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2020年11月13日 (金)

幻の"ホンダ R800"に関する通説を、無知な管理人が無謀にもひっくり返して爆死するエントリー(暗愚

ホンダR800といえば、ホンダRSC(レーシング・サービス・クラブ)と鈴鹿サーキットが独自に開発した車両で、1969年4月に開催された鈴鹿500キロ自動車レースでデビューを果たし、並居る強豪を相手にトヨタ7(415S/V8 2,987cc)に次ぐ総合第2位を獲得した、驚異の小排気量レーシングスポーツであることは広く知られていると思う。
このR800は、ブラバムの"F3シャシー"を流用してRSCが独自に仕上げたフレームに、S800のエンジンとヒューランドのギアボックスを搭載したものだった。
そして、レース出場時にエントリーシート記載された車両名及び車体名は"ホンダ800R"であった。

正式な車名がR800か800Rかはさておき(この稿では、参考にしているホンダの資料に倣ってR800で統一する)、デビュー戦で好結果を残したことは、レースの翌日にサーキットホテルで会議をしていた藤澤武夫副社長(当時)に伝えられ、朗報を聞いた藤澤副社長はRSCの木村昌夫氏を呼んで話を聞き、「ちょっと(クルマを)見たいな」ということでサーキット内にあるRSCの工場に出向いて、R800を目の当たりにした。そして、この時 藤澤副社長が発した言葉は「このクルマ、ホントにここで作ったの?」というものだった。
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     (RSCの工場で藤澤副社長にR800の説明をする木村昌夫氏)
 

「藤澤さんは、レース車両の開発は研究所でないと出来ないものと思っていたようで、貧弱な設備しかないRSCの工場からR800が生み出されたことに驚きを感じたようだった。」と、木村氏は述懐している。
そして、この場で藤澤副社長は「これ(R800)に1300ccの空冷エンジンを積んで、6月に行われる鈴鹿1,000kmに出られないか?」と木村氏に訊ねた。これに対し木村氏は「RSCだけでは無理です」と返答したところ、「研究所から応援を出させるよ(藤澤)」ということになり、研究所からF1の開発に関与した優秀なエンジニアが派遣され、急ピッチでH1300Eを搭載したR800ベースの"ホンダR1300"の製作が進められた。
また、レースには2台体制で挑むことになったため、R800の改修車とは別に、もう1台新規にR1300を製作。2台のR1300は何とかレース開催までに完成し、1969年6月に開催された鈴鹿1000キロ自動車レースへの出場を果たした。
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手元の資料によると、高武・木倉組が新規に製作されたR1300を、永松・松永組がR800から改修されたR1300を使用したようだ。
R1300の顛末についは、みなさんよくご存知だと思うので詳細は省くが、永松・松永組のR1300が出場2戦目となる1969年8月に開催された鈴鹿12時間自動車レースにおいて悲劇的な事態となったため、RSCのR1300でのレース活動はこれをもって終了となった。
鈴鹿1,000km自動車レース終了後、藤澤副社長は関係者を集めて食事会を行い、その場で「勝てたらヨーロッパのレース(ル・マン24時間)に行ってみるか!」と壮大な夢をぶち上げていた。
ドライバーもRSCの木村氏も、ル・マン挑戦は望むところだったようだが、残念ながらついぞその夢が叶うことはなかった・・・。
ホンダR800とR1300は、1969年に彗星の如く現れ、綺羅星のように一瞬のきらめきを残して、我々の目の前から消え去っていった。それはまさに、RSCが産み出した幻のレーシング・スポーツであった。

そんな幻のレーシングカーについて、残念ながら私は殆ど知識を持ち得ていないので、以下はかなり頓珍漢な考察かもしれませんが、ちょっと気になることがあったのでつらつらと書いてみます。

私がこのエントリーを書くことにしたのは、JAFの公式ウェブサイトで、昔のレースのリザルトを見ていて通説とは異なる記述を見つけたからだ。
R800とR1300の通説では、R800は(株)テクニランドが購入したブラバム BT16Aの車体を流用して造られ、R1300(の2台のうちの1台)はR800をベースに造られた。新造されたもう1台のR1300もBT16Aをベースに造られた、となっている。
つまり、R800もR1300もベースとなったシャシーはBT16Aということだ。
然りながら、JAFの公式ウェブサイトで公開されているリザルトの車両データを見ると、鈴鹿1,000km自動車レースに出場した2台のR1300の車両形式はいずれも「BT18改」となっている。
余談ながら、車両名も車体名もR800と同様にRが最後に付き「ホンダ1300R」だ。
これは、鈴鹿1,000km自動車レース出場時にエントリーシートに記載された車両形式が「BT18改」だったということだろう。
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                            (クリックで拡大表示)
<高武・木倉組の車両データ>
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?mode=detail&race_id=1566&no=12
<松永・永松組の車両データ>
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?mode=detail&race_id=1566&no=11

