カテゴリー「Honda その他」の記事

2021年3月31日 (水)

春ですね

地元の桜の名所、福岡堰で撮影
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Aquos sense4

近所の稲荷大明神で撮影
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ASUS ZenFone3

近所の桜並木で撮影
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Aquos sense4

軽自動車検査協会で撮影
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年度末なので激混みでした。当然ながら、桜はありません。
Aquos sense4

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2021年1月 2日 (土)

明けましておめでとうございます

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コロナ終息というゴールに辿り着けることを願って・・・。

 

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2020年11月13日 (金)

幻の"ホンダ R800"に関する通説を、無知な管理人が無謀にもひっくり返して爆死するエントリー(暗愚

ホンダR800といえば、ホンダRSC(レーシング・サービス・クラブ)と鈴鹿サーキットが独自に開発した車両で、1969年4月に開催された鈴鹿500キロ自動車レースでデビューを果たし、並居る強豪を相手にトヨタ7(415S/V8 2,987cc)に次ぐ総合第2位を獲得した、驚異の小排気量レーシングスポーツであることは広く知られていると思う。
このR800は、ブラバムの"F3シャシー"を流用してRSCが独自に仕上げたフレームに、S800のエンジンとヒューランドのギアボックスを搭載したものだった。
そして、レース出場時にエントリーシート記載された車両名及び車体名は"ホンダ800R"であった。

正式な車名がR800か800Rかはさておき(この稿では、参考にしているホンダの資料に倣ってR800で統一する)、デビュー戦で好結果を残したことは、レースの翌日にサーキットホテルで会議をしていた藤澤武夫副社長(当時)に伝えられ、朗報を聞いた藤澤副社長はRSCの木村昌夫氏を呼んで話を聞き、「ちょっと(クルマを)見たいな」ということでサーキット内にあるRSCの工場に出向いて、R800を目の当たりにした。そして、この時 藤澤副社長が発した言葉は「このクルマ、ホントにここで作ったの?」というものだった。
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     (RSCの工場で藤澤副社長にR800の説明をする木村昌夫氏)
 

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2020年5月 2日 (土)

【driver@web】ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!

1964年2月26日に荒川テストコースで行われた、ホンダS600のメディア向け試乗会を取材したドライバー誌の記事(1964年4月号に掲載)がdriver@webにアップされています。
表題の記事は最近執筆されたものですが、当時の記事そのものがPDFで公開されていますので、興味のある向きご覧になってみて下さい。
ゴールデンウィークをReading Weekとして過ごすのも一興かと思いますよ。

ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!【東京オリンピック1964年特集Vol.5】
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試乗会でお披露目されたこのS600は、S500の車体とエンジンを流用して研究所で仕立てられたものでした。
実は、S500の生産設備でS600を作る事は出来なかったんです。藤澤さんがS500の発売遅延の理由を説明した際に、「S600の登場を待って」と述べたのはこういった事情があったからでした。
もう少し分かりやすく言うと、S500とS600には決定的に違う部分があったためS600の量産開始が遅れ、それにつられるカタチでS500の発売も予定より遅くなってしまった、という訳です。
両車の決定的に違う部分については、もったいぶって申し訳ありませんがここではナイショにしておきますね。

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2020年4月20日 (月)

ホンダの塗色コードシステム

最近のことは分かりませんが、ホンダが四輪の生産を始めた頃の車体色のカラーコード(色記号)は、二輪の方式が引き継がれて「アルファベット - 数字  色名」という体裁でした。
200420_colorcode1 (クリックで拡大表示)
アルファベットの部分は何を意味しているかというと、マンセル色相環の色相記号で、数字は色開発の順番を表していました。
例えば「Y-3 クロームイエロー」ならば、Yellow色相に属する3番目に開発された色、ということになります。
200420_munsell-color-system (クリックで拡大表示)
ただ、マンセル色相環にはご覧のようにWhiteやBlack、その中間色のGrey、あるいはMetallicなどはないので、それらには"NH"という符丁が用いられました。
NHの意味は・・・分かりません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ともご教示下さい。
200420_colorcode2 (クリックで拡大表示)

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2020年3月10日 (火)

【希少】S500量産試作車の映像【レア】

海外の動画サイトでS500の量産試作車の映像をみつけました。↓
https://www.britishpathe.com/video/VLVA3Z1UEVTZZXZ1M7FBO8UNK5TJJ-JAPAN-HONDA-CAR-ROAD-TEST/query/honda
(ポインターを映像に重ねたときに右上の角に表示される三角マークをクリックすると全画面表示になります)

