カテゴリー「Nissan 2000GT(A550X)の真実」の記事

2021年12月 2日 (木)

ボクの宝もの

このエントリーは12月2日午後10時に書いています。ということは、今年も残すところあと29日と数時間。
2021年も、もう少しで終わってしまいます。
結局今年も新型コロナに振り回された一年となりましたが、個人的には嬉しい出来事がありました。
それは、長年探していた本を手に入れられたことです。↓
211202__01 (クリックで拡大表示)
本の名前は「いつの日も遠く」で、著者は安川 力氏。
安川氏はヤマハ発動機株式会社(以下、ヤマ発)のヤマハ技術研究所にあった「安川研究室」の室長で、ヤマ発が自主開発した四輪車YX-30の開発責任者を務め、ヤマ発が日産やトヨタと業務提携した際にはA550Xやトヨタ2000GTのヤマ発側の開発責任者を担当された、ヤマ発の四輪事業に関する実情の全てを知る重要なキーマンと言えます。
「いつの日も遠く」はそんな安川氏が執筆した自叙伝で、氏が携わった仕事について事細かに記録されています。非常に貴重な資料です。
ただ、「いつの日も遠く」は私家版として制作されたものゆえ、印刷された部数が少なく市場にも流通しなかったため、手に入れるのはまず無理だろうと半ば諦めていました。ところが今年、ひょんなことからこの貴重な本を入手することができたのです。
そして、"ボクの宝もの"となった訳です。
因みに安川氏は今年の7月に逝去されています。歴史の生き証人が失われたことを、非常に残念に思います。
「いつの日も遠く」はweb版がヤマ発の公式サイトで公開されているので、興味のある向きは探してご覧になってみて下さい。

"ボクの宝もの"その2。
ブログを長くやっていると時には思いがけないことが起こります。
私にとって今までで一番のサプライズは、故ポール・フレールさんの奥様のシュザンヌ・フレール(Suzanne Frere)さんからお手紙を頂いたことです。
自筆のお手紙にはなんと!、ポール・フレールさんの生写真が同封されていました。
しかも、そのお写真はシュザンヌさんがお気に入りだったもので、ホンダの上原さん(初代NSXの開発責任者)とお会いになった時には持参して、上原んにお見せになったとのことです。↓
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左が頂いた生写真、右はホンダの公式サイトに掲載されたシュザンヌさんの画像です。
シュザンヌさんが手に持っておられる写真と、私のPCモニターの前に置かれている写真は全く同じものでしょ?
写真の裏側には"5・1959"という数字とプリントした写真店(?)の店名や住所などかスタンプされています。
数字は写真をプリントした年月でしょうか。写真の裏面は全体的に黄ばんでいて、長い年月の経過を感じさせます。
211202_photo2   (クリックで拡大表示)
ポール・フレールさんの奥様から頂いたポール・フレールさんの生写真。これも大事な大事な"ボクの宝もの"です。
どこの馬の骨とも知れぬ日本人の私にお手紙と写真を送って下さったシュザンヌさんは、残念ながら既に故人となってしまいました。
世の無常を感じずにはいられません。。。
(追記)
シュザンヌさんからお手紙を頂くことになった経緯については、↓こちらのエントリーをご参照下さい。
http://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/cr--9155.html


"ボクの宝もの"はまだあります。
これは↓、チームトヨタのキャプテンを務め、トヨタスポーツ800やトヨタ2000GT、トヨタ7を駆ってレースで大活躍した細谷四方洋さんから頂いたトヨタ2000GTのモデルカーで、このモデルカー自体も"ボクの宝もの"なのですが、
211202_2000gt_modelcar   (クリックで拡大表示)
モデルカー以上にお宝なのは、細谷さんに直接執筆して頂いた回想録の原稿です。
細谷さんを取材して書かれた書籍や記事は数多ありますが、細谷さんが自ら綴って下さったトヨタ2000GTの開発記やレース活動の記録は、当ブログでしか読めないものです。
細谷さんが慣れないPCを使ってご苦労をされながら書いて下さった原稿は、"ボクの宝もの"以外の何物でもありません。

長くなるので、これで最後にします。
最後に紹介する"ボクの宝もの"は、初代フェアレディZのエクステリアデザイン(ファイナル案)を担当された田村久米雄さんが、当ブログのために書いて下さった原稿です。
頂いた原稿の殆どはブログで紹介済みですが、諸般の事情から未公開になっているものもあります。
それが大変申し訳なくって、己の力のなさに切歯扼腕する次第です。
田村さんも残念ながら亡くなっており、もうお話を伺うことは出来なくなってしまいました。
211202_s30z_illustration   (クリックで拡大表示)
これは田村さんが描いたS30Zのイラストです。もちろん頂きものです。


