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2020年5月 7日 (木)

廉価版トヨタ2000GT(390A)と初代フェアレディZ(S30Z)の共通点

390Aの開発が関東自工で始まったのは、トヨタ2000GTが発売される直前の1967年(昭和42年)3月頃で、ちょうどその頃、日産ではのちにフェアレディZとして結実するマルZ計画が進められていた。
両車の共通点は、アメリカ市場をターゲットにしていたことで、390Aの販売価格は米国で3,500ドル(国内100万円)、S30Zの販売価格は米国で3,000ドル(国内100万円)とほぼ同価格に設定されていた。
片や採算度外視の手作り工芸品、片やマスプロダクション製品として企画された大量生産車。この二車が同価格帯で販売される可能性があったことは、意外な事実といえよう。

以下は、S30Zのファイナルデザイナー田村久米雄さんから頂いたメール。
マルZ計画時の設定価格のソースと、2000GTとS30Zを比較した際に感じた氏の率直な所感が伺えます。

件名 細谷さんのトヨタ2000GTの記事
送信者 田村 久米雄
宛先三妻自工
日時2013年09月16日 21:54:35

三妻自工さんへ
私がブルーバード510やS30のデザインに従事していた’66〜’68年頃、トヨタと日産は自動車業界の覇権を争っており、レース活動も日産はプリンス自動車を併合して積極的に参戦していましたが、トヨタが自社技術でトヨタ7で挑戦していたのに日産はシボレーエンジンを持ち込んでレースに臨んだ時は「技術の日産」のプライドを捨てて広告宣伝効果だけを狙った戦術に社員として落胆したものです。トヨタ2000GTが4輪ディスクやDOHC、フルシンクロ、4輪独立懸架などの新メカを採用していることを知っていましたが、自分が担当しているS30が何処まで最新メカを採用してくれるのか不安に感じていました。マルZ計画(次期スポーツカーを2シーター/クローズドボディのデザインで開発せよと云うプロジェクトでは当初から3000ドルの販売価格が目標でした)では100万円が販売価格のターゲットでしたから、’69年のモーターショーでS20エンジンを搭載した「フェアレディZ432」がマグホイール装備で185万円の価格で発表された時には「嘘だろう!!」と思いました。今にして思えば担当デザイナーの居ない状況で生産展開をしなければならない状況だったのでやむを得ない事だったのでしょうが、輸出仕様、国内仕様がバラバラで発売しなければならなかった状況に胸が痛みます。



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TOYOTA 2000GTの真実」カテゴリの記事

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コメント

フェアレディZは既成の部品も使ってコストを下げたと聞いていますが、廉価版の2000GTはどうだったんでしょうね。実物写真を見た事が無いので何とも分かりません。トヨタスポーツの様に部品は大衆車パブリカとはっきりわかっていればコストダウンも分かるのですが。

投稿: スポーツ800 | 2020年5月 8日 (金) 午前 09時14分

>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。
390Aはヘッドライトを固定式にしたりテールランプのデザインを変えるなど、コストを下げるためと思われるアレンジはされていましたが、基本的な造形は通常版を踏襲していました。またインテリアも、インパネのデザインを変えたりウッドパネルの使用をやめたりしていたようです。
http://2000gt.net/Prototypes/Prototype4.php
エンジンは130PS/6,000rpmと資料には書かれていますが、3Mのデチューン版なのか2Mの改良型なのかは分かりません。(エンジンの改造はヤマハが担当する予定だった由)
おそらく低廉化の一番の要因は"量産効果"だと思います。月産500台の生産を5年間続ける予定でしたから、総生産台数は3万台です。これを関東自工の東富士工場で効率的に生産することで、価格を下げる計画だったのだと思います。
ただ、390Aのエクステリアは明らかに改悪されていて、2000GTの本来の流麗さがスポイルされていましたから、とても3万台は売れなかったと個人的には思います。^^;

投稿: mizma_j@管理人 | 2020年5月 9日 (土) 午前 12時03分

とても興味深く拝読しました。
特に田村久米雄さんのメール内容に触れてくださってありがとうございました。

個人的に60年代後半頃の日本のレースシーンに興味津々なのですが、日本グランプリにおける日産(プリンス)ワークスの振る舞い、例えば
◯R380のブラバム製シャシー流用
◯R381のシボレーエンジン搭載
◯R382の本番直前のエンジン換装
◯R383の「勝ち逃げ」めいた不参加
等には、卑怯とまでは言わないまでも「アンフェアじゃないか?」という不信感が否めませんでした(あくまで個人の意見ですが)。
ただ「レーシングオン」誌の日本グランプリ特集号にはそうした疑念を表する記述は皆無でしたし、桂木洋二氏の著作「激闘 60年代の日本グランプリ」でも僅かに触れる程度であったことから「なるほど、『勝てば官軍』とはこのことか…」と落胆してました。
しかし、田村さんのメール内容を公表していただいたことで、日産社内にも(レース部門では無いにしろ)義憤に駆られた方がいらしたことに安堵しました。

これから益々寒くなりますので、どうかお身体にはお気をつけ下さい。

投稿: 丸区亜練 | 2020年11月22日 (日) 午前 06時55分

>丸区亜練さん
コメントありがとうございます。
このエントリーに引用した田村さんのメールは、ブログに掲載する原稿として送って頂いたものではないため、田村さんがご存命の間は公開を控えていました。
というか、私にとっては日常的にやり取りをしていたメールの中の1通という意識しかなく、ブログへの掲載など全く考えていなかったのですが、田村さんが亡くなった後にあらためて読み返してみると、これも田村さんが遺してくれた貴重な情報だと思い直しまして、2000GTの話題とからめて紹介させて頂いた次第です。
田村さんが遺して下さった言葉から何かを感じ取って頂けたのなら、紹介した甲斐があったというものです。
田村さんも、きっと天国で喜んで下さっているのではないかと思います。。。
お気遣い、痛み入ります。
時節柄、丸区亜練さんもご自愛専一に。新型コロナにはくれぐれもご注意下さい。

投稿: mizma_z | 2020年11月22日 (日) 午後 11時26分

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