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2011年12月18日 (日)

【S30Z】初代Zをカタチ創った男達【Datsun 240Z】

2012/01/14造形課の組織図へのリンクを追記しました。
2012/01/10】 ヤングナイツの写真を追加しました。
2012/01/09】 解説文を追記しました。
2011/12/25】 エクステリア及びインテリアデザイナーのメンバー一覧を更新しました
2011/12/20】 本文の一部を訂正しました。
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未だに世界中のカーキチを魅了して已まない、初代フェアレディZのエクステリア/インテリアデザイン開発に関わった方達をご紹介します。
といっても、現時点ではお顔とお名前、当時の所属部署、役職をご紹介するのみなのですが…。^^;
まずは暫定公開ということで、ご理解下さい。

  
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カーグラ’70年2月号の年表が分かりやすいと思いますが、’62年秋〜’65年夏までは正規のプロジェクトではなく(他のスタジオでは初代プレジデント、初代ローレルC30,3代目ブルーバード510、初代サニーなどのデザイン開発が進行していました。)、次期のスポーツカーのあるべき姿をトライせよといったテーマで、ボディサイズや搭載エンジンなどの制約のない形でアドバンス・スタジオとしてモデリングをしていたようです。
従って、ここで進められていたスポーツカーはSP/SRを意識したオープン・スタイルのロードスター・タイプのデザインが主流で、デザインレベルも習作程度の完成度だったと思っています。
後のマスコミの取材で松尾さんは「当初から2シーターのクローズド・ボディのスポーツカーが本命になると想定していた」と記述していますが、残念ながら、写真資料を見てもそのような証拠は有りません。
’65年になると米国日産からの要望などから、より安全性の高いクローズド・ボディのスポーツカーを開発すべきと本社の意向が固まり、設計上層部で基本仕様を検討し、’65年秋にマルZ計画(次期スポーツカーのデザイン開発計画)がスタートします。
この時にエクステリア・デザインを担当するスタジオとして第4スタジオが発足します。
メンバーは松尾、吉田、千葉の3人です。
それから1年後、西川、田村、桑原が参画し、千葉がインテリア・スタジオに移動します。
さらにCA案を2回ほどリファインした時に吉田さんが第二造形課に転出します。
千葉さんの立場を説明するなら、「Advance Stage のEXT.スケッチ、モデリング」と「ファイナルに至るトータル・インテリア・デザイン担当」で、吉田さんは「1st.Stage のエクステリア・デザイン(A案、B案、C案、CA案)担当」ということになると思います。
ちなみに西川君は「B案、D案担当」、田村は「2nd.Stage のCA案、E案担当」になると思います。


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○上掲のスタッフ一覧には、「第1造形課第4スタジオ/モデラー」と記していますが、モデラーの方達はモデルショップという組織の所属で、プロジェクトの進行に合わせて正規社員に対する派遣社員のような形で、各スタジオに配属されたとのことです。
つまり、第1造形課第4スタジオの所属という訳ではありません。(※造形課の組織図をこちらにアップしましたのでご参照下さい)
当時、モデラーのリーダー(主任)だった大田幸夫氏は、新人のモデラーのモデリング教育と同時にメンバーをいつ、何処に、どんな形で配属させるかが主要な仕事で、インテリア・スタジオ/カラーリング・スタジオの短期的な人材補充と、エクステリア・スタジオの長期的な人材配置に苦労していたとのことです。 

○第4スタジオに派遣された6名のモデラーのうちの漆原氏、阿部氏、安田氏の3名に、田村久米雄氏と福田哲夫氏を加えた5名で、当時「ヤングナイツ」というバンドを組まれていたそうです。
「ヤングナイツ」は、社内のダンスパーティーを意識して主にスタンダードや歌謡曲を演奏されていたとのこと。
下掲の写真は、「ヤングナイツ」のメンバーがドライブに行った時に撮影されたものです。
120110_young_nights (クリックで拡大表示)
右から、漆原氏(ボーカル)、田村氏(ギター)、阿部氏(スチールギター)、安田氏(ベース)、福田氏(ギター)。

「ヤングナイツ」は本来ハワイアンを演奏するバンドだそうで、ハワイアンを演奏する時のバンド名は「サーフアイランダース」だったそうです。
この「サーフアイランダース」は、阿部氏の声掛けて近年再結成され、ライブ活動をされているとのこと。
但し、田村氏は撮影係として参加されているそうです。
昔の仲間たちが長い年月を経て再び集い、バンドを再結成するなんて素敵ですね!
ちょっと思いついたