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2017年7月10日 (月)

【軽三・四輪】 年式別車台番号一覧 【軽・小型二輪】

長らくブログを放置してしまい申し訳ありません。。。
毎度同じようなことを書いていますが、親の介護に追われて時間的にも精神的にも余裕が全くなく、ブログにまで手が回らなかった次第です。
排泄介助のため、一晩に5回も6回も起きなければならない生活は本当にハードで…。
身体は疲れ果て、精神が摩滅していっているのが私の近況です。
とはいえ、取敢えず生きてはいるので生存報告としてこのエントリーを書いています。
 
ブログを放置している間に何件かコメントを頂いたようで…、レスを書けずに本当にすみませんでした。
今はカラ元気も出ない状況なので、この場でお詫びのみさせて頂きます。
ご免なさい…。
 
せめてものお詫びのしるしに、『軽自動車・小型二輪自動車諸元表』という資料を公開しようと思います。
この資料には、年式別の車台番号一覧が掲載されているので、車台番号から車両の製造年を調べることが出来ます。
但し、資料に掲載されているのは軽三・四輪自動車と軽・小型二輪自動車のみです。
また発行年が1972年(昭和47年)なので、掲載されているのは年式打刻制度が廃止された1964年(昭和39年)から1971年(昭和46年)までの機種になります。
1965年(昭和40年)から1974年(昭和49年)までに製造された軽三・四輪自動車を網羅している『軽自動車 車台番号・原動機型式一覧表』という資料も手元にあるのですが、それはまた別の機会に。
 
今回公開する資料が、国産旧車をこよなく愛する皆様のお役に立てば幸いです。
 
※全ての画像はクリックすると別ウインドウで拡大表示されます。
 
<<表紙と目次 >>
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<<軽四輪 (乗用)>>
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<<軽四輪 (貨物)>>
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Dsc03331  Dsc03332 
Dsc03333  Dsc03334 
Dsc03335  Dsc03336 
Dsc03337  Dsc03338 
 

<<軽三輪 (貨物)>>
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<<軽二輪 >>

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Dsc03342  Dsc03343 
Dsc03344  Dsc03345 


<<小型二輪 >>

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<<裏表紙 >>
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旧車」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。
日々大変なようでお見舞い申し上げます。
私の高校の同級生にも同じ境遇の者がいて、今年の同窓会には出席できそうも無いようでした。
さて、なかなか細かいこんな資料が残っているのですね。
トータス号に改造されたスバルサンバーも載っているのでしょうか。
興味津々。

投稿: スポーツ800 | 2017年7月11日 (火) 午前 09時14分

>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。
介護はやってみると本当に大変です。
体力的にはもちろん、言うことをきかない母を叱りつけて自己嫌悪に陥ったり、
介護の方針で家族と揉めたりと、精神的にもかなりキツイです。
介護をするようになって6年経ちますが、その間に外泊したのは、去年、精神的に
まいってしまって、衝動的に家を飛び出して近くのビジネスホテルに一泊した時の
一度きり…。
スポーツ800さんのお友達も、きっと毎日大変な思いをされているのではと想像致します。
トータス号が登場した怪奇大作戦が放送されたのは1968年ですから、ベースになった車両が
比較的新し物でしたら、上掲の資料に載っているでしょうね。


投稿: mizma_g@管理人 | 2017年7月14日 (金) 午前 06時08分

こんにちは。以前「トヨタ2000GTを愛した男たち」に関するエントリーにコメントをさせていただいた者です。
ブログ主様、本当にご苦労様です。
何のお力添えも出来ませんが、どうかご自身のお身体も大切になさって下さい。

私などが申すのはおこがましいですが、貴ブログの功績に敬意を評します。
とくに、トヨタ2000GT及びトヨタ7の開発や事故に絡む数々の無責任な噂を喝破されたことについて、お礼申し上げます。

「トヨタ2000GTは、本来は日産が開発したもの」
このウワサを知ったのは、高校生のころでした(30年前…)。「あの美しいクルマに、そんなダークな経緯があったなんて」純粋馬鹿だった私は、以来あのクルマに対するリスペクトを失い、不必要に貶める愚行を行いました。
ウワサは結構信じられていたらしく、私の手元にある書籍にも記述があります(「激闘 60年代の日本グランプリ」桂木洋二著・グランプリ出版〜p35)し、図書館から借りた「レーサーの死」という黒井尚志氏の著作にも、同様の記述があったと記憶しています。
その後、トヨタの開発当事者の方々が何度かインタビューに応じられていましたが、「パクりの当事者」という色眼鏡をかけていた私は疑念を持って見ていました。
しかしこの度、全くの第三者であるブログ主様が、反論の余地の無い見事な論証で、この俗論と私の迷妄をぶった切って下さいました。

