トヨタ2000GTの真実 その3
トヨタ2000GTはトヨタで企画され、初期の設計もトヨタが行っていたことは前回書きました。
また、トヨタとヤマハが業務提携を結んだのは、’64年末ではないかという推測も前回書きました。
それでは、年が明けた’65年以降のトヨタとヤマハの関係は果たしてどうなっていたのでしょうか。
’64年12月28日にトヨタのスタッフがヤマハを訪れて、日産2000GT(A550X)を見学します。
そして年が明けると、トヨタからヤマハに1/5基本計画図と線図が送られます。
1月15日からは、トヨタのエンジニア、山崎(シャシーと全体レイアウト担当)、高木(エンジン担当)、野崎(デザイン担当)の3名が、週4日(火曜日~金曜日、月・土曜日はトヨタ勤務)ヤマハに出張するようになり、これ以降トヨタ2000GTの本格的な開発作業が始まります。
ヤマハ側のスタッフは、統括責任者:安川 力部長、エンジン:遠藤嘉徳課長、シャシーと車体設計:福田課長をリーダーに花川 均氏と岩佐主任。
その他艤装関係も含めても、ヤマハ側のスタッフの総数は20名に満たなかったそうです。
それでは、トヨタとヤマハの具体的な役割分担はどうなっていたのでしょうか?
幸いなことに、手元にシャシーに関する設計分担の一覧表があるので、それをご紹介します。
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