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2013年8月24日 (土)

『細谷四方洋 回想録 #7』

細谷さんの回想録 その7です。
今回はトヨタ2000GT1号車に起きたアクシデントと、スピードトライアルに挑戦することになった経緯に関するお話です。

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※全ての画像は、クリックすると別ウインドウで拡大表示します。

トヨタ2000GTの第1号車をヤマハ発動機から引き取ってきた8月14日の撮影時に、ナンバーの文字の検討もし、
すべての角度で写真におさまっています。
みなさまの感想は、どちらの書体が良いでしょうか?

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        (丸みのある書体)                (角張った書体)

その1号車も展示会などに使用した後には第3回日本GPの練習車になり、下掲の写真の直ぐあと、
福澤君のドライブで富士スピードウェイ本コースにコースインし、私も続いてアルミボディのGP本番車
(311S/その後赤色に変更 NO15)で続けてコースインしました。
すると、直ぐ前を走っている福澤車からガソリンが漏れているではないですか。
富士の悪名高い30度バンク内で福澤君を強引に抜き、前で合図をすると福澤君も了解をしてくれ
ピット入り口まで誘導し、私は福澤君と等速で本コースを走行して福澤君がピットに停止後フル加速で
テスト走行に戻るつもりでした。
横目で約30メート前方を走行しているピットロードの福澤車の停止を確認。
福澤君がエンジンスイッチ切ったと同時に発生したアフターファイヤーよる引火で、トヨタ2000GT
1号車は炎上し福澤君も中度の火傷して車は全焼。
特にマグホイールが燃焼した時のすさまじい火の勢いには驚愕した。
残骸は鉄板のボディのみで、我々が精魂込めて完成させた1号車は、私の停止しているコースと
ピットロードを挟んで数メートルの所でスクラップとなった。
数日後アルミの福澤号が完成したが、彼は火傷のためグランプリ出場を諦めなければならなく、
非常に残念な思いをした。
この事故が起きた期日は不確定だが、3月の終わり頃の記憶がある。

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(左奥がアルミボディの細谷車             (アルミボディのGP本番車と細谷氏) 
 手前が火災事故を起こす直前の1号車) 

130824_trial
(マグネシウムホイールは火災事故の際、激しく燃焼した)

弟3回日本GPには田村三夫さんと私がトヨタ2000GTで参加したが、結果は私が3位でした。
ニッサンのレーシングカーR380に遅れをとり、やっと3位になったが、冷静に考えれば第2回日本GPで
式場ポルシェ904と生沢スカイラインGTが接戦を演じ、一時はヘアピンからスタンド前まで生沢
スカイラインGTが式場ポルシェの前を走る場面があり、それがスカイライン神話の始まりであるが、
性能の差は歴然で、よほど式場君が下手でなければスカイラインにポルシェが抜かれることは無い。
レースカーとGTとは当時はダントツの性能差があった。
完全な八百長である。                     
                                      
トヨタ2000GTはブラバムプリンスに完全敗北。 
トヨタ2000GTをアピールするイベントが何かないかと河野さんや高木さんがアイデアを出し、
自動車速度世界記録に挑戦する事となった。
この自動車速度世界記録(スピードトライアルで表記)のすべての記録や競技規則を高木さんが
マスターし、世界記録も可能なポテンシャルをトヨタ2000GTは備えていることを河野さんも理解され
GOサインが出された。

ここでトヨタ2000GTのコンセプトを述べてみよう。
これは河野さんが一番最初に述べられたことだ。

トヨタ2000Gの開発コンセプト
*  高性能で本格的なスポーツカー
*  レース専用のレースマシンではなく日常の使用を満足させる高級車
*  輸出を考慮する
*  大量生産を主眼とせず仕上げの良さを旨とする
*  レースにも出場し好成績を得られる素地を持つ事


