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2013年7月15日 (月)

『細谷四方洋 回想録 #2』

細谷さんの回想録 その2です。

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野崎さんの使用した道具は、定規・コンパス・バッテン・鉛筆が主な道具になります。
再度確認のために念を押しますが、デザインは野崎さんです。
私の仕事は野崎さんのアシストと河野さんの運転手で、ほとんどトヨタとヤマハ発動機・鈴鹿サーキットの移動は一緒でした。
一番の思い出は、トヨタ2000GT一号車の受け取りにトヨタのお盆休みに私が大型の幌のついたトラックで河野さんと
ヤマハ発動機に行き、昼飯をご馳走になり積み込んでトヨタのテストコースに着きました。
3時頃だったと記憶していますが、待機していた写真室の皆さんが撮影に係り、無事撮影も終わりました。
この時のトヨタ2000GTの写真がカタログ等に掲載されて、皆様の前に発表されたのです。
約2時間位で撮影が終わり、テスト走行が始まりました。
栄誉な最初の走行をした時の感激は今でもしっかり頭にあります。
テストコースを数周して河野さんにバトンタッチ、その後再び私がハンドルを握り徐々にスピードアップしていきました。
このままでテストが終われば目出度しめでたしですが、問題が発生したのです。
ホイールのスポークに緩みが発生して、走行時にローリングがおきたのです。
2台分のホイールは出来ていたのですが、3号車以降もスポークホイールで仕掛けてあるので、河野さんの判断で
スポークは諦める事になり、野崎さんが一晩で鋳造製の図面を書き上げました。
私の頭にはロータス23やロータスレーシングエランの美しいマグネホイールが有ったので、ホイールの材料はマグネシュウムと進言し
マグネに決まりましたが、これが私の一生の不覚で、レースに使用するのは軽量で優れているのですが、経年劣化があるので
市販車にはマグネは不向きだったのです。
まさか45年も走行し、現在も元気で走り続けているとは思いませんでした。
生産台数330台あまりの中、100台以上の現動車がある事は大変な驚きです。
今のデジタル車と違って、トヨタ2000GTはアナログの車です。
10年前のデジカメ等は、ほとんどメディアが違って使えない物が大部分です。
オーナーの方々の愛情ある整備さえ行えば、後50年やそれ以上の走行が可能です。
1号車のその後は後日書きます。

          細谷四方洋    13/7/12   18:00
20130723_hosoya
(クリックで拡大表示)
    『流線の彼方』より拝借


細谷四方洋 回想録 #3』に続きます。 
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トヨタ2000GTのバイブル本で有名な吉川 信氏が、以前私に「トヨタ2000GTもS30Zと同じように、我こそがデザイナーだという人間が2人いるのだ」というようなことを言っていましたが、細谷さんの認識はご覧の通りです。
トヨタ2000GTのスタイリングを手掛けたのは、野崎 喩さんで間違いないでしょう。
そして、初めて2000GTをテストした時のお話は電話でも伺ったのですが、電話口での細谷さんお話し振りが本当に嬉しそうだったことが、とても印象的でした。
そして一転、ホイールの件では、材質をマグネシウムにするよう進言してしまったことを、本当に申し訳なさそうにお話されていました。
流石に、数十年先まで使われることを見越してクルマを設計するなんて、現代でもあり得ませんから、マグネシウムホイールを選択したことは決して誤りではなかったと私は思います。
まあ、2000GTのオーナーさんの場合には、またちょっと違った見解になるのかもしれませんが…。
次回は1号車のお話になりますが、細谷さんの負担にならないよう、週一くらいのペースで書いて頂くことになりましので、ブログへのアップは少し先になると思います。
鶴首してお待ち下さい!



  

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コメント

貴重なお話ですね。
ワイヤーホイールを採用しなかった件はたわむからと聞いていましたが、実際に事故があったのですね。
マグネシウムホイルは採用した当時では現在の事まで見通すのは無理ですよね。
お話の続きが早く読みたいです。

投稿: スポーツ800 | 2013年7月16日 (火) 午前 10時44分

>スポーツ800さん
コメントありがとうございます。レスが遅くなりまして申し訳ありません!
本当に貴重なお話ですよね。
私なんかが、細谷さんのような著名な方から直接お話を伺えるなんて、正直夢にも思いませんでした。
色んな意味で“垣根”を取っ払えるのが、インターネットの良いところですね。
ワイヤーホイールは見た目はゴージャスでよいのですが、高速走行するとなると、なかなか難しいところがあったみたいで。。。
物の本には、ヤマハにモーターサイクル用のスポークホイールを作る技術しかなかったために云々と書かれていますが、やはり二輪と四輪では必要なノウハウが違ったのかもしれないですね。
ホイールの材質に関しては仰るとおりで、40年以上も経過した時のことまで見通すのは無理な話ですし、仮にアルミホイールだったとしても、これだけの年数が経てば、やはり経年劣化は避けられなかったと思います。
確かに、マグネシウムホイールは寿命が短かったかもしれませんが、それを採用していたことでスポーツカーとしてのステイタス性は確実に高まりましたから、寿命に関する欠点を補って余りあるメリットがあったと個人的には思います。
私も、次回の1号車のお話、とても楽しみです。
メールを頂きましたら出来るだけ早くアップしますので、今しばらくお待ち下さい!

投稿: mizma_g@管理人 | 2013年7月16日 (火) 午後 11時48分

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