カテゴリー「Nissan Fairlady Z(S30)秘められた真相」の記事

2020年5月22日 (金)

日産の職制コード(部署コード)について

表題の件について、S30Zのスタイリング(ファイナル案)を手掛けた田村久米雄さんに尋ねた際の、田村さんからの返答をご紹介します。

Q:三妻自工
毎日グラフ'65年5月1日号に、以下のような記述がありました。
社内間の連絡を能率化するため、部課の名称がアルファベットと数字で区別されるようになった。実験部はY-20とあらわされ、第一、第二、第三の実験課はそれぞれY-21、Y-22、Y-23となる。
造形課にもこのようなアルファベットと数字を組み合わせた略称があったのでしょうか?

A:2013/12/20 (Fri) 10:25, "田村 久米雄"
’65年までは設計部造形課のコードはD56でしたが、おそらくプリンスを吸収合併した時点で職制コードの変更が行われました。第一設計管理部はK00、総務部はK01,技術電算課はK02、調査課はK03,第一設計部はK10,第一造形課はK12,第二設計部はK20,第二造形課はK22,第三設計部(東京荻窪の旧プリンス)はK30,第三造形課はK32となりました。この新たな職制コード化で何処の部署でどんな仕事を担当しているのかが解りやすくなりました。設計には、車体設計、車軸設計、補機設計、機関設計などの課に分かれていましたが、各課のコードは全く覚えていません。
マルZ開発時期から日産労組青年部の設計副ブロック長を務めていましたが、よその部署にコンタクトを取りたいときに、この職制コードは重宝しました。

200522_650501_0 (クリックで拡大表示)
出典:毎日グラフ'65年5月1日号 (以下の画像も同じ)

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2020年5月 7日 (木)

廉価版トヨタ2000GT(390A)と初代フェアレディZ(S30Z)の共通点

390Aの開発が関東自工で始まったのは、トヨタ2000GTが発売される直前の1967年(昭和42年)3月頃で、ちょうどその頃、日産ではのちにフェアレディZとして結実するマルZ計画が進められていた。
両車の共通点は、アメリカ市場をターゲットにしていたことで、390Aの販売価格は米国で3,500ドル(国内100万円)、S30Zの販売価格は米国で3,000ドル(国内100万円)とほぼ同価格に設定されていた。
片や採算度外視の手作り工芸品、片やマスプロダクション製品として企画された大量生産車。この二車が同価格帯で販売される可能性があったことは、意外な事実といえよう。

以下は、S30Zのファイナルデザイナー田村久米雄さんから頂いたメール。
マルZ計画時の設定価格のソースと、2000GTとS30Zを比較した際に感じた氏の率直な所感が伺えます。

件名 細谷さんのトヨタ2000GTの記事
送信者 田村 久米雄
宛先三妻自工
日時2013年09月16日 21:54:35

三妻自工さんへ
私がブルーバード510やS30のデザインに従事していた’66〜’68年頃、トヨタと日産は自動車業界の覇権を争っており、レース活動も日産はプリンス自動車を併合して積極的に参戦していましたが、トヨタが自社技術でトヨタ7で挑戦していたのに日産はシボレーエンジンを持ち込んでレースに臨んだ時は「技術の日産」のプライドを捨てて広告宣伝効果だけを狙った戦術に社員として落胆したものです。トヨタ2000GTが4輪ディスクやDOHC、フルシンクロ、4輪独立懸架などの新メカを採用していることを知っていましたが、自分が担当しているS30が何処まで最新メカを採用してくれるのか不安に感じていました。マルZ計画(次期スポーツカーを2シーター/クローズドボディのデザインで開発せよと云うプロジェクトでは当初から3000ドルの販売価格が目標でした)では100万円が販売価格のターゲットでしたから、’69年のモーターショーでS20エンジンを搭載した「フェアレディZ432」がマグホイール装備で185万円の価格で発表された時には「嘘だろう!!」と思いました。今にして思えば担当デザイナーの居ない状況で生産展開をしなければならない状況だったのでやむを得ない事だったのでしょうが、輸出仕様、国内仕様がバラバラで発売しなければならなかった状況に胸が痛みます。



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2020年4月 5日 (日)