この車の発想・設計・完成までわずか1年で出来たことは奇跡である。

多忙のため、次回は月変わりになります。

        細谷四方洋   2013/8/23    7:00

20130723_hosoya (クリックで拡大表示)
      『流線の彼方』より拝借

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トヨタ2000GT1号車が火災事故を起こした際の模様が、何とも生々しいですね。
それにしても、細谷さんの誘導でピットにまで戻っていながら火災事故が発生してしまったことは、返す返すも残念でなりません。
なんと言っても、燃えてしまったのはトヨタ2000GTの第1号車ですからね。
1号車はサーキット走行用にチューンナップされていたために、バルブのオーバーラップが大きく取られていて、エンジン停止→未燃焼ガスがマフラーに流入→アフターファイヤーが発生→漏れていたガソリンに引火、ということになってしまったのでしょうけれど、先日の福知山での火災事故も原因はガソリン漏れでしたが、ガソリンは本当に怖いですね。
気化して拡散してしまいやすいガソリンは火薬よりも危険性が高いですから、皆様も取り扱いには十分にお気をつけ下さい。
それと、福澤さんが火傷を負ってしまい、アルミボディの311Sでの日本GP出場が叶わなかったことも残念至極です。
ところで、アルミボディの311Sは製造された台数が2台という説と3台という説があるみたいですね。
スカイライン伝説の発端になった第二回日本グランプリについては、Wikipediaの1964年日本グランプリ (4輪)に詳しい記述がありますので、興味のある向きはご覧になってみて下さい。
そうそう、全焼してしまったトヨタ2000GT1号車は、これで命運が尽きてしまった分けではりませんでした。
次回は、その辺りのお話を伺えるかも?

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2013年8月22日 (木)

いつやるか? 今でしょう!

ここ数日考えていることを、備忘のために記しておきます。

話は初代フェアレディZ(以下、S30Zと表記)のデザイン開発に関することです。
私が耳にしたところでは、田村久米雄氏が拙ブログに寄稿して下さった内容に関して、事実であることが証明されていない、或いは裏が取れていないので信用できないというご意見があるようです。
なるほど、そうですか。
では、そういうご意見をお持ちの方達に伺いますが、松尾良彦氏がこれまでメディアに証言してきたことや、メディアを利用して松尾氏自身が発信してきた情報は、きちんと裏が取られて間違いなく事実であることが確認されているでしょうか?
されていませんよね。
私が知る範囲では、殆ど全てが松尾氏の証言を裏取りもせずにただ垂れ流すだけの記事であったり番組でした。

松尾氏の証言は、裏取りもせずに事実だと決めつけ、田村氏の証言は事実であることが証明されていないから信じない。
これは、典型的なダブルスタンダードですよね。
「人は自分が信じたいことしか信じない」とよく言われますが、まさにその典型的な例といえるでしょう。
こんなのはアンフェア、不公平としかいいようがありません。
あるいはご都合主義とも言えるでしょう。

少し話が横道に逸れますが、我が国の放送法第四条には以下のような条文があります。

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
(出典:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html

これは放送事業者を対象にした法律ですが、マスメディアの一端を担う新聞や雑誌などの紙媒体も、編集に当たって当然遵守すべき事柄でしょう。
で、注目して頂きたいのが第四号の条文です。
“意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること”というのはつまり、複数の意見がある場合は全てを取り上げた上で、様々な角度から検証し論点を明らかにしなさいということです。
放送の場合は、必ずこうしなさいよということが法律によって決まっているのです。
これは逆に言えば、“特定の意見だけを取り上げるのはご法度だ”と解釈できるでしょう。