エンジンはもちろんオイルバスエアクリーナー付き。 
シリンダーヘッドカバーに付くブリーザーカバーがボルト2本留めのタイプは、AS・AKのオーソリティの方によれば、試作エンジンの中でも少量しか作られなかった極初期のものとのこと。
ただし、このタイプのエンジンは比較的露出が多く、当時の雑誌等をつぶさに観察するとそこかしこで見つけることができます。
例えば、S600顔のS600の試作1号車に搭載されたエンジンも、このブリーザーカバーがボルト2本留めのタイプだったりします。
つまり、S500の試作エンジンを流用した600ccエンジンだった訳ですね。(下掲の画像のように1号車は車体もS500のものが流用されていました)
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2020年3月 7日 (土)

【Old-timer】公開校閲その6(最終回)【171号】

25頁上段左の写真キャプション中に「(S500は)月産1000台を目標に10月1日から市販に入った。」とあります。また31頁上から2段目左の写真キャプション中にも「S500('63年10月発売)をカバーする形で'64年1月から併売されたS600は'63年末には量産試作車が完成していた。」との記述がありますが、S500の発売は1964年2月1日S600の発売は同年3月1日、S600の量産試作が浜松製作所で始まったのは同年2月からなので、'63年末の時点で量産試作車が存在することはあり得ません。
今回のホンダ特集の記事中では、S500の発売時期をデビュー・発売・市販と表現を変えつつも一貫して'63年10月としていますが、OT誌は近年はずっと'64年2月発売としていたはずです。
どうして今号からこの点に関して宗旨替えしてしまったのか、その理由を部外者である当方が知る由もありませんが、個人的に非常に残念でなりません。
OT誌が宗旨替えした理由はともかく、誤った情報の垂れ流しを看過するわけにはいきませんので、以下に反証を示して誤った情報を正したいと思います。

ホンダは1963年7月19日にスポーツ500の販売価格と発売時期を、同年7月21日にT360とT500の販売価格と発売時期を発表しています。
このホンダの発表を受けて、雑誌メディアは誌面にこれらの情報を掲載しました。
左:自動車工学'63年9月号 (資料協力 ワンココさん) 右:モーターマガジン'63年9月号
200307_6309 200307_mm6309 (クリックで拡大表示)

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2020年3月 6日 (金)

【Old-timer】公開校閲その5【171号】

25頁上段の写真キャプション中に「S5発売以前は民間で赤の車体色が禁止されていた」とありますが、これもダウトです。

「道路運送車両の保安基準」では「緊急自動車の車体の塗色は、消防自動車にあつては朱色とし、その他の緊急自動車にあつては白色とする。但し、例外が沢山ありますよ。」と緊急自動車の車体色を指定しているだけで、「専ら乗用の用に供する自動車にあつては、車体の塗色に赤色を用いてはならない。」などという条文はどこにもありません。
200306_hoan (クリックで拡大表示)
それが証拠に、ホンダスポーツ登場以前に国内で製造・販売されたクルマのカタログや古い自動車雑誌を眺めれば、カラーバリエーションに赤のあるモデルを容易にたくさん見つけることができます。(↓)

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2020年3月 1日 (日)

【Old-timer】公開校閲その3【171号】

40頁上段の写真キャプションに「1965年9月に大和工場で初めてラインオフしたL700は、翌'66年1月にP700('65年10月生産開始)と同じ狭山工場に移管。そう、当初 LとPは別工場で生産されていたのだ!」とありますが、正しくはL700の狭山への移管が決まったのが'66年1月で、L700の埼玉製作所大和工場での生産は、その後 3月まで続きました。狭山への移管は大和工場での生産が終了した後です。
200301_l700_03 (クリックで拡大表示)
出典:PolePosition誌 スペシャル号

 P700に関する資料は残念ながら手元にないのですが、以下の事実からP700の量産立ち上げは埼玉製作所大和工場だったと当方は推測しています。
この件に関して、情報や資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご教示頂きたくお願い申し上げます。

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2020年2月29日 (土)

【Old-timer】公開校閲その2【171号】

今回は校閲というよりも、個人的に気になった点や気づいた点について書きます。

30頁下段のモノクロ写真のキャプションに"(シルバーの車両か?)"との記述がありますが、左前輪の汚れ方が同頁上段のカラー写真と全く同じなので、両車は同一の車両、つまりボディカラーは赤と分かります。
もしくは、ボンネット先端のエンブレムが白地のものなので、ボディカラーは赤だと判断できます。
200229_emblem_white (クリックで拡大表示)
ホンダスポーツ/エスのボンネットエンブレムの色には規則性があって、ボディカラーが濃色ならばエンブレムは白地、淡色ならばエンブレムは赤地と決まっていました。(赤地のエンブレムはTypeRだけの特権ではないのです)
実際にボディカラーがシルバー(淡色)のスポーツ360には、↓このように赤地のエンブレムが取付けられていました。

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