« 【Old-timer】公開校閲その5【171号】 | トップページ | 【ホンダT360】設計変更の理由の一例【AK250】 »

2020年3月 7日 (土)

【Old-timer】公開校閲その6(最終回)【171号】

25頁上段左の写真キャプション中に「(S500は)月産1000台を目標に10月1日から市販に入った。」とあります。また31頁上から2段目左の写真キャプション中にも「S500('63年10月発売)をカバーする形で'64年1月から併売されたS600は'63年末には量産試作車が完成していた。」との記述がありますが、S500の発売は1964年2月1日S600の発売は同年3月1日、S600の量産試作が浜松製作所で始まったのは同年2月からなので、'63年末の時点で量産試作車が存在することはあり得ません。
今回のホンダ特集の記事中では、S500の発売時期をデビュー・発売・市販と表現を変えつつも一貫して'63年10月としていますが、OT誌は近年はずっと'64年2月発売としていたはずです。
どうして今号からこの点に関して宗旨替えしてしまったのか、その理由を部外者である当方が知る由もありませんが、個人的に非常に残念でなりません。
OT誌が宗旨替えした理由はともかく、誤った情報の垂れ流しを看過するわけにはいきませんので、以下に反証を示して誤った情報を正したいと思います。

ホンダは1963年7月19日にスポーツ500の販売価格と発売時期を、同年7月21日にT360とT500の販売価格と発売時期を発表しています。
このホンダの発表を受けて、雑誌メディアは誌面にこれらの情報を掲載しました。
左:自動車工学'63年9月号 (資料協力 ワンココさん) 右:モーターマガジン'63年9月号
200307_6309 200307_mm6309 (クリックで拡大表示)

今号のOT誌の記事には、S500の目標月産台数が1000台であることが書かれていますから、おそらくこの時期の雑誌記事をソースとしているのでしょう。
そして、これ以上の渉猟は行わなかった。その結果が今号の記事なのだと思われます。
でも、ここで手を止めては真相を知ることはできませんし、一般に向けて情報を発信するならきちんと裏をとるべきでした。

参考までに、同年8月14日に行われたスポーツ500のメディア向け試乗会の時点でも、発売時期に変更はなかったようで、試乗会の模様を伝える記事には「10月から販売される」と記述されています。
200307_6309_20200307204601 200307_6309_2 (クリックで拡大表示)
出典:月刊自動車'63年9月号

S500の発売予定日以降、メディアはS500についてどう報じたか。この点を確認してみましょう。
発売予定日と同じ月の10月26日から、東京晴海で"第10回全日本自動車ショー"が開催され、ホンダは市販型のホンダスポーツをS500名義で初めて一般に公開しました。
このショーを取材したモーターマガジン誌('63年12月号)では、S500についてどう伝えたかというと「未だに顔見せ程度に終わっているのは残念である」と、暗に予定通り発売されなかったことを示唆しています。
Mm6312_1 (クリックで拡大表示)
また、同誌に掲載されているショーを取材した編集者による座談会では、S500の販売が延期されたことに言及しており、発売遅延の理由について推測しています。
Mm6312_2 (クリックで拡大表示)
この座談会記事を見ただけでも、S500が事前の発表通りに発売されなかったことを知ることができます。

第10回全日本自動車ショーの開催から3ヵ月後の1964年1月30日にホンダは公式な発表をします。
藤澤専務が、S500の発売が遅れた理由を新聞記者会見で説明したのです。
もし、事前に発表した通りにS500が発売されていれば、わざわざ藤澤専務がS500の発売遅延に関して釈明する必要はありませんね。
こういった会見を行ったということは、S500は間違いなく発売が遅れたということです。
200307_flying_1 (クリックで拡大表示)
そして、S500は1964年2月1日に全国一斉発売されました。
200307_flying_2 (クリックで拡大表示)
※フライング誌はホンダが発行したオフィシャルな広報誌です。

ホンダはS500の発売に先立って、S500、S600、T360の販売店向け試乗会を、荒川テストコースや、箱根、鈴鹿サーキットで大々的に行っています。
一方、1963年10月1日頃に販売店向けの試乗会が行われた事実は確認できません。
※全ての画像はクリックすると別ウインドウで拡大表示します。
200307_flying_64_01 200307_flying_64_02
200307_flying_64_03 200307_flying_64_04 