ところが、私の知る範囲での話ですがある旧車専門誌の二誌が、田村氏の意見は取り上げないことを明言しています。
今の段階では、その二誌の誌名は明かさないでおきますが、悲しいかなこれが現実です。
理由は、どうやら松尾氏と懇意にしている関係で、松尾氏の立場が悪くなるような記事は掲載できない、ということのようです。
メディアが守るべきルールよりも、お友達関係の方が大事だとは、何ともお粗末な話ですね。
そんなことはともかく、意見が対立している問題については両論を併記する、これが報道の大原則といえるでしょう。
意見を恣意的に取捨選択することは、結果的に事実を枉げることになりますから、絶対にするべきではありません。
もし松尾氏の意見を取り上げる場合は、田村氏の意見も取り上げるべきですし、田村氏の意見を取り上げないのならば、事実であることが確認されていない松尾氏の意見も、同様に取り上げるべきではありません。
それが、公平な報道というものです。
私のこの主張は、間違っていますかね。

再び話が横道に逸れますが、トヨタ2000GTのバイブル本の著者として有名な吉川信氏は、以前 以下のようなことを私に語られました。

・松尾氏とも永い付き合いですね。今日もZの開発の話を色々聞きましたよ。
・当時から追浜には私自身出入りをしておりました。
・この方々(管理人注:S30Zのデザイン開発に関わったデザイナーやモデラーの方達)は存知あげておりますよ、そしてこの方々がお持ちでない資料やデザインスケッチ、更に当時のマル秘資料も段ボール箱に5箱も持っております。
・S30Zの本を出すとすればトヨタ2000GTの本の3倍くらいのボリュームになり既に原稿は仕上げています。
(以上、すべて原文ママ)

ご覧のように、吉川氏は既にS30Zに関する本の原稿を書き上げていて、その分量はなんとトヨタ2000GT本の3倍にもなるそうです。
しかも、吉川氏は当時から追浜に出入りしていてマル秘資料も沢山持っているとのこと。
吉川氏は、S30Zの本を出すつもりはないと言っていましたが、もし出版されれば、トヨタ2000GT本での実績から考えて、きっとS30Z研究の第一人者と言われることになるでしょう。
そんな吉川氏の主張は“松尾氏こそS30Zの真のデザイナー”で“田村氏は偽物”というものです。
しかし、私が吉川氏とやり取りする中で、吉川氏が田村氏の主張に対して論理的に反駁したことは只の一度もなく、松尾氏が真のデザイナーであることを何がしかの証拠を示して証明することもありませんでした。
もっと言えば、S30Zのデザイン開発に関する具体的な話はひとつも出てこず、対人論証に終始していました。
対人論証というのは、「主張の内容ではなく、相手の人格を攻撃することにより、主張・反論の代わりにしようとする詭弁」です。
詭弁にも色々種類がありますが、対人論証はまあ、一番下品でレベルの低いものと言えるでしょうね。(苦笑
そんな訳で、S30Z研究の大家とも言える人物でさえも、具体的な証拠を挙げて松尾氏の意見の正当性を立証することはできなかったのです。
田村氏の意見に対して論理的に反駁して、田村氏を論破することはできなかったのです。
これは紛うことなき事実です。
私と吉川氏とのやり取りをご覧なった方は、恐らく沢山いますよね。(あの時の拙ブログへのアクセス数は相当なのもでしたし、吉川氏も自身のブログのアクセス数が増えたと言ってましたから)
上掲の、吉川氏の証言(元はブログのコメント)は、既に吉川氏によって削除されていますが、私は消される前に当該エントリーを丸ごと保存しておいたので、いつでも何度でも吉川氏の証言を再現することができます。
私がここに書いた事が事実であることを証明するのは、容易いことです。

ということで、松尾氏擁護派の中で恐らく一番の実力者であり最も沢山の情報を持っているであろう吉川氏をもってしてもこのような按配でした。
他に誰が、松尾氏の主張が絶対無謬の真実であることを証明できるでしょうか。
これまで誰も、その主張の正当性を証明できなかった松尾氏の意見を、メディアが“事実”として報道してきたことの是非を、我々旧車ファンは大いに議論すべきではないでしょうか。