【追想】デザイナーの想い 【田村さんが遺した言葉】

田村久米雄さんから頂いたメールの中から、これまでに公開していなかったものを紹介しようと思います。

件名 デザイナーの想い
送信者 田村 久米雄
宛先三妻自工
日時2013年08月23日 02:15:09

 カーデザインの成り立ちに対して、そのモデル発表直前のコンぺィティター・モデルを引き合いに出して、これを参考にしたんだろうと云った無責任な評論を聞く事が有りますが、このような評論に対して大いに違和感を感じています。私がS30のデザインを担当していた時期、既にジャガーEタイプやアルファロメオ・スパイダー、オペル・カデット、アストンマーチーンなどのヨーロッパのスポーツカー、アメリカのマスタング、カマーロ、シボレーコーベットなどが市場に登場しており、当然トヨタ2000GTにも注目して細部に至るまで観察していました。2000GTのいさぎの良いファストバック・スタイル、伸びやかなフェンダーライン、ボディサイドのいさぎ良いグラスカット、テールエンドのセクシーな処理など、魅力的だなと思わせるデザイン処理が随所にあり、私個人として好きなデザインだと感じていました。これは当時の欧米のスポーツカーのどれをとっても同様の感想でした。
 このような感想はカーデザイナーの皆さんが感じている感覚だと思うのですが、自分がファッション・モデルの仲間に入った時、ライバルのモデルの魅力を感じつつ、「私は私」と云ったプライドでチャレンジして処世して努力する姿勢に通ずるのではないかと感じています。
 ヘッドランプの処理では対米輸出のために(私の記憶ではグランドラインから24inch:609.6mmの高さが必要)S30ではフェンダー先端にヘッドランプを装着するデザインを選択しましたが、トヨタ2000GTはリトラクト式のヘッドライトを採用し、輸出に対するスタンスの違いを感じました。マルZ計画(次期スポーツカーをクローズドボディ、2シーターで開発せよと云うプロジェクト)以前の吉田(章夫)さん、千葉(陶)さんの「アドバンス・スタジオ」時代にリトラクト式のモデルも存在したようですが、私が担当した時期には全く考慮した事はありません。(この方式のランプデザインはランプ収納時はきれいなデザインなのに、ランプをセットすると「カエルの目玉」の様な姿になって、どう見ても美しいとは思えない事、収納時もパーティング・ラインが不揃いで醜い形になりやすい事などで、考慮の対象外でした。)
 私が2000GTに学んだことのデザイン上の反面教師の要素は、「余分なパーティング・ラインを加えたくない」と云うことでした。(2000GTファンの皆さんからの反感を買いそうですが)

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2020年3月28日 (土)

【最新版】初代フェアレディZ デザイン開発スタッフ一覧

初代フェアレディZ(以下S30Zと表記)のエクステリア・ファイナルデザイナーだった田村久米雄さんが当方に送って下さったテキスト資料から、S30Zのデザイン開発に関与したスタッフに関する情報を抜き出し、一覧としてまとめました。
残念ながらお名前が分からない方もいますが、これは田村さんが約3年の年月を掛けて収集した貴重な情報です。
S30Zの開発史の一断片として、ここに記録しておこうと思います。
200328_s30design_staff_20200328212601 (クリックで拡大表示)

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2020年3月22日 (日)

510ブルーバードと初代フェアレディZのデザイン開発スタッフ一覧

(2020/03/28)初代フェアレディZの一覧を差し替えました

↓これは、510ブルーバードのデザイン開発に関わった方を、当時造形課の課長だった四本和巳さんが一覧としてまとめたものです。
200322_510design_staff (クリックで拡大表示)
四本さんが書かれているように、本来こういった情報は一般には公表しないものですが、デザイン系の専門誌に掲載される寄稿文だったため特別に公表したようです。
エクステリアのチーフを務めた飯塚英博さんは、フェアレディ1500(SP310)のスタイリングを手掛けた方ですね。
飯塚さんの下で510のエクステリアデザインの実務を担当されたのは、渋谷さん、清水さん、内野さん、増山さんの四名。
最終的に内野案が採用されたことは皆さんご存知の通り。
200322_510design (クリックで拡大表示)
そういえば清水さんの回想記が某旧車誌で連載されていますね。

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2015年4月18日 (土)