再び素直な気持ちで、トヨタ2000GT始め国産名車を愛でる機会を与えて下さったブログ主様の、益々のご活躍をお祈りします。

投稿: 丸区亜練 | 2017年7月16日 (日) 午後 04時10分

>丸区亜練さん
コメントありがとうございます。
前回頂いたコメントにレスを書けず申し訳ありませんでした。
また、色々とお気遣い頂き痛み入ります。。。

拙ブログが、丸区亜練さんのトヨタ2000GTやトヨタ7のヒストリーに関する誤った認識を
あらためる一助になったのであれば、これ程嬉しいことはありません。
私がこのブログに書いたエントリーの目的が、まさに“誤った歴史認識を正してもらうこと”
でしたから、私の稚拙な論考でも目的を達成できたことは望外の喜びです。

トヨタ2000GTはトヨタとヤマハのパートナーシップから生まれた世界に誇れる名車で、
その開発のプロセスに後ろ暗い部分は一切ありません。
A550Xも然りです。また、A550XとS30Zには何の関連もないことを、S30Zのエクステリアを
担当された田村さんから伺っています。
日本を代表する名車達に、巷間で言われるような兄弟関係はありませんが、だからこそ
それぞれに独特の個性とキャラクターがあって、多くの人を惹きつけてやまないのだと思います。
巷間で言われるような、ルーツが同じでメーカー違いの同一車であったならば、おそらく評価は全く
違ったものになっていたでしょうね。

今、我々旧車マニアが世界に向かってトヨタ2000GTやS30Zを誇れるのは、先人が努力と苦労を
重ねて、これらを創り出してくれたからだと思います。
ならば、我々がするべきは先人の功績を正確に後世に伝えていくことですよね。
逆に絶対にしてはいけないことは、事実を捻じ曲げて先人を貶める行為だと思います。
でも悲しいかな、現状はご存知の通りで、オールドタイマー誌の最新号(155号)には「トヨタ2000GTは
実質的にヤマハ車と声が上がるのも無理はない」等と書かれる始末。
トヨタ2000GTを大阪城、トヨタを豊臣秀吉(施主)、ヤマハを大工さん(請負業者)に例えれば、大阪城は
大工さんが作った!なる言説がただの屁理屈に過ぎないことを理解できると思うのですけどね。
まあ、この例えは些かシンプル過ぎますが。。。
話が横道に逸れましたが、丸区亜練さんのように真実に目覚めてくださる方を一人でも増やせるように、
今後もこのブログで情報を発信し続けていく所存です。
丸区亜練さんのコメントは、私にとって大きな励みになりました。
ありがとうございました。

  

投稿: mizma_g@管理人 | 2017年7月18日 (火) 午後 11時28分

ありがとうございます。

確かに…未だに出版業界では俗説がまかり通っていますね。
彼らからすれば「本が売れさえすれば、真実などどうでもいい」のでしょうが、そのせいで、私の様に、先人に対する敬意を失ったり、過去を色眼鏡で見たりする輩が発生するわけですから、真実だけを伝えて欲しいものです。

これも私が中学か高校の頃のことです。
スポーツ誌「ナンバー」のモータースポーツ特集号に、トヨタ7の開発に殉じられた2人のレーサー…福澤幸雄氏と川合稔氏に関する記事がありました。
そこには、お二人の事故原因が「車両の欠陥」にあり、「トヨタがその事実を組織的に隠蔽したこと」が、断定的に記述されていました。
そして、トヨタ2000GTやトヨタ7の開発のリーダーであった河野二郎氏が、隠蔽の中心的人物として、名指しで批判されていました(例によって私はこの記事を100%鵜呑みにしてしまいました)。
この説もかなり世間に流布されているらしく、先述の「レーサーの死」にも、同様の記述があった記憶があります(ひょっとすると「ナンバー」の記事が黒井氏の書かれたものかも知れません)。