こんな泡沫ブログでも長年続けていると色々な出会いがあり、全く無名の私のような人間でも、著名な方達と交流することができてしまうのですからインターネットって凄いですね。
コンピューターは私にとって、まさに魔法の箱です。
ただ、元々ブログは文章を書く練習のつもりで始めたものでして・・・、でも長年ブログを続けても文章力は全く向上せず。
本来の目的は何年経っても果たせない、ダメな"ボク"なのでした。orz

 

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2014年9月16日 (火)

Toyota2000GT/Nissan2000GT(A550X)同祖論を喝破する その2

「日産2000GTの真実、その1その2その3をこのブログで公開してから7年の月日が経過しましたが、ネット上では未だに「ヤマハが持ち込んだ設計図を元に日産が作ったのがA550X(日産2000GT)で、トヨタが作ったのがトヨタ2000GT。両車の開発はヤマハが主導して行なった。」と主張する方が後を絶ちません。
こういった説を主張される方達の特徴というか共通点は全く論拠を示さないことですが、それでもこういう物語は多くの人の興味を惹くようで、皆さん鵜呑みにしてしまわれるようです。

まあ、何を信じるも個人の自由ですから、私がどうこういう問題ではないのですけれど、でも事実とは全く異なる言説が拡散する事態を看過すれば、それは私自身もデマの拡散に間接的に手を貸したことになってしまいます。
こういった事態は私にとって全く本位ではありませんから、やはりしっかりと反証しておかなければなりません。

070402a550x (クリックで拡大表示)
上掲の資料はヤマハが1996年に発行したものの一節です。
ご覧のように、日産は概略の全体図と線図をヤマハに提示し、ヤマハはこれらを元に組立図を作成して、逐一日産に図面のチェックをしてもらっていました。
設計の悪い部分があれば、ヤマハは日産の指導を受けて図面の修正を行い、最終的に日産から承認を得て図面が完成する、というプロセスへてA550Xの設計図は完成した訳です。
こういった設計の経緯から判明する事実は、図面の作成過程において日産が、ヤマハがという関係にあったということです。
また、設計図自体も、事前にヤマハが持ち込んだのではなく、A550Xの開発が始まってから日産が主導する形でヤマハが作図していたことが分かります。
つまり、「ヤマハが持ち込んだ設計図を元に日産が作ったのがA550X(日産2000GT)」などという説は、事実とは全く異なった何処かの誰かさんが創作したファンタジーでしかないという訳です。

トヨタ2000GTの場合も全く同様で、トヨタで作成した全体設計図を元に、ヤマハが各部の詳細設計図を作成して、プロジェクトリーダーの河野二郎さんに承認を受ける形になっていました。
また、設計に際してヤマハの技術者だけでは手に負えない部分については、トヨタの稲川常務が橋渡し役をして、トヨタの生産技術の実務者からアドバイスを受けていたそうです。
(この情報のソースも、ヤマハが1996年に発行した資料です ↓)
140917(クリックで拡大表示)
トヨタ2000GTの開発でも、やはりトヨタがでヤマハがの関係であった訳です。
したがって「ヤマハが持ち込んだ設計図を元にトヨタとヤマハが共作したのがトヨタ2000GT」なる説も、事実とは全く異なった何処かの誰かさんが創作したファンタジーでしかない、ということになります。

以前のエントリーにも書きましたが、A550X・トヨタ2000GT同祖論などというものは、どう考えても成り立たない訳です。
当ブログの読者様におかれましては、ネット上に蔓延るこのようなデマに惑わされませんように、くれぐれもご注意頂ければと思います。

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2010年6月23日 (水)

YAMAHA A550Xと呼ばないで!

ちょっと気になったので書いておきます。
  
国内国外を問わず、日産2000GT(A550X)のことを「YAMAHA A550X」或いは「ヤマハ A550X」と表記しているウェブサイトが散見されますが、これは明らかにおかしいです。
 
何故ならA***X(*は数字)という開発コードは、日産が自社の試作車に用いたものだからです。
ヤマハでは、試作車にYX***(*は数字)という開発コードを使用していました。

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2010年6月18日 (金)

Nissan2000GT(A550X)は何台作られたのか?

日産2000GTの製作台数については、実は二つの説があります。
一つはNostalgic Hero誌が主張している3台説。 
そしてもう一つは、トヨタ2000GTの写真集を出版された吉川 信氏が主張されている2台説です。
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         (Click image for full size) 
Nostalgic Hero誌も吉川氏も、日産2000GTの開発に関わった方達に直接を取材をされているので、記事の内容の信憑性は高いと思いますが、それでは何故製作台数について齟齬が生じるのか…その理由は私には分かりません。

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2010年6月 5日 (土)

Toyota2000GT/Nissan2000GT(A550X)同祖論を喝破する

トヨタ2000GTと日産2000GT(A550X)の関連については過去のエントリーで何度も取り上げていますが、今回もひつこくこの件を追及しようと思います。

さて、俗説ではトヨタ2000GTも日産2000GTもヤマハが設計図、或いは企画を持ち込んで出来たクルマだということになっていますよね。
それ故に、両車のルーツは同じであり、「トヨタはスポーツカーを開発するスキルが無くて日産でボツになった企画をヤマハから買った」とか、「開発もヤマハに丸投げでトヨタ2000GTはトヨタのバッヂを付けただけのクルマ」などと、トヨタにとっては侮辱的ともいえる言説がネット上で広く語られています。

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2010年3月29日 (月)

“トヨタ2000GTは実質ヤマハ2000GT”って本当ですか?

