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2012年6月16日 (土)

田村久米雄氏と奥山清行(Ken Okuyama)氏のトークセッションin 山形

【2012/07/12】画像を追加しました
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去る6月10日、山形県寒河江市の最上川ふるさと総合公園で開催された「Nostalgic Car Meeting 2012」に、田村さんは特別ゲストとして招待される光栄に与りました。
このイベントのために、田村さんはクレイモデルのサンプルやクレイモデルを製作する際に使用するツールをずいぶん前から準備されていて、カーデザインの手法を広く知ってもらおうと意気込んでおられたのですが、何と当日はあの世界的に著名な工業デザイナーである奥山清行(Ken Okuyama)氏が態々出張先から駆けつけて下さり、期せずして新旧デザイナーによるトークセッションが行われる事となったそうです。
奥山さんがイベントに駆けつけて下さった理由が素敵なのですが、それは本文の方でご紹介するとして、やはり功成り名を遂げた方というのは、物事の本質を見抜く眼力をお持ちなのですね。
今回、奥山さんの凄さを改めて思い知りました。(この理由も本文を読んで頂くと分かります)

この思いがけないサプライズがあったイベントの模様を、私は田村さんからお手紙で知らせて頂いたのですが(手紙は私を含めた数名のサポーターにのみ送られました)、我々が読んでハイおしまい、では田村さんがせっかく書いて下さったお手紙が非常に勿体ないので、私の方からお願いしてブログへの転載の許可を頂きました。
私のように当日会場に行けなかった方も、幸運にも行くことが出来た方も楽しめる内容だと思います。
田村さんによるイベントリポートを、是非ご一読頂ければと思います。

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 イベント前日は寒河江のイベントに私を推していただいた山形のOさんが山形城跡(城郭面積としては日本最大=周囲6.5km以上も有り、大手門が昔ながらの工法で再現されており、なんと20~30年計画で石垣の修復を始めていました。)、旧県庁舎・県会議事堂(明治10年の建築で、国の重要文化財として平成7年に昔のまま修復し、資料館として開放している。)、旧県立病院(中庭にある円形の木造三階建てで明治11年落成、これも郷土資料館として開放、現在は山形城二の丸内に移築されている。)などを案内してくれました。私は高校時代、浜松城の調査・研究をしていたので、これら古い構築物に興味があったからです。
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120712_image11  (クリックで拡大表示)


 イベントではクレイモデルのサンプルやツールを皆さんに観ていただき、クルマのデザインがどうして作られるのかを会場の片隅で来場者に説明できればと思っていましたが、会場のひな壇中央テントに来賓席が設けられ、市長さんやこのイベントを主催している丸森造園の社長さんの名と共に、特別ゲストとして私と奥山清行(Ken Okuyama)さんの名が掲示され、胸に赤いリボンを付けられました。
 始めて目にしたイベントのパンフレットに私の描いたS30のフロントビューのイラストがデンと掲載され、何と、三妻自工のブログにアップされたイラストのウインドウシールド部の文字をひとつひとつ消して再現してくれたのだそうです。まるで参加してくれた80台余りの旧車達をS30が引き連れているような印象で、こんなにしちゃっていいのかな、と思った位です。

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※これがパンフレットです。ページを開くと参加車輌が写真付きで紹介されています。

 開会式で私も挨拶をということだったので、『私がガキの頃、石畳を蹴散らしながら青梅街道を走り去るキャタピラーを付けたままの進駐軍の戦車を何度も目撃して其の度に腹が立ったこと、走り去った後を日本人の大人達が文句も言わず、その石畳を黙々と元に戻している姿に腹立たしい思いをしたこと、そのきれいになった道をアメリカのフルサイズ・カーのセダンやオープンカーが米軍の家族を乗せて颯爽と走り去る光景を見て、かっこいい車があることに衝撃を受けたこと、この頃「俺が大人になったら、アメリカ人が日本人に頭を下げても欲しいと言わせる車を作ってやる!」と心に誓い、絵のトレーニングと自動車の勉強を始めたこと、父の乗っていた中古車のダットサンのスリフト・セダン、DBセダン、110などの修理、点検を小学生の頃から始め、自動車コースのあった工業高校に進学し、ずっと車の運転の出来るアルバイトをしていたこと、21歳になって日産自動車の造形課に入社出来、車のデザインをするチャンスを得たこと。
 この昭和35年から昭和50年に掛けての15年間は車をデザインする方法が大きく変化して現在のデザインスタイルが確立した時期であったこと、そのただ中にいたので木型で造形していた時期、スケールモデルで油粘土を使いデザインしていた時期、アメリカからインダストリアル・クレイという素材が紹介され、ツールと共に日産がその製作技法をいち早く吸収していたこと、フルサイズの線図を設計に渡していた時期からコンピューター化が導入され、自動切削、自動計測が実用化され今日に至っていること、今日はクレイのサンプルやツールを持ってきたので実際に手にとって観て欲しい』と挨拶しました。(実はずっと膝が震えていました(笑))

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※ ↓こちらにも画像があります。
http://m-furusato.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/2012/06/DSC01907.jpg
http://m-furusato.sakura.ne.jp/?p=6561 (画像の引用元のブログ)

 私が持参したクレイモデルのサンプルは大好評で、テーブルの周りに大勢の人々が集まって話が出来ました。
山形のOさん(ダットサン会510クラブのメンバーで、初年度の510SSSクーペ、初代サニーセダン、2代目サニートラックのオーナー)が写真が趣味だからと平塚でのS34のフルサイズクレイモデル、510ブルーバードのデザインを担当した内野さんがスケールモデルの作業をしている写真などを四つ切にして準備してくれました。初めて見るクレイモデルに、皆さん興味津々の様子でした。
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                                                (クリックで拡大表示)

 前日まで朝から小ぬか雨が降っており、当日どうなるのか心配しましたが、翌日は朝から薄曇で、昼頃から日が射して暑いくらいでした。私の晴れ男のジンクスが崩れるかと思いましたが、Oさん、急遽駆けつけてくれた奥山さんも晴れ男だそうで、首や二の腕が真っ黒になってしまいました。前日の雨模様で参加を取りやめた車が何台かあったようでしたが、展示車輌の中からBEST 1を選んでくれと大役を仰せつかりました。どれもが私の青春時代をサポートしてくれた懐かしい車ばかりで迷いましたが、やはり私が選ぶのですからオリジナル・レッドの'78年式S30(432 / 下掲の車輌)に決めました。奥山さんはなんとスカイライン1500GTBをチョイスしました。渋いですね! 残る1台は'63年式トヨタクラウンが選ばれました。
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 奥山さんは昼過ぎに会場に来られ、私に「話はいろいろ聞いてますよ。よろしく。」と挨拶されました。以前から、山形のKさんなどから私の事を聞いており、松尾さんはデザイナーではないと始めから思っていたそうで、やっと本物が現れたかと思ったそうです。松尾さんではない本物だと思われる人間に是非会いたいと出張先の福岡から空路、駆けつけてくれたそうです。既に三妻自工のブログも眼を通して下さっていて、よくご存知のようでこっちが驚いてしまいました。会ってみると奥山さんは芸術の職人そのものでした。

 午後からは、丘の芝生の貴賓席では皆さんに窮屈な印象を与えてしまうので、展示車と同じ場所にテーブルを移してクレイモデル、写真などを皆さんに見て貰いました。参加していたフェアレディSR(私が第4スタジオで最初にデザインしたルーフトップを装着)にはトランクリッドの裏にサインを頼まれました。出店で買ったプラモデルにも幾つかサインを頼まれ、色紙(トータル30枚くらい)やポスター、パンフレットにも次々にサインを頼まれて、何度もタレント並みのサイン会になってしまいました。恐らく100回くらい書いたのではないでしょうか。驚いたのは、出店で車のイラストを描いて売っていた人がS30のイラストを持って来て、サインを下さいと頼まれ、売らずに飾るのだと言っていました。(管理人注:多分↓こちらの方だと思います)
http://car-illustration.blogspot.jp/2012/06/nostalgic-car-meeting-2012-in_10.html
そんな訳で、山形では私のサインは二束三文です。(スタッフから余所ではあまりサインをしないでくださいネ、と言われてしまいました。(笑!!))

