に供される

5月3~4日 第1回日本GPの会場(鈴鹿サーキット)に54号車が姿を現す
5月5日 Jose Rosinski(ホセ・ロジンスキー)氏が54号車を取材

6月16日 新聞紙上で「ホンダスポーツ500 価格当てクイズ」を実施
※アメリカに送られたLHD車の写真が掲載される(他にRHD車の写真も有り)
6月16日 本社ビル及び国内各拠点に「四輪車生産開始」の垂れ幕を掲揚

6月17日 浜松製作所にてスポーツ500の量産1号車(正確には量産試作1号車)が完成
7月6日 特定産業振興臨時措置法案(特振法)の不成立確定

7月19日 “ホンダスポーツ500の値段を四十五万九千円とし、十月から売り出す”と発表

7月21日 新聞紙上でスポーツ500の販売価格を発表
※同時にT360/T500の販売価格も公表される

7月22日 東京ヒルトンホテルにて「価格当てクイズ」の抽選会を実施

「価格当てクイズ」抽選会の映像
8月27日~31日 スパ - ソフィア - リェージュ・ラリー(Marathon Spa-Sophia-Liege Rally)に2台のスポーツ500が参加

8月29日 ドイツ・コブレンツのライン川を航行する蒸気船「Rheine Dampfer」の船上で、
本田社長がスポーツ500を発表
本田社長はこのプレゼンテーションで、10月からスポーツ500の生産を開始する旨、発言する
会場には、白の左ハンドルスポーツ500が在ったとの証言あり
9月12~14日 ハンブルグのヨーロッパホンダGmbh前に、赤の左ハンドルスポーツ500を展示

9月頃 鈴鹿サーキットでスポーツ500のレンタルを開始

9月19日 車台番号打刻開始
9月21日 年式打刻制度による'64年型の基点日

10月26日
~11月10日 第10回自動車ショーに3台の試作車を出展

*******1964年(昭和39年)*******
1月17・18日 箱根・芦ノ湖スカイラインにて販売店向けの試乗会を実施
※対象は全国ホンダ会 東京ブロック会
(この試乗会は悪天候により中止になったが、集まった有志により試乗が行なわれた)

