ホンダスポーツが第1回日本グランプリに出走していた?
○ホンダS360やT360/S500の試作車について研究・考察している「三妻自工 Web site」はこちらです。
○Web site that researches and considers the concept model of HONDA S360 and T360/S500 is here.
朝日新聞の縮刷版ですが、昨日までに3月号から8月号までの全ページに目を通し終えました。
凡そ4500ページに目を通した訳ですが、二輪や四輪に関する広告や記事は思いのほか少なく感じました。
現在なら週末になると複数のメーカーが広告を新聞に掲載しますが、'63年当時の新聞ではそんなことは殆どなく、広告の掲載は非常に散発的です。
そんな中で、マツダが他のメーカーよりも頻繁に広告を掲載していたことが印象的でした。
記事の方はというと、ちょうど特振法(特定産業振興法案)が話題になっていた頃だったため、その絡みの記事がいくつか確認できました。
もちろん、ホンダ関連の記事もありました。
例えば、本田社長が搭乗していた飛行機が堕ちたことを伝えるものや、S360/500・T360/500の発売時期に関するものなど“四輪進出”に関連するものです。
それと'63年8月というと、ちょうどSports500がリェージュ-ソフィア ラリーに出場した時期だったため、ドライバーを務めた鈴木儀一選手の訃報を伝える記事もありました。
その鈴木儀一選手の訃報を伝える記事なのですが、非常に気になる一文があります。
(クリックで拡大表示)
文末に「鈴木選手はことし鈴鹿サーキットで行なわれたグランプリ・レースにホンダスポーツに乗って出場したことがあるベテラン。 」とあります。
“グランプリ・レース”とは「第1回日本グランプリ」のことと思われます。
“ホンダスポーツ”といったら、ホンダスポーツ500しか考えられませんね。
…だがちょっと待って欲しい。
第1回日本グランプリが開催されたのは'63年の5月3日~4日。
この時期に、前年の自動車ショーに出展されたスポーツ500の排気量と車体の外寸を拡大した「拡大版スポーツ500」が存在していた可能性はありますが、「拡大版スポーツ500」のベースとなった“浜松製作所製のSports360のシャシー”が製作されたのはグランプリの前月の4月のことです。
仮に、本当にスポーツ500がグランプリに出走していたとすると、おそらく車体が完成したのはレースの直前。
初期トラブルを出すためのテストをする時間は殆どなかったはずです。
しかも、このときスポーツ500はまだ“市販車”ではありませんでした。
果たして、このようなクルマでレースに出場できたのでしょうか?
第1回日本グランプリの映像(ビデオ)を持っているので、それで確認してみたのですが、残念ながらホンダスポーツの姿は確認できませんでした。
また、鈴木儀一選手の名前で検索すると「DKW」と「VW」で出走した記録は見つかるのですが(↓)、ホンダスポーツでの出走記録はみつかりません。
http://www.mmjp.or.jp/60srace/1963JAPANGP.html#top
http://naomi-taniguchi.hp.infoseek.co.jp/suzukigiichi3.htm
ということで、新聞記事の末文は記者の勘違いなのでは?と思ったのですが、ネットを徘徊していたところ“衝撃的”な映像を発見してしまいました。
↓ ↓ ↓ ↓
ttp://www.hinosamurai.org/Contents/motorsports/video_Japan_GP_1963/video_Japan_GP_1963.html
↑こちらのページにある動画の冒頭の部分を、目を凝らしてよーくご覧になってみて下さい。(許可なきリンクはお断りとのことなので頭の“h”を抜いてあります)
数秒ですが、仮ナンバーを付けた「拡大版のスポーツ500(リアバンパーがワンピースものになっているので拡大版と判断しました)」がカメラの前を右から左に横切るところが映っています。
ということは、第1回日本グランプリの会場に「拡大版のスポーツ500」があったことは間違いありません。
そうなると、やはり鈴木儀一選手はホンダスポーツでレースに出走していたのでしょうか?
資料がないので私にはこれ以上のことは判りません。
この件に関して何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご教示をお願い致します。。。
追記:ホンダOBのdenbey様から、ホンダは第1回日本GPにエントリーしていなかった旨、コメント欄にて
教えて頂きました。
ということは、鈴木儀一選手はホンダスポーツでレースに出走していなかったことになります。
つまり、朝日の新聞の記事は誤報だった訳です。
しかしながら第1回日本GPの会場にSports500があったことは、リンク先の動画を観れば分かる
ように間違いありません。
今回はこの“事実”を発見できたことが私にとっては収穫でした!
余談ですが、初期の「拡大版スポーツ500」は5台のみ研究所で製作されまして、そのうちの2台は左ハンドル車でアメリカに送られてテストやカタログ撮影に使用されました。
残る3台のうち2台は右ハンドル車で、その姿は'63年6月16日の新聞に掲載された“価格クイズ”で見ることができます。
(クリックで拡大表示)
残る1台の詳細は不明。
5台製作された研究所製「拡大版スポーツ500」ですが、幸いなことに右ハンドル車と左ハンドル車が各1台ずつ現存しているようです。
量産工場である浜松製作所でS500のプロトタイプ(量産試作車)の生産が始まったのは、先日のエントリーに書きましたように6月(グランプリ開催の翌月)からでした。
(クリックで拡大表示)
※放射状にスリットが入ったホイールキャップとスリットのないボンネットが、研究所製「拡大版Sports500」の特徴です
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コメント
みつまさん、今日は
第1回日本GPにはホンダはエントリーしていません、ビデオに有るのは確かにS500ですが仮ナンバーですね、量産車で無いと出場できません
鈴木さんが古賀さんとソフィアラリーに出て事故にあった時は研究所は大騒ぎでした
その古賀さんと第2回日本GPの時レースのメカ二ックをしていた私と鈴鹿の宿で同室で色々と話を聞きました
投稿: denbey | 2008年3月30日 (日) 午後 09時01分
denbey様
コメントありがとうございます。
なるほど、第1回日本GPにホンダはエントリーしていなかったのですね。
リンク先の動画を観て頭の中がかなり混乱してしまったのですが、これでスッキリしました。
ノスヒロ誌のソフィアラリーに関する記事を読み返してみたのですが、鈴木選手は第1回日本GPで四輪レースにデビューしたみたいですね。
ソフィアラリーの事故のことは中村良夫さんの著書で読んでいたので、現地の混乱ぶりについては多少知っていたのですが、研究所でも大騒ぎだったのですか。
当時は、現在のように通信事情がよくありませんでしたから、きっと事故の詳細が分からなくて大変だったのでしょうね。
なんといっても、結果が結果でしたし…。
古我選手の方は、事故後 所在が分からなくなってしまって、日本では「行方不明」と伝えられていたみたいですね。
鈴木選手の訃報が掲載された翌日の新聞には「古我選手みつかる」という記事が掲載されていました。
その古我選手から直接お話をお聞きしたとのこと。
そういえば、古我選手の証言が掲載された文献は見たことがないので、お聞きになったお話は貴重かもしれません!
投稿: mizma_g@管理人 | 2008年3月30日 (日) 午後 10時47分