以下は、S500とS600の発売時期を伝える雑誌記事です。
こういった記事が存在することも、1963年10月1日にS500が発売されなかったことを証明する、有力な物証となるでしょう。
※全ての画像はクリックすると別ウインドウで拡大表示します。

左:モーターマガジン'64年3月号 右:オートスポーツ'64年2月号
200307_mm6403 200307_autosport_64-2
左:モーターファン'64年7月号 右:モーターファン'64年3月号
200307_mf6407 200307_mf6403
右:モーターファン'64年3月号 右:週刊サンケイ臨時増刊'64年4月13日号
200307_mf6403_2 200307_64413
左:毎日グラフ'64年5月1日号 右:誌名不明'64年4月号
200307__mg640501 200307_196404_car-_s500

モーターファン'64年4月号
200307__mf6404

冒頭に書いたように、S600顔のS600の試作1号車をOT誌は量産試作車としていますが、この1号車はS500の量産初期の車両をベースに研究所で製作されたもので、31頁に掲載されている写真が撮影されたのは研究所のHGコースと呼ばれる場所です。(下掲の写真は同日に撮影された別ショット)
量産試作車というのは、量産用の設備を使って製造された試作車のことですから、研究所で製作された1号車はこれに該当しません。
200307_196403_world-auto-review (クリックで拡大表示)

S600の量産試作が浜松製作所で始まったのは1964年2月ですが、S600のエンジンの生産が埼玉製作所で始まったのは、同年4月からでした。市場向けS600の生産は翌5月から始まります。
200307__virtualpit200307__poleposition_nenpu  (クリックで拡大表示)
1963年6月にS500のエンジンの生産が始まっていたのに、なぜS600のエンジンは翌年の4月まで生産を始められなかったのか。S500はなぜS600の生産が始まるまで発売を遅らされたのか。
このあたりの考察をしっかりとしていれば、事前に発表された発売時期を実際の発売日と早合点して記述することなどなかったと思うのですけどね。
既に本は出版されてしまっていますから、今更なにを言っても詮無いことですが、誤った情報の垂れ流しはやはり誰かがどこかで止めなければなりません。
今回の私の一連のエントリーが、その役割を果たせているといいのですが…。

|

« 【Old-timer】公開校閲その5【171号】 | トップページ | 【ホンダT360】設計変更の理由の一例【AK250】 »

Honda T360 T500」カテゴリの記事

Honda Sports500/S500」カテゴリの記事

Honda その他」カテゴリの記事

コメント

こうして時系列で追えば明らかな事を調べないのは記事として怠慢の極みですね。専門誌なのだから正しい情報を発信しないと。
当時の記事を読んで見ると、S500ではハイウェイでの加速が物足りないので輸出向けにS600をと言うニュアンスの所も有りますが、そんな事だったんでしょうか。

投稿: スポーツ800 | 2020年3月 8日 (日) 午前 09時37分

>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。
OT誌160号も巻頭の特集はホンダ車だったのですが、その記事中で藤澤専務の記者会見での発言を引用しているんです。
ですから、OT誌編集部はS500の発売が遅れたことを知っているはずなんですが、今号では何故か変節して、長いこと通説となっていた発売予定日を発売日として記述しています。
編集部内で何があったのかは知りませんが、このようなダブルスタンダードをやられると読者は困惑してしまいますよね。
本田社長はアメリカを視察して、四輪車は70マイルで巡航できないとダメと考えていたので、S500のカタログスペックの最高速度130km/hでは不足だったのだと思います。
実際にS500をアメリカに送ってテストしたところ馬力不足を指摘されたので、S600を開発することになったようです。
パブリカは車体の計画重量が580kgで、これを100km/hで走らせるにはどのくらいの排気量のエンジンが必要かということを話し合って、700ccに決めたようですね。
S500は車重が725kg(運輸省届出値)ですから、やはりアンダーパワーは否めません。結局、600ccでも不足で800ccまで増やすことになりました。

投稿: mizma_g@管理人 | 2020年3月 9日 (月) 午前 07時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 【Old-timer】公開校閲その5【171号】 | トップページ | 【ホンダT360】設計変更の理由の一例【AK250】 »