1月22・29日 鈴鹿サーキットにて販売店向けの試乗会を実施
※対象は全国ホンダ会 中部・関西ブロック会

1月26日・2月2日 荒川テストコースにて販売店向けの試乗会を実施
※対象は全国ホンダ会 東京ブロック会

1月30日 新聞記者会見にて藤沢専務がS500の販売が遅延した理由を説明

2月1日 S500全国一斉発売
※S600の発売時期については、以下のエントリーを参照下さい。
Honda S600の発売時期
ご覧のように、ホンダS500が発売されたのは1964年(昭和39年)2月1日でした。
定説になっている1963年(昭和38年)10月というのは誤りですのでご注意下さい。
それにしても、S500の発売日と云えば、ホンダが四輪乗用車市場に参入した記念すべき日であるのに、40年以上もの長きに亘って間違った発売日が伝えられているのは、どういうことなのでしょうね。
歴史は正しく伝えないと、将来に禍根を残すことになりますし、偽りを後世に伝えることは過去を冒涜することになると思うのですが…。
ホンダにはコレクションホールがあるのですから、過去史の考究をもっとしっかりとして頂きたいと、アマチュアの考証家は願わずにはおれませんです。
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参考までに、画像なしの年表もアップしておきます。
********1963年(昭和38年)********
4月28日 朝日新聞が“ホンダは5月中に360ccの軽四輪トラックを、7月に360ccと500ccのスポーツカー
及び500ccの小型四輪トラックを発売する”と報道
4~6月頃 研究所において外形寸法と排気量を拡大したスポーツ500の試作車が製作される
※製作台数は5台、ベースになったのは浜松製スポーツ360のフレームと足廻り
5~6月頃? 左ハンドル(LHD)車2台をアメリカに移送
※テスト及び宣材写真の撮影に供される
5月3~4日 第1回日本GPの会場に54号車が姿を現す
5月5日 Jose Rosinski(ホセ・ロジンスキー)氏が54号車を取材
6月16日 新聞紙上で「ホンダスポーツ500 価格当てクイズ」を実施
※アメリカに送られたLHD車の写真が掲載される
6月16日 本社ビル及び国内各拠点に「四輪車生産開始」の垂れ幕を掲揚
6月17日 浜松製作所にてスポーツ500の量産1号車(正確には量産試作1号車)が完成
7月6日 特定産業振興臨時措置法案(特振法)の不成立確定
7月18日 福田通産相が特振法の再提出を表明
7月19日 “ホンダスポーツ500の値段を四十五万九千円とし、十月から売り出す”と発表
7月21日 新聞紙上でスポーツ500の販売価格を発表
※同時にT360/T500の販売価格も公表される
7月22日 東京ヒルトン・ホテルにて「価格当てクイズ」の抽選会を実施
8月01日 新聞紙上で「価格当てクイズ」の当選者を発表
8月14日 荒川テストコースにてプレス向けの試乗会を実施
8月27日~31日 リェージュ - ソフィア - リェージュ・ラリーに2台のスポーツ500が参加
8月29日 ドイツ・コブレンツのライン川を航行する蒸気船「Rheine Dampfer」の船上で、
本田社長がスポーツ500を発表
本田社長はこのプレゼンテーションで、10月からスポーツ500の生産を開始する旨、発言する
会場には、白の左ハンドルスポーツ500が在ったとの証言あり
9月12~14日 ハンブルグのヨーロッパホンダGmbh前に、赤の左ハンドルスポーツ500を展示
9月頃 鈴鹿サーキットでスポーツ500のレンタルを開始
9月19日 車台番号打刻開始
9月21日 年式打刻制度による'64年型の基点日
10月26日
~11月10日 第10回自動車ショーに3台の試作車を出展
********1964年(昭和39年)********
1月17・18日 箱根・芦ノ湖スカイラインにて販売店向けの試乗会を実施
※対象は全国ホンダ会 東京ブロック会
(この試乗会は悪天候により中止になったが、集まった有志により試乗が行なわれた)
1月22・29日 鈴鹿サーキットにて販売店向けの試乗会を実施
※対象は全国ホンダ会 中部・関西ブロック会
1月26日・2月2日 荒川テストコースにて販売店向けの試乗会を実施
※対象は全国ホンダ会 東京ブロック会
1月30日 新聞記者会見にて藤沢専務がS500の販売が遅延した理由を説明
2月1日 S500全国一斉発売
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コメント
おひさしぶりです。すごい資料ですね。500は私は実車は一度も観た記憶ない車、じつは500と私ほとんど同じ年齢(どっちもおっさんやね(;д;))なんで親近感が(笑)この車は誕生までに特振法との絡みやはり大きいんですね。この販売店向け試乗会の写真、圧巻ですね、ホンダの四輪にかける思いが伝わるようです。ところで今スカパーで44年TBSで放送されたアクションドラマ、宝田明主演の新平四郎危機一発というのが放送されています。この中で主人公平四郎が赤いS800Mで毎回登場します。調べると当時スポンサーがホンダだったそう。元々は42年石坂浩二でスタートし当時の花形コスモスポーツが登場、しかし病気降板で宝田に変わり内容変更で車もアルファロメオに変更、さらにいったん終了して放送曜日変わり新スタートとなったときこの赤いs800登場となったようです。
投稿: ろくりん | 2010年5月25日 (火) 午後 04時53分
>ろくりんさん
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
今回のエントリーは、ネタとしては過去のエントリーで既出のものばかりなのですが、今回は各事象を時系列に並べることで、全体の流れを把握できるようにしてみました。
こんな風に年表形式にすると、ホンダが特振法を気にしながら、四輪車メーカーとしての既成事実を必死で積み上げていたことがよく分かりますね。
エスゴが隊列を組んでいる写真ですが、初めて見た時はかなりコーフンしました。
あんな状況、今では絶対に再現不可能ですからね。^^;
それと、ろくりんさんはエスゴとほぼ同年代とのこと。でしたら私より少し年上ということになります。
私はギリギリ60年代生まれで、物心が付いたのは70年代になってからなので、ご紹介のドラマのことは全く知りませんでした。
うちは地上波しか視聴できないのが残念です。。。
旧車と呼ばれるクルマの現役当時の映像を観るのは、楽しいですよね。
私は、TVで60年代の映画が放送されると、必ず録画して観ています。
また何か面白そうなネタがありましたら、是非教えて下さい!
投稿: mizma_g@管理人 | 2010年5月25日 (火) 午後 11時29分
Hello,
many thanks for your interesting site.
I want to inform you, that the Honda S500 was shown in Germany at
29. August 1963 on a tour ship on the river Rhein/Mosel near Koblenz (auto motor+sport 7/1963, page 26).
Mr. Soichiro Honda himself informed the german press and dealer about this sporty car.
It was the same time, when the rallye Spa – Sofia – Liege = (Marathon de la Route) was going on, where two teams with a LHD S500 participated. (25. – 31. August 1963)
Team 1) Japaner Nobuo Koga + Giichi Suzuki, no. 58, numberplate W.3033 (Giichi Suzuki died)
Team 2) Belgier Henri Quernette + Jean-Pierre Guyette, no. 78, numberplate W.3070 (both belgium numberplates)
Mr. Günther Molter was a journalist from the german car magazine auto motor+sport and his name was shown in your story WE DROVE THE CAR, about the car no.54. He has made an interview with Mr. Honda in 1962.
Regards from Germany
投稿: Erich | 2010年10月10日 (日) 午前 01時11分
Hi Erich.
Thank you for writing a comment to my blog.
I have some information about Sports500 in Europe in 1963.
Mr. Honda announced Sports500 in "Rheine Dampfer"(Steam boat to cruise on the Rheine river) on August 29, 1963.
Some people say that there was white LHD Sports500 at this time.
I am looking for the pictures of this white LHD Sports500.
And, red LHD Sports500 was shown in Humburg afterwards.
I think that this red LHD Sports500 is "HH-349TE".
HONDA was sending Europe another RHD Sports500 of light blue though two white LHD Sports500 participated in "Marathon De La Route" as you said.
It has the license plate of "FE892", and it was used for practice.
Giichi Suzuki practiced by this "FE892", and he broke the engine.
In Europe of 1963, five Sports500 seems to have existed.
Thank you for informing me about rare information from Germany.
I hope you have a great day!
mizma_g@管理人
投稿: mizma_g@管理人 | 2010年10月10日 (日) 午後 05時56分