今年も残すところあと9時間ほどとなりました。
今年は殆どブログを更新できず、反省することしきりの年の瀬でございます。。。
ところで、今年2014年は、トヨタ2000GTの開発が始まってちょうど50年目の記念すべき年だったのですが、皆さんお気づきだったでしょうか。
50年前の今頃は、トヨタ社内での初期設計作業が終了して、3日前の12月28日にはトヨタの開発メンバーだった河野さん、野崎さん、細谷さん、高木さん、山崎さんがヤマハを訪問して、ヤマハとの技術提携の契約を結びました。
この時、開発メンバーの皆さんが日産の幻のプロトタイプ A550X(通称 日産2000GT)を実見したことは、有名な話ですよね。
トヨタ社内でトヨタ2000GTの開発プロジェクトが始まった時の詳細については、すでにこのブログに書いていますし、開発メンバーの一人だった細谷 四方洋さんが当時のことを回想した記事を寄稿して下さっていますので、敢えてここで触れる必要もないと思いますが、なんと!記念すべき50周年の年に、細谷さんの証言がベストカー誌に四回に渡って連載され、活字となって記録されたのです。
細谷さんご自身が記した回想文はこのブログで読むことが出来ますが、ブログは所詮“消え物”であって恒久的に保存されるものではありません。
ですから、自動車に関する書籍では発行部数日本一を誇るベストカー誌に細谷さんの証言が記録された意義は大きいと思います。
さて、その細谷さんの証言が掲載されたベストカー誌ですが、既にバックナンバーになってしまっています。(ご紹介するのが遅くなってしまって申し訳ありません…)
ただ、一部の号はAmazonで新本を購入することが可能です。
興味のある向きは、お早めにお買い求め頂ければと思います。
記事の内容ですが、トヨタ2000GTの開発史の他に、第一回日本GPやスピードトライアル、チームトヨタのレース活動やメンバーについて、トヨタ7のことなど盛りだくさんです。
ネタバレになりますが、ひつとだけ紹介させて頂くと、チームトヨタのメンバーだった福澤幸雄さんが事故で亡くなった時、細谷さんは直ぐに事故現場に駆けつけて、福澤さんの救助にあたられたそうです。
細谷さんは福澤さんをコクピットから助け出そうとしましたが、シートベルトが外れず助け出せなかったのだとか…。
この時、細谷さんは腕に火傷を負い、その火傷の痕は今も細谷さんの腕に残っているそうです。
どこぞのデマブログが、トヨタは消火活動をしないで福澤さんを見殺しにしたかのように吹聴していますが、それがまったくの出鱈目であることは、細谷さんの体に残った火傷の痕が証明してくれています。
因みに、記事のタイトルは「クルマ界 歴史の証人」でして、細谷さんはまさに歴史の生き証人な訳です。
(クリックで拡大表示)
そんな貴重な細谷さんの証言が、活字として記録されたことは本当に喜ばしいですね。
既に在庫切れになっている号も中古本が手に入りますし、新本が補充される可能性もあると思いますので、まめにAmazonをチェックしてみて下さい。
そうそう、細谷さんのご配慮で、記事の最終回には当ブログのことも取り上げて頂きました。
(クリックで拡大表示)場末の泡沫ブログが、メジャー誌に名前を載せてもらえるなんて、こんな光栄なことはありまん。
殆ど活動しなかった当ブログの、今年最大のトピックとなりました。
細谷さん、ありがとうございました。
親の介護で忙しくて、来年もあまりブログの更新は出来ないかもしれませんが、ネタはありますので暇をみて投下致します。
来年もご愛顧のほど、よろしくお願いします。
それでは皆さん、よいお年をお迎え下さい。
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