ここで誤解して欲しくないのは、これは個人の功績の奪い合いという小さな話ではないとうことです。
田村氏も松尾氏も、S30Zのデザイン開発の現場に立ち会った当事者です。
その両名の意見が相違しているのですから、何が真実なのかをきちんと調査するべきだ、というのが私の考えであり熱望していることです。
誰の功績であるか、誰が虚言を述べて世間を欺いたか、ということを明らかにすることは、当ブログの本旨ではありません。
それらは、真実・真相が詳らかになればおのずと判明することですから、敢えて目を向ける必要はないのです。
そして、先に述べたように、S30Zのデザイン開発をメディアが取り上げる場合は、必ず田村氏と松尾氏の両論を併記して論点を明らかにするべきで、一方の意見を取り上げないのならばもう一方の意見も取り上げないようにして常に公平公正を期して欲しい、というのが私のもう一つの望みです。
繰り返しになりますが、意見の取捨選択を恣意的に行なえば、事実を枉げることになり良いことは何もありません。
誰かの都合で国産旧車史を捻じ曲げるようなことは、もうして欲しくないのです。
これは、全ての旧車ファンが望むことでしょう。

私が以前、YouTubeにS30Zに関する動画を投稿した際、Zフリークが集う海外のフォーラムにその動画を主題にしたトピックが立ちました。
そのトピックでも、やはり松尾氏擁護派が多かったのですけれど、そんな中でS30Zのヒストリーにかなり詳しいと思しき方がこんなようなことを言っていました。
「優秀な子供には、沢山の親が現れる」
松尾氏擁護派の急先鋒のような人でしたから、松尾氏が本物の親で、田村氏は功名心に駆られて現れたニセ親だと言いたかったようです。
でも、残念ながら松尾氏も、所詮は産みの親を自称しているだけですよね、現時点では。
とすれば、今必要なのはきちんとDNA鑑定をすることでしょう。
少なくとも田村氏はDNA鑑定が為されることを望んでいますし、松尾氏にしても長年 ご自身が主張してきたことが事実であることを証明されるよい機会ですから、これを拒むことはないはずです。
S30Zの愛好家の方達も、(自分が信じたいことしか信じないご都合主義者でなければ)DNA鑑定がなされて真相が明らかになることを、喜んで受け入れてくれるはずです。
幸い、当時S30Zのデザイン開発に関わった当事者の方達の多くはご存命なので、鑑定士には事欠きません。
誰の不利益になる訳でもないのですから、これをやらない手はないですよね。

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2013年8月16日 (金)

『細谷四方洋 回想録 #6』

2013/08/18)写真提供者のクレジットを訂正しました。

細谷さんの回想録 その6です。
都合により一日遅れの掲載になってしまいました。何卒ご容赦の程を。。。

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今日は敗戦記念日です。
この日が半月早ければ父も広島で原子爆弾ピカドンの被害に遭わず、私の人生は変わっていたと思います。
父は警察官で勤務地は原爆ドームのすぐ近くでした。
終戦と普通は言いますが、間違いなく日本は戦争に負けて敗戦記念日です。

回想録#4のモックの写真でわかりますが運転姿勢・操作性・視認性等、私の責任で色々と意見要望を提案しましたが
一番のポイントはスピンした際、車の今向いている方向が分るように、フェンダーにラインを入れてもらった事です。
このフロントフェンダーがトヨタ2000GTの大きな特徴の一つです。
トヨタ2000GTは、一号車と二号車とではかなりの変更があります。
二号車以降は、基本的に生産車と同じです。
トヨタ2000GTの一号車と二号車以降の違いを具体的に挙げると。

<<外観の相違点>>
*  ヘッドライトの形状
*  ドアーとリアフェンダーのクリアランス
*  ドアーハンドルの形状(一号車はクラウンのものを流用)
*  バッテリーカバーのキーの有無
*  フロントウインカーの形状
*  スピンナーの形状
*  フロントフェンダーの盛り上がり
*  フォグランプ枠の形状
*  ワイパー(一号車は3連、二号車以降は2連)

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                    (クリックで拡大表示)