私の「洗脳」が解けたのは、著名なフォトジャーナリストのビル大友氏の「2人の死は、日本のモータースポーツが発展していく上で起きるべくして起きた『戦死』であった」旨のレポートを読んだからでした。
確かに、新規車両の開発には少なからずリスクを伴うものであり、ましてやレーシングカーとなれば何をかいわんや。
当然福澤、川合両氏も危険は覚悟の上で開発をされていたわけで(何しろプロのレーサーなのですから)。
お二人の死をまるでヒーローの悲劇の様に描く…大トヨタに殺された「被害者」であるとする…手法には、今となっては嫌悪感を覚えますし、殉職されたお二人にも失礼だと考えるに至りました。

結局ジャーナリストというのは「自分が書きたいことだけを書いて、書きたくないことは書かない」ものなのでしょうね。
だから彼らは「トヨタ2000GTは日産とヤマハが開発したクルマ」「フェアレディZ(S30Z)のデザイナーは松尾良彦氏」と書き続ける。
その陰で、田村久米雄氏の素晴らしい功績や、河野二郎氏の名誉は、踏み躙られ続けているのですね(そしてお二人共、名誉挽回する機会を与えられず亡くなった)。
今の私に出来るのは「名車や先人の偉業をリスペクト」し、「俗説に耳を傾け無い」こと、と肝に命じることなのかなと思います。

すみません。取り留めの無い文章になってしまいました。若い頃、多分にバイアスのかかった文章を読んだせいで、随分と無駄な遠回りしてしまった私自身の愚痴でした。

繰り返しになりますが、お身体を大切になさり、どうかご無理をなさらぬよう、お見舞い申し上げます。

投稿: 丸区亜練 | 2017年7月20日 (木) 午前 05時48分

>丸区亜練さん
コメントありがとうございます。
福澤さんの事故については、ご遺族が訴訟を起こされて裁判が行われた訳ですが、それでも事故の真相は明らかにならなかったと記憶しています。
なのに、黒井氏は著書「レーサーの死」の中で、トヨタは証拠を隠滅して偽証し、トヨタ7の欠陥を隠匿したと決め付けていますよね。
ここで私が疑問に思うのは、断定的に物を言えるということは、トヨタが如何なる証拠を隠滅してどのような欠陥を隠匿したかについて、黒井氏は具体的に知っていなければならない訳ですが、何故裁判でも明らかにならなかった事故の核心部分を黒井氏は知り得たのか?そもそも、部外者でも知り得るのであれば、それって隠蔽・隠匿したことにはならないのでは? ということです。
仮に黒井氏が確証もなく断定しているのであれば、証拠隠滅・欠陥隠匿の話は黒井氏の主観に依拠した推理推論に過ぎない訳で、そんなものでトヨタを批判しても全く説得力がありません。
本来、挙証責任は言いだしっぺの側にあるので、トヨタが証拠を隠滅し車両の欠陥を隠匿したというのならば、それが事実であることを黒井氏はきちんと証明するべきでしょう。
それをして初めてトヨタを正面から非難できますし、これが本来のジャーナリズムというものです。
ろくに裏も取らずに、初めに結論ありきで恣意的に情報の取捨選択を行えば、事実が捻じ曲がって真実が歪められるのは当然のこと。
こんこなことをし続けてきた結果が、真実とはかけ離れた俗説が跋扈する現在の国産旧車史の惨状を招いたと私は考えています。

これは私見ですが、黒井氏が「レーサーの死」でしたことは、福澤さんの事故をダシに使った大企業批判なのだと思います。
黒井氏にとって「大企業=権力」で、権力を糾弾することがジャーナリズムだときっとお考えなのでしょう。
私がそう考えるのは、黒井氏がトヨタのお偉いさんをつかまえて、「事故の再調査と真実の公表をしなければ、福澤さんの事故の件をいつまでも書き続けますよ」と、恫喝あるいは脅迫ともとれる発言をしているからです。
そこに故人の気持ちを慮る態度は微塵も見受けられません。 
黒井氏の目的は事故の真相を究明することではなく、あくまでも大企業(権力)を攻撃する、あるいは貶めることなのでしょう。
そのために人の死を利用する。 何とも阿漕なことですし、故人に対して非常に失礼なことだと思います。
(ちょっと思い出しましたが、そういえば、ホンダN360の欠陥車問題の時にも、単なる羽織ゴロでしかなったユーザーユニオンの尻馬に乗ってホンダを糾弾したメディアがありましたね。まあ、言うまでもなく朝日新聞なのですが。)

なんかちょっと放言が過ぎました。(苦笑
最後に手元の資料から、福澤さんが遺した言葉をご紹介しようと思います。
『「君はこんな危険なことをやらずとも飯が食えるんじゃないか。」というヤマハの田中課長の問いに「危険は承知です。僕はこういうことを含めて自分なんです。」福澤はこう答えたそうである。」

福澤さんは若くして非業の死を遂げましたが、トヨタに対して恨み辛みの気持ちを持つことは、きっとなかったと思います。
何せ、覚悟の出来ていた男ですから!