JAFのデータベースは、ウェブ公開用に作成されたもので、当時の資料の原本(一次資料)ではないが、原本の写しであることは間違いない。その資料には「BT18改」と記述されている。これは紛うことなき事実である。

調べてみると、ホンダは1966年のF2シリーズ戦に使用した2台のBT18の他に、ホンダレーシングスクールで使用する目的でBT18Bを購入していたようだ。
製造・販売されたBT18Bは8台だが、このうちレーシングスクール用として何台を購入したのかは分からない。しかし、レーシングスクールでの使用が目的ならば複数台購入した可能性が高そうである。

オートスポーツ誌1969年5月号には、以下のような記述がある。
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鈴鹿放出が"BT18"だったというのは、明らかに間違いと思われる。通説通り、鈴鹿放出は"BT16A"だろう。
ということは、ホンダレーシングスクールのBT18Bは放出されずに残ったことになり、R800/R1300の流用ベースになった可能性が高まる。
また、BT18はF2にもF3にも共用できるとあり、R800に関する記事でよく見受けられる「ブラバムのF3の車体を流用して云々」という記述との整合がとれる。

これらの事柄を勘案すると、R800および、その改修型のR1300と新規製作されたR1300は、BT18Bの車体を流用して製作されたのではないか、と無知無知大王の私は愚考する次第である。
私の考察のソースはJAFの公式リザルト。
JAFの公式リザルトの記述が誤りであることを立証できるような資料や遺物をお持ちの方がいらっしゃれば、是非お知らせ頂きたい。

ここからは蛇足になるが、用済みとなったR1300はワールド・ホンダに譲渡されて?「ワールド AC7」という車両名になり1970年開催の全日本鈴鹿500Km自動車レースに出場、その後、田中弘(たなか ひろむ)氏の手に渡って?「ニットラ(日本トランペット) AC7」、「ニットラ AC7-Ⅱ」と車両名を変えながら、主にロングディスタンスレースで活躍したようだ。(↓)
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-driver.cgi?driver_id=3691&window_flg=1&first_window=1
田中弘氏のあとは菅原義正氏(日野トラックでパリ‐ダカールラリーに挑戦された方)の手に渡った? 
見﨑清志氏が1971年開催のマカオGPに出場した際、菅原氏からワールドAC7-Ⅱを借り受けている。
マカオGPでのAC7-Ⅱの走行シーンは、トヨタ2000GTが登場することで有名な映画「ヘアピン・サーカス」でふんだんに観ることが出来る。(↓)
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見﨑清志氏が駆るAC7-Ⅱを追走するのは、Honda RH800(コニリオ)だ!

 

 

 

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コメント

ホンダR1300はF1R302とイメージが重なりあまりいい感じがしませんが、大排気量車と互角に戦っていたようでね。
R800から発展したわけですが、ホンダの800エンジンはマクランサ、コリニオ、カムイと随分レーシングエンジンに貢献したのですね。

投稿: スポーツ800 | 2020年11月14日 (土) 午前 08時38分

>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。
R1300はデビュー戦となった鈴鹿1000kmの予選で、ローラT70MKⅢやポルシェ906に次いで3位と4位を獲得し、決勝でもそれぞれトップや2位を快走するなど抜群の速さを見せました。
エンジントラブルやガス欠、そして悲劇的なクラッシュなどにより、エントリーした2レースとも結果は残せませんでしたが、ホンダワークスの実力(の片鱗?)を見せ付けたレーシングカーだったと思います。
エスハチのエンジンは、有名チューナーからプライベーターにまで幅広く使われ、多くのドライバーやレーシングチームを育てましたね。
日本の四輪レース史を語る時に欠くことのできない名機だと個人的には考えます。

投稿: mizma_z | 2020年11月15日 (日) 午前 12時17分

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