<<内装やメーター関係の相違点>>
*  ハンドル
*  メーター(四角型から丸型に)
*  ラジオ・時計
*  グローブボックス
*  サイドのエアダクト
*  ハンドル下のスイッチ

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                   (クリックで拡大表示)

      細谷 四方洋   2013年8月15日 22:00
20130723_hosoya (クリックで拡大表示)
    『流線の彼方』より拝借


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2013年8月10日 (土)

『細谷四方洋 回想録 #5』

細谷さんの回想録 その5です。
今回は、細谷さんと河野さんによって、ヤマハ発動機からトヨタのテストコースに運び込まれた直後に撮影された「トヨタ2000GT第1号車」の写真を送って頂きましたので、それらを全て掲載します。
また、細谷さんがさらに詳しく記して下さった、トヨタ2000GT第1号車を受領してきた当日の模様もアップしますので、写真と併せてご覧頂けましたら幸いです。

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ヤマハ発動機より受け取ったトヨタ2000GTの1号車は、無事午後3時半ごろトヨタのテストコースに到着。
早速待機していたトヨタ技術部の写真室のメンバーが、手際よく約1時間で写真に収めました。

それからテスト走行に移り、栄光の最初のシートに河野さんの指名で私がハンドルをにぎりました。
エンジンが掛かったその時の排気音の心快いサウンドは、今でも耳にしっかり記憶しています。
少しずつ慎重にスピードアップをして周回をし、最高約120キロ位までの不具合の確認をしてピットに戻りました。
次に河野さんがハンドルを握られ、周回をしてピットインされました。
河野さんの第一声は「この車のポテンシャルはかなり好いぞ!」で、この言葉が今も印象に残っています。
私もその印象通りの感想でした。

その後、野崎さん、高木さん、松田栄三さんと技術屋さんの試乗が行なわれました。
トヨタのテストコースには鈴鹿サーキットを模した2キロ弱のコースがあり、そこでテスト走行を行いました。
トヨタ2000GT第1号車の写真の中にコース監視室が写っています。
夜8時頃に全員のテスト試乗が終わり、最後に私が乗りましたが最初と少し様子が違いました。
最初のしっかりした直進性・コーナーリング時のハンドリングが感じられず、ピットインして足回りをチェクすると
ホイールのスポークが緩んでいたのです。

2号車は数日後に完成でスポークホイールが既に注文されていましたが、3号車以降は急遽スポークホイールを取りやめ
一体型のホイールに変更することとなりました。
材質は何にするかで議論がありましたが、私はロータスの美しいマグネホイールが頭にありマグネシウムを強く主張し
材料はマグネに決まり、ホイールデザインは野崎さんが一晩で書き上げてホイールメーカーに発注しました。

トヨタ2000GTの開発に携わって、このマグネホイールが私の大失敗でした。
マグネシウムは経年劣化がアルミ等に比べて激しく、約半世紀経った現在でも100台以上のトヨタ2000GTが
元気に走行している事など発売当時は夢にも思いませんでした。
337台生産されて約三分の一のトヨタ2000GTが現存し走行している事は奇跡です。

今日の写真は松田栄三さんから借りたものです。
*画像は全てクリックすると拡大表示します
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           細谷四方洋     
20130723_hosoya (クリックで拡大表示)
    『流線の彼方』より拝借


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2013年8月 9日 (金)

Honda四輪発売50周年ムービー「Honda四輪への挑戦」

「Honda四輪への挑戦」なる動画がYouTubeにアップされていることを教えて頂いたので、以下に貼り付けておきます。
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今年、Hondaは四輪発売50周年を迎えました。
1962年のモーターショーで、HondaはSPORTS360・SPORTS500­・T360を発表、
翌年Honda初の四輪市販車としてT360を発売。
念願だった四­輪進出を果たすまでの過程を、当時の様子と共に振り返ります。
本田宗一郎の熱い肉声は必聴です!
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↓こちらの動画は私が見つけたもので、ホンダS500の試作車“スポーツ500”がちょこっとだけ映っています。(07:49以降)