久しぶりの更新になってしまいました。
相変わらず、毎日英作文に四苦八苦しています。

ところで、先日このブログのアクセス解析を見ていたら、「ヤマハ2000GT」のキーワードで検索して拙ブログにお越しになられた方がいることに気付きました。

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2009年5月25日 (月)

Classic Days

  私の怠慢で少しばかり古い話になってしまいましたが、今月の1日と2日にフランスのMagny-Cours(マニクール)サーキットで開催された、Classic Daysというイベントの模様をご紹介しようと思います。

090525_classic_days (クリックで拡大表示)

まずは、こちらがClassic Daysのオフィシャル・サイトです。↓
http://www.classic-days.fr/2009/pages/en/home.html

私もイベントの詳しい内容はよく分からないのですが、どうやらF1も開催される有名なサーキットを旧車で走るイベントのようです。(間違っていたらごめんなさい…)
この手のイベントではお約束ともいえるスワップミートも行なわれたようなので、日本でもよくある“サーキット走行ありの旧車ミーティング”といったものではないかと思います。

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2009年5月 7日 (木)

トヨタ2000GT/日産2000GTのヤマハ開発説などに関するいくつかの疑問

 

 

追記あり

相変わらず“A550X”や“日産2000GT”で検索して当ブログにお越しになる方が多いですね。
このエントリーを書いている時点で、左のサイドバーにある“検索フレーズランキング”の1位はA550X、日産2000GTは6位になっています。
4月25日のエントリーの最後に、“「トヨタ2000GTや初代フェアレディZのルーツは日産2000GT」なる説の妥当性について検証するエントリーを書く”と書きましたが、その前に、巷間で言われているトヨタ2000GT/日産2000GTのヤマハ開発説トヨタ2000GT=日産2000GT説について個人的に疑問に思ったことがいくつかあるので、それらを以下に列挙してみようと思います。

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2008年12月15日 (月)

トヨタ2000GTは日産2000GTの影響を受けていたのか

先日アップしたゲルツ氏のインタビューの中で、ちょっと気になった部分があったのでエントリーを書いてみます。

私が気になった部分ですが、それは「ヤマハがGTを作っていたよ。赤いGTでね。それがニッサン550Xだよ。ヤマハにとって、トヨタ2000GTを作るときに参考になったと思うよ。 」というところ。
果たしてゲルツ氏が言うように、本当に日産2000GT(A550X)はトヨタ2000GTを作る時に参考になったのでしょうか。

一般に広まっている俗説では、ヤマハが日産にスポーツカーの企画、或いは設計図を持ち込んで出来たのが日産2000GT(A550X)で、日産2000GTが完成したところで日産とヤマハの提携が解消され日産2000GTがお蔵入りになってしまったため、ヤマハは次にトヨタにスポツーカーの企画、或いは設計図を持ち込み、結果出来上がったのがトヨタ2000GTだと言われています。
企画、或いは設計図を持ち込んだのがヤマハだったため、両車の開発はヤマハが主導して行なったとも言われています。
これらの(誤った)事実関係から、日産2000GT(A550X)≒トヨタ2000GTではないかとか、ほぼ同じクルマとは言わないまでも、時系列を考えるとトヨタ2000GTは日産2000GTの影響を少なからず受けているのでは、と推測されることが多いようです。

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2008年12月12日 (金)

Goertz Interview 「アルブレヒト・ゲルツに聞く」

古いNostalgic Hero誌を読み返していたところ、アルブレヒト・ゲルツ氏のインタビュー記事を発見したので早速テキストを起こしてみました。
記事には、初代シルビアの“木村一男氏デザイン説”や、日産2000GT(A550X)・トヨタ2000GT・フェアレディZのデザインを手掛けたと言われていることに対しての氏の見解が記されています。
興味のある方は、ぜひご覧になってみて下さい。

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Q:失礼ですがあなたはゲルツさんですか?
A:いや、違うよ。あそこにいる女の子がそうじゃないか。

Q:私はBMW503、BMW507をデザインし、日産車のデザインにも協力したゲルツを探しているんです。
A:それは私だ。私がアルブレヒト・グラーフ・ゲルツだ。からかって悪かったよ。

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