お気遣い、本当に痛み入ります。
毎日が寝不足状態のため頭が回らず、まとまりのない文章になってしまいました。
何卒ご容赦を。。。

投稿: mizma_g@管理人 | 2017年7月21日 (金) 午前 05時57分

こんにちは。初めまして?。ついにテルヤンの会社の生い立ち、廃業までの流れがわかりました。部品も手にいれました。

投稿: retorotoys | 2017年9月24日 (日) 午後 01時27分

ご無沙汰しています。
昨年、コメント欄にてトヨタ2000GT絡みのお話をさせていただいた丸区亜練と申します。
ブログ主様におかれましては、如何お過ごしでしょうか?
親御様の介護の御負担が、少しでも軽くなっていると良いのですが…どうかお身体を大切にされてください。

ところで、先日「生誕50周年記念 トヨタ2000GTのすべて(モーターファン別冊 傑作スーパーカーシリーズ)」なる本を購入しました。
過去のモーターファン誌の記事の再録と、新規の記事等がほぼ半々という内容でしたが、その中に「2000GTのルーツを探る」というとても興味深い内容のコラムがありましたのでお知らせします。
ライターは沢村慎太郎氏、スーパーカーの研究に定評のある自動車評論家の方です。
以下に内容を要約しますと…

○1960年代、日本の各メーカーはモータースポーツにおける方向性を模索していた。トヨタは、FIAの定めるグループ3規定(連続する12ヶ月間に生産数100台以上)のGTカーレースに出場する道を選んだ。同規定にはメーカー世界選手権が掛かっていたからだ。
○トヨタがグループ3のGTカーレースに出場するために開発したクルマ、それがトヨタ2000GTであった。
○対して日産は、ワンオフの純レーシングカー(プロトタイプカー)でのレースを選んだ【同コラム内には明言されていませんが、グループ6規定のことを指していると思われます】。
○ところがトヨタを逆風が襲う。66年以降、グループ3規定の車両の最低生産台数が500台に引き上げられたのだ。トヨタは頭を抱えた。「連続する12ヶ月に100台」であれば手工業的に作れるが、500台ともなれば、これはもう量産車と同じことだ。
○仕方なくトヨタは「2000GTを量産」し始める。本来レース出場を目的としていた2000GTを「商品」として市販することとしたのだ。
○66年の日本グランプリ、市販前の2000GTは「プロトタイプカー」として出場せざるを得なかった。それでも2000GTは、性能的にハンデのある日産R380(やポルシェ906)を相手に善戦、3位に入賞した。
○だが、2000GTにレーシングカーとしての存在意義が無いことは明らかであり、トヨタは純レーシングカー(後のトヨタ7)の開発に着手する。2000GT市販化も見直され、結局500台の計画を満たすことなく生産終了した。
○2000GTの出発点は、あくまでグループ3GT枠で企画された純レーシングカーという合目的の機械であり、運命の悪戯によって途中でその道が大きく変更を余儀なくされて量産市販車として世に出ることになった悲劇の一台なのだ。

…いかがでしょうか…。
私はトヨタ2000GTに魅せられて、ここ数年色々な書籍やホームページを拝見してきましたが、今回の沢村氏の様な主張(2000GTは「まずレースありき」だった)は初めて見ました。
デザイナーの野崎氏、エンジン担当の高木氏、テストドライバーの細谷氏…皆さんが「2000GTは高級グランドツーリングカーとして開発した」と証言されているのですが…。

沢村氏の主張は、2000GTを貶める様な内容ではありませんし、説として非常に面白いと思います。ですが果たして真実であるかどうか…。
ブログ主様のご意見・ご感想を伺えたら幸いです!


投稿: 丸駆亜練 | 2018年10月 2日 (火) 午前 08時36分

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