 

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2013年8月 1日 (木)

『細谷四方洋 回想録 #4』

細谷さんの回想録 その4です。
今回は原寸大のモックアップの写真を送って頂きましたので、本文の中に掲載します。

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やっと探していた写真が見つかりました。
本来ならばこちらを透視図より出したかったのですが、写真の整理がうまくないので探すのに時間が掛かり
今回モックアップの写真を送ることができました。
130731__2  (クリックで拡大表示)
この写真が撮影されたのは'65年の初めで、運転席に座っているのは当時25歳の私です。
この1枚の写真で判ると思いますが、視認性・ハンドル・メーター類・チェンジレバーの位置・レバー類の位置などの
最終決定をして1号車の製造に掛かりました。
メーターパネルはヤマハピアノなどに使用するローズウッドの特級品、スイッチレバーはエレクトーンの最高級品と、
ヤマハさんの技術と製品をふんだんに使用しました。
前期型トヨタ2000GTのメーターパネルは一 品物で、同じ模様はありません。

'65年のお盆に完成するようにヤマハさんは技術の粋を投入して頑張って下さり、トヨタ2000GT一号車が完成。
受け取りにトヨタの夏休みの8月14日に、豊田から河野さんと私でヤマハまで大型幌つきのDAトラックで、
東名がまだ開通前だったので国道1号線を使って浜松まで行きました。
構想から1年未満でトヨタ2000GTが完成したことは脅威的な事です。
昼に車を積み、ヤマハの安川さんをはじめ多数の方々に見送られて直ぐにヤマハさんを出発しました。
トヨタテストコースに着いたのは午後の4時前だったと思います。

続く
                 細谷四方洋     13/7/30      13:00
20130723_hosoya (クリックで拡大表示)
    『流線の彼方』より拝借

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自動車の開発期間は、90年代前半頃で国内メーカーの場合、外観デザイン決定から量産開始まで平均で約30ヶ月(欧米では約40ヶ月)掛かったそうです。
90年代終盤にはそれが約20ヶ月まで短縮されて、00年代前半には日産の場合 約15ヶ月、トヨタは派生車を10ヶ月で開発したとのこと。
トヨタ2000GTの場合は、基本構想に着手したのが'64年11月1日で、全設計図が出図されたのが'65年4月。
河野さんと細谷さんがヤマハ発動機でトヨタ2000GTの1号車(280A)を受領されたのは'65年8月14日です。
CADも用いずに、この短期間でトヨタ2000GTが開発されたという事実にとにかく驚かされますね。
しかも、トヨタ自動車・ヤマハ発動機の両社とも、トヨタ2000GTの開発にそれ程多くの人員を投入した訳ではありませんでしたから、その点を勘案するとさらに吃驚です。
僅か9ヶ月ほどで、試作1号車の完成に漕ぎ着けたのは、トヨタ2000GTの開発に関わった全ての方達の情熱の賜物でしょうね。


  

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【祝】ホンダT360生誕&ホンダ四輪市場参入50周年

既報の通り、ホンダの市販四輪車第1号となった軽トラックのHONDA T360は、50年前の今日(1963年8月1日)発売されました。
今日はホンダT360の50回目の誕生日です。
また、ホンダにとって初の市販四輪車が発売された日は、ホンダが四輪市場に参入し四輪車メーカーとしての歴史を刻み始めた日でもあります。
   
このような、ホンダにとって非常に重要な日が全く注目されていないのは甚だ寂しい限りですが、これが現実ですからまあ仕方ないですね。
そんな悲しい現実はとりあえず無視して、 ホンダT360の生誕50周年と四輪車メーカーとしてのホンダの50回目の誕生日を心からお祝いしたいと思います。

Happy Birthday "HONDA T360" & "HONDA as the automobile manufacturer"

130801_akfll (クリックで拡大表示)
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