 午後になって、新旧(奥山さんは山形出身で、17年間フェラーリなどでデザイン活動をし、現在は山形市内でデザイン活動をされているとのことでした。)のデザイナーが揃っているんだからと急遽、トークショーをやってくれということになり、30分(話が盛り上がってなかなか途切れないので、途中、スタッフからそろそろ…とストップが掛かりました。)ほどマイクを通して座談しました。
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                      (クリックで拡大表示)
※田村さんと奥山さんのトークショーの模様は↓こちらのブログでも見ることができます。
http://minkara.carview.co.jp/userid/360315/blog/26783221/

 奥山さんから私をフォローするように、会場の皆さんにデザインの始めはフルサイズのモデルから始まること、スケッチは所詮二次元の餅で、立体のモデリングが重要であること、イタリアだけはずっと昔ながらの木型を削るやり方でやっていたそうで、デザインの自由度をアップするために奥山さんがドイツに出掛け、シャーバンド社のインダストリアルクレイ(私の在籍中の前半はシャーバンドのクレイを使っていましたが、非常に高価だったので日本の“いずみや”(後にTOOL'S INTLに組織変更)に開発してもらいました。)をトラックに積んで密輸入したのがイタリアでクレイモデルが普及した始めだったそうです。('95年頃との由)
私が持参した昔の油粘土を奥山さんは興味深げに見ていました。(奥山さんの時代には、油粘土は無くなっていましたから)

http://m-furusato.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/2012/06/DSC01945.jpg

 当初は1/4~1/10スケールで手書きで線図を描いていたこと、初代シルビアは油粘土でモデルを作り、1/4スケールの線図をヤマハに渡し、金管楽器を作るヤマハの職人が最初の試作モデルを作った話も皆さん興味を引いたようでした。(聴衆が一斉にうなずいてくれるのが嬉しいですね。)
 イタリアの全ての自動車メーカーはフィアットの総帥の承認がなければ許可されないそうで、奥山さんが手がけたマセラティ・クワトロポルテも当初、縦目でデザインしていたのだが、総帥から「ローマ法王が乗るには横目が相応しいと思わないか」と言われ、素直に納得したと話してくれました。奥山さんはさすがトークがお上手で大いに助かりました。私が『出来上がったクレイモデルは眼で見ただけで「これでいいかな」と思っても掌で撫でると「いや待てよ、もっと削ったほうがさらに良くなる」「ここはもう少し緩やかに変化させよう」というように沢山のことが分かるもんですね』と話したら、『おっしゃる通り!今のデザイナーはCGに頼り過ぎて、残念ながら自分でモデリングする能力がなくなっている』と奥山さんが応えてくれました。

 やはり実車を前に話をしているといろんな事を思い出すもので、432のエンジンを詰め込むのにパワーバルジをさらに高くしなければならなかったが、シボレーコブラのようにフードに後で取って付けたような姿には絶対にしたくはなかったので、中心のVを強くして両側の先端部を絞り込んでデザインしたこと、デザイン開発の終了時に上司のチーフから「バッテリーの点検のため、フード後端の両側に100×200mmのハッチを付けろ」と指示されたこと、そこで当初はフードのパーティングラインがウインドウシールドまで一直線であったが、ハッチの外側に修正し、ハッチの前面をウインドウシールド、フード先端のカーブとバランスが取れるように斜めにカットしたこと、ボディサイドのショルダー部、ウエスト部のキャラクターラインを躍動感が出るようにRを変化させて表現したこと、幾つもの装着タイヤにも対応できるようにホイールハウスのフランジを何度も工夫した事などを解説しました。

 今回のクレイモデル・サンプルは費用も掛かり、時間的な制約もあったので小さなサンプルしか作れませんでしたが、メーカーのTOOL'S INTL(旧いずみや)に連絡したら、「過去、デザイナーが見本を作って皆さんに見せたいと云った人は初めて」との事で、すべて無償で協力してくれました。(材料だけで5千円くらいもします。)

 奥山さんとのトークショーのお陰で、今回のイベントでは山形の人達に貴重なデザインの現場の話を伝える事が出来ました。イベントの終了時間が迫っても皆さんが私の話を興味深く聞いてくれて嬉しい限りでした。また、イベント中、私をサポートして下さったスタッフが若く美しいモデルさんでタレントもしている人で、常に私と同行してくれるのは気分のいいものでした。