田村久米雄氏が逝去されました

日本を代表する名車、日産フェアレディZ(S30型)のスタイリングを手掛けられた田村久米雄氏が、今月16日に亡くなられたと連絡を頂きました。
葬儀は、本日ご家族のみで執り行われたとのことです。

田村さんは日産自動車の造形課に在籍し、前任者である吉田章夫さんの後を引き継いで、S30Zのエクステリアデザインをまとめ上げた、稀代の名デザイナーでした。
その偉大な功績を、一人でも多く方に称えて頂けたらと、願わずにはおれません。
田村さんの訃報に接し、非常に大きな喪失感を感じています。
そして、最後まで田村さんを支援できなかったことを、とても悔やんでいます…。
全ては、私の力不足のせいなのですが。。。

田村さんに、謹んで哀悼の意を表します。

Dsc01907 (クリックで拡大表示)
山形の旧車イベントで人前に立った時は、足が震えたと仰っていました。

F7ed378ff6 (クリックで拡大表示)
Ken Okuyamaこと奥山清行氏は、田村さんの功績を認めて下さっていた一人です。
「やっと本物が現れた」と仰った奥山さんの一言が、全てを物語っていると思います。
このイベントの時には、奥山さんは出張先から態々飛行機に乗って田村さんに会いに来て下さったとのことでした。

画像を拝見していると、涙が止まらなくなりますね。。。
本当に辛いです…。
    

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2014年2月28日 (金)

お詫びとお知らせ

当ブログのカテゴリー、「Nissan Fairlady Z(S30)秘められた真相 」で公開していたエントリーは、本日をもって公開を終了しました。
全くもって不本意ながら、田村久米雄氏から寄稿して頂いた文章は、コメント欄のコメントを含めて一切合切 、全て削除致しました。

このような事態になった理由は、私の気持が折れて外部からの圧力に抗いきれなくなったためです。
ヘタレ管理人で本当に申し訳ありません…。

尚、当ブログや田村氏を支援して下さっている協力サイト様、協力ブログ様にご迷惑が掛からないよう、削除した各エントリーにはWebキャッシュへのリンクを記載しておきました。
Webキャッシュは、当ブログとは全く無関係な外部サイトなので、不服や抗議、異議の申し立てなどは、当該サイトの管理者に直接行なって頂くようお願い申し上げます。
当方の管理下にない外部サイトに関して、当方は一切関知しませんし一切責任を負いませんので、あしからずご了承下さい。


    

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2013年8月22日 (木)

いつやるか? 今でしょう!

ここ数日考えていることを、備忘のために記しておきます。

話は初代フェアレディZ(以下、S30Zと表記)のデザイン開発に関することです。
私が耳にしたところでは、田村久米雄氏が拙ブログに寄稿して下さった内容に関して、事実であることが証明されていない、或いは裏が取れていないので信用できないというご意見があるようです。
なるほど、そうですか。
では、そういうご意見をお持ちの方達に伺いますが、松尾良彦氏がこれまでメディアに証言してきたことや、メディアを利用して松尾氏自身が発信してきた情報は、きちんと裏が取られて間違いなく事実であることが確認されているでしょうか?
されていませんよね。
私が知る範囲では、殆ど全てが松尾氏の証言を裏取りもせずにただ垂れ流すだけの記事であったり番組でした。

松尾氏の証言は、裏取りもせずに事実だと決めつけ、田村氏の証言は事実であることが証明されていないから信じない。
これは、典型的なダブルスタンダードですよね。
「人は自分が信じたいことしか信じない」とよく言われますが、まさにその典型的な例といえるでしょう。
こんなのはアンフェア、不公平としかいいようがありません。
あるいはご都合主義とも言えるでしょう。

少し話が横道に逸れますが、我が国の放送法第四条には以下のような条文があります。

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
(出典:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html

これは放送事業者を対象にした法律ですが、マスメディアの一端を担う新聞や雑誌などの紙媒体も、編集に当たって当然遵守すべき事柄でしょう。
で、注目して頂きたいのが第四号の条文です。
“意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること”というのはつまり、複数の意見がある場合は全てを取り上げた上で、様々な角度から検証し論点を明らかにしなさいということです。
放送の場合は、必ずこうしなさいよということが法律によって決まっているのです。
これは逆に言えば、“特定の意見だけを取り上げるのはご法度だ”と解釈できるでしょう。

ところが、私の知る範囲での話ですがある旧車専門誌の二誌が、田村氏の意見は取り上げないことを明言しています。
今の段階では、その二誌の誌名は明かさないでおきますが、悲しいかなこれが現実です。
理由は、どうやら松尾氏と懇意にしている関係で、松尾氏の立場が悪くなるような記事は掲載できない、ということのようです。
メディアが守るべきルールよりも、お友達関係の方が大事だとは、何ともお粗末な話ですね。
そんなことはともかく、意見が対立している問題については両論を併記する、これが報道の大原則といえるでしょう。
意見を恣意的に取捨選択することは、結果的に事実を枉げることになりますから、絶対にするべきではありません。
もし松尾氏の意見を取り上げる場合は、田村氏の意見も取り上げるべきですし、田村氏の意見を取り上げないのならば、事実であることが確認されていない松尾氏の意見も、同様に取り上げるべきではありません。
それが、公平な報道というものです。
私のこの主張は、間違っていますかね。

再び話が横道に逸れますが、トヨタ2000GTのバイブル本の著者として有名な吉川信氏は、以前 以下のようなことを私に語られました。

・松尾氏とも永い付き合いですね。今日もZの開発の話を色々聞きましたよ。
・当時から追浜には私自身出入りをしておりました。
・この方々(管理人注:S30Zのデザイン開発に関わったデザイナーやモデラーの方達)は存知あげておりますよ、そしてこの方々がお持ちでない資料やデザインスケッチ、更に当時のマル秘資料も段ボール箱に5箱も持っております。
・S30Zの本を出すとすればトヨタ2000GTの本の3倍くらいのボリュームになり既に原稿は仕上げています。
(以上、すべて原文ママ)

ご覧のように、吉川氏は既にS30Zに関する本の原稿を書き上げていて、その分量はなんとトヨタ2000GT本の3倍にもなるそうです。
しかも、吉川氏は当時から追浜に出入りしていてマル秘資料も沢山持っているとのこと。
吉川氏は、S30Zの本を出すつもりはないと言っていましたが、もし出版されれば、トヨタ2000GT本での実績から考えて、きっとS30Z研究の第一人者と言われることになるでしょう。
そんな吉川氏の主張は“松尾氏こそS30Zの真のデザイナー”で“田村氏は偽物”というものです。
しかし、私が吉川氏とやり取りする中で、吉川氏が田村氏の主張に対して論理的に反駁したことは只の一度もなく、松尾氏が真のデザイナーであることを何がしかの証拠を示して証明することもありませんでした。
もっと言えば、S30Zのデザイン開発に関する具体的な話はひとつも出てこず、対人論証に終始していました。
対人論証というのは、「主張の内容ではなく、相手の人格を攻撃することにより、主張・反論の代わりにしようとする詭弁」です。
詭弁にも色々種類がありますが、対人論証はまあ、一番下品でレベルの低いものと言えるでしょうね。(苦笑
そんな訳で、S30Z研究の大家とも言える人物でさえも、具体的な証拠を挙げて松尾氏の意見の正当性を立証することはできなかったのです。
田村氏の意見に対して論理的に反駁して、田村氏を論破することはできなかったのです。
これは紛うことなき事実です。
私と吉川氏とのやり取りをご覧なった方は、恐らく沢山いますよね。(あの時の拙ブログへのアクセス数は相当なのもでしたし、吉川氏も自身のブログのアクセス数が増えたと言ってましたから)
上掲の、吉川氏の証言(元はブログのコメント)は、既に吉川氏によって削除されていますが、私は消される前に当該エントリーを丸ごと保存しておいたので、いつでも何度でも吉川氏の証言を再現することができます。
私がここに書いた事が事実であることを証明するのは、容易いことです。

ということで、松尾氏擁護派の中で恐らく一番の実力者であり最も沢山の情報を持っているであろう吉川氏をもってしてもこのような按配でした。
他に誰が、松尾氏の主張が絶対無謬の真実であることを証明できるでしょうか。
これまで誰も、その主張の正当性を証明できなかった松尾氏の意見を、メディアが“事実”として報道してきたことの是非を、我々旧車ファンは大いに議論すべきではないでしょうか。

ここで誤解して欲しくないのは、これは個人の功績の奪い合いという小さな話ではないとうことです。
田村氏も松尾氏も、S30Zのデザイン開発の現場に立ち会った当事者です。
その両名の意見が相違しているのですから、何が真実なのかをきちんと調査するべきだ、というのが私の考えであり熱望していることです。
誰の功績であるか、誰が虚言を述べて世間を欺いたか、ということを明らかにすることは、当ブログの本旨ではありません。
それらは、真実・真相が詳らかになればおのずと判明することですから、敢えて目を向ける必要はないのです。
そして、先に述べたように、S30Zのデザイン開発をメディアが取り上げる場合は、必ず田村氏と松尾氏の両論を併記して論点を明らかにするべきで、一方の意見を取り上げないのならばもう一方の意見も取り上げないようにして常に公平公正を期して欲しい、というのが私のもう一つの望みです。
繰り返しになりますが、意見の取捨選択を恣意的に行なえば、事実を枉げることになり良いことは何もありません。
誰かの都合で国産旧車史を捻じ曲げるようなことは、もうして欲しくないのです。
これは、全ての旧車ファンが望むことでしょう。

私が以前、YouTubeにS30Zに関する動画を投稿した際、Zフリークが集う海外のフォーラムにその動画を主題にしたトピックが立ちました。
そのトピックでも、やはり松尾氏擁護派が多かったのですけれど、そんな中でS30Zのヒストリーにかなり詳しいと思しき方がこんなようなことを言っていました。
「優秀な子供には、沢山の親が現れる」
松尾氏擁護派の急先鋒のような人でしたから、松尾氏が本物の親で、田村氏は功名心に駆られて現れたニセ親だと言いたかったようです。
でも、残念ながら松尾氏も、所詮は産みの親を自称しているだけですよね、現時点では。
とすれば、今必要なのはきちんとDNA鑑定をすることでしょう。
少なくとも田村氏はDNA鑑定が為されることを望んでいますし、松尾氏にしても長年 ご自身が主張してきたことが事実であることを証明されるよい機会ですから、これを拒むことはないはずです。
S30Zの愛好家の方達も、(自分が信じたいことしか信じないご都合主義者でなければ)DNA鑑定がなされて真相が明らかになることを、喜んで受け入れてくれるはずです。
幸い、当時S30Zのデザイン開発に関わった当事者の方達の多くはご存命なので、鑑定士には事欠きません。
誰の不利益になる訳でもないのですから、これをやらない手はないですよね。

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2013年7月30日 (火)

日産の販売政策に関する疑問

田村さんから以下のような内容のメールを頂きました。
私は、60年代の自動車業界に関する知識がないので皆目見当がつきません。
もしこのブログの読者の中に、当時の業界の事情に詳しい方がおられましたら、コメントを頂けるとありがたいです。
是非、よろしくお願いします。

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私が日産に在籍当時(’64〜’70年)、足回りの装備に関してはトヨタ、三菱、ホンダ、マツダ、いすゞなどに比べて
ホイールのサイズやワイド化などの装備が日産は常に2〜3年遅れていると感じており、何故なのか造形課の先輩達に
聞いても納得のゆく返事を貰えませんでしたが、当時私は労組青年部の幹事(設計部副ブロック長をしていた)だったので
設計の仲間から聞いたのはトヨタなどはメーカー直系の販売網なので、理想的な仕様として出荷できるのだが、
日産の販売網は独立系の販売店でタイヤは二流ブランドのバイアスタイヤで出荷し、デーラーにオプション装備として
ラジアルタイヤ、ワイドホイールなどを売らせて販売店の増収策としているんだと聞きました。
S30の国内仕様は明らかにそのような気配を感じました。
独立系の販売店しか持たない他メーカーもあったと思うのですが、日産にメーカーとしてのプライド、良心はあったのかどうか
疑問を感じています。
業界の事情に詳しい諸兄の御意見を伺えればと思っています。

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2013年7月28日 (日)

【フェアレディZ】ビーム定規とマグネシウムホイール【S30Z】

初代フェアレディZ(以下、S30Zと表記)のエクステリアを手掛けられた田村久米雄さんから、細谷さんの回想録を読んだ感想と、S30Zのマグネシウムホイールに関するお話を寄せて頂きましたので、以下に掲載します。

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トヨタ2000GTの細谷四方洋さんのお話、非常に興味深く拝見しています。
線図を描く時にビーム定規(日産でもバッテンと呼んでいました)をバランス・ウエイトで挟んだり、抑えたりしてカーブを創って作業したことを思い出しました。
入社時からA550Xの開発でヤマハの板金職人のレベルが非常に高いものだったと先輩達から聞いていました。

それとホイールに関してですが、丸Z計画でデザイン開発を進めていた’67年時点では、アルミホイールやマグホイールは鋳造技術が確立しておらず(鋳造したホイールのリム部を切削加工した後、探傷テストをすると60%が不合格で)、コスト的に量産車には採用できない、と云うのが当時の日産車体設計、車軸設計の見解で、私が一貫してセットしていたZ専用の鉄チンホイールのデザインが認められるものと思っていました。
’68年当初、スタジオの桑原君が何やらホイールのモデリングをしているようだったので聞いたら、マグホイールのデザインだとの事。
量産ではないレース用のホイールだと思っていました。
過去のZの開発に関する資料には鉄チンホイールのデザインをトライしていた形跡が有りますが、’69年のモーターショーで発表されたモデルには、特別にデザインされた鉄チンホイールは無く、乗用車のホイールカバーをアレンジして装着し、スポーツカーらしくない幅の狭いクロスプライタイヤのまま、レース用だと思っていた桑原君のデザインしたマグホイール(何と!!標準車より85万円も高額の価格設定!で、機密性に問題が有ったようで、市販車は全てチューブ入りで販売されたようです。)が装着されており、私にとって????という姿でした。
’70年になると窒素封入?の鋳造法が普及したようで、各社アルミホイールが登場するようになります。
この辺りの日産の商品計画に多いに疑問を感じました。
 

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細谷さんの回想録 その1の中に出てきたバッテンという道具は、ビーム定規というものだったようです。
日産でもトヨタでも、ビーム定規をバッテンと読んでいたのは興味深い事実ですね。
もしかたら、工業デザイン界で共通の呼称だったのでしょうか。

それと、ヤマハの板金職人のお話で思い出しました。
ヤマハの西岡幹夫さんという凄腕の板金職人を“元日産の方”と以前のエントリーに書きましたが、これは誤りでした。
西岡幹夫さんは日産とは無関係の方でした。(某旧車誌に騙された…orz)
西岡幹夫さんがヤマハに入るまでの経緯については、のち程詳しく書きますが(結構面白い話です)、取り急ぎこの場でお詫びと訂正をさせて頂きます。
間違った情報を発信してしまい、大変申し訳ありませんでした。。。

マグネシウムホイールは、60年代の時点ではまだ製造するのが難しかったみたいで、しかもコストがバカ高だったとくれば、トヨタ2000GTへの採用はかなりの英断だったと推測できそうです。
ただ、トヨタ2000GTはトヨタのイメージリーダーカーとして、ある程度コストを度外視して作られたようですから、高価なマグネシウムホイールの採用も理解できますが、トヨタ2000GTとは対極の大衆向けスポーツカーだったS30Zへの採用は、少し解せないところがありますね。
もしかしたら、レースのレギュレーションなんかが関係していたのでしょうか。

それにしても、こんな場末の泡沫ブログに、カーデザイン界のレジェンドとレース界のレジェンドのお二方から寄稿して頂けるなんて、本当に夢のようです。
旧車マニア冥利に尽きますね。
ただ、こういう状況になるのは、裏を返せばマスなメディアが正確な情報の発信をしてこなかった証左ですから、ヒストリアンとしては手放しでは喜べません。
しかしながら、詳しいことは書けませんがトヨタ2000GTに関しては、心ある方が正確な史実を後世に残すために、今後尽力して下さるので心配は無用のようです。
一方のS30Zの方は、果たしてどうなるのか…。
メディアの機動力をもってすれば、当時の関係者に片っ端から取材することで、何が真実なのか真相を確認することは可能なはずです。
きっと残された時間はそう多くないと思うので、手遅れにならないうちに、気概のあるメディアが現れて、正確な史実を後世に残してくれることを願ってやみません。

(1時間掛けて書いたエントリーが、投稿に失敗して消えてしまい、もう一度最初から書き直しました。メモ帳に下書きしなかった時に限って投稿に失敗するのはなんなのでしょうね…。)

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