 私の公の舞台への初登場であった今回のイベントの成功は、幾つもの幸運が重なっています。
平塚のイベントでダットサン会のメンバーに出会っていた事、彼らが一様にトークショーなどで松尾さんの発言、振る舞いに疑義を感じていた事、彼らから声を掛けて頂き、何度か旧車イベントに呼んで頂いて交流があったこと、彼らがS30の愛好家達ほど松尾さんに接していないので私の話や記述を素直に受け止めてくれていたこと、私がS30スタジオ以前に510ブルーバードのデザイン開発に参画しており、内野さんが私を認めてくれていることを皆さんが知っていたこと、山形のイベントスタッフがクラブ510のメンバーであったこと、奥山さんがイタリアから地元に戻っていた事、彼が地元でも著名なデザイナーとして知れ渡っていること、彼が職人肌のデザイナーであったこと、話の焦点をクレイモデルを中心としたデザイン作業の移り変わりに絞っていた事などが重なって、山形で私が認知されたのだと思います。
 それを祝福するような好天に恵まれ、昼には雲が晴れ雪を頂いた月山が姿を見せてくれた時は感激しました。私の門出を祝福してくれているように感じました。
120712_ (クリックで拡大表示)
地元の人達のやさしさと何人もの美人スタッフにサポートされたこと、おいしい料理、甘い佐藤錦、美しい景色と私にとって贅沢な二日間でした。
 今回の出来事は、粘り強く私を支持してくださった皆さんのお陰だと強く感じています。

 帰りの新幹線では30代のきれいな女性が隣に座り、ずっと話が盛り上がり東京まであっという間に到着してしまいました。

 私の写真で白髪頭であごひげが無くなっていることに驚かれるかもしれませんが、15年ほど前、ある事がきっかけで急に白髪が増えて染めていたのですが、乾燥肌になっているようでかぶれるようになり、昨年暮れにそれが原因で染めるのを諦め、あごひげを剃りました。





        

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コメント

はじめまして。
今回、山形のイベントに田村氏をお誘いしました張本人です。
日本を代表する名車、DATSUNーZ、初代フェアレディZのデザイナー田村氏と、現在日本を代表するデザイナー奥山氏のトークショウも実現出来ました。
地方のイベントとは思えない豪華で、とても内容の充実したものでした。
当初、予定に無かったのですが、私が無理にお願いして時間取ってもらいました。
地元、山形芸術工科大学の学生さんもお誘いしました。
お二人のトークショウを聞いてくれたそうで、心の中に残ってくれたらうれしいです。
実際にデザイナー本人から生の声を聞く機会を得られると言う事は、とても有意義であると思います。
創作したデザイナー本人が、正しい評価を受けるべきだと思います。
今回このような場面に立ち会えたことを、非常に光栄だと感じています。

投稿: 山形のO | 2012年6月17日 (日) 午前 12時00分

>山形のOさん
初めまして、コメントありがとうございます。
山形のOさんのことは、田村さんからこのエントリーで紹介したお手紙で伺っていました。(エントリーでは個人情報の部分は割愛しました)
まずはイベントが成功裡に終わったこと、あめでとうございます!
山形でのイベントに田村さんが招待されたことは、ずいぶん前に田村さんから伺っていました。
また、イベントで話す内容を考えていることや、クレイモデルのサンプルなどを準備していることなども、田村さんから事前に知らされていたので、本番ではどうだっただろうかと気になっていたのですが、山形および東北の旧車ファンの方達に温かく迎え入れて頂けたようで、また山形のOさんを初めとしたスタッフの方達から厚いもてなしを受けたと伺って、サポーターの一人として感謝の念に堪えません。
あの世界の奥山さんが駆けつけて下さったことには吃驚しましたし、田村さんの手紙を読んで、奥山さんの件では正直鳥肌が立ちました。
これ以上望めないような強い援軍を得た気持ちで、とても心強くなりました。
それもこれも、山形のOさんのご尽力の賜物と思います。
田村さんに代わって、お礼申し上げます。 ありがとうございます。。。
仰るように、評価されるべき人が正しい評価を受けるべきですし、今回のイベントは田村さんにとって初めて世間に正当に評価された、記念すべきイベントだったと思います。
惜しむらくは私もその場に居られたら…。 考えると残念でなりません。orz

投稿: mizma_g@管理人 | 2012年6月17日 (日) 午前 09時44分

mizma様私のブログ「yahooブログ・書き留めておきたいこと」に田村様よりコメントをいただきました。内容は三妻自工ブログを読んでいれば判る事ですが、知らない方には何の事なのか判りづかいとおもいますので貴ブログを紹介させていただきました。事後承諾でございますがよろしくお願いいたします。

投稿: グズグズ | 2012年8月 6日 (月) 午前 01時37分

>グズグズさん
レスが遅くなりまして申し訳ありません。。。
事情は分かりました。
当ブログは基本的にリンクフリーですので、事後承諾になっても全く問題ないです。
今後とも拙ブログをご活用頂けますよう、是非よろしくお願い致します!

投稿: mizma_g@管理人 | 2012年8月 7日 (火) 午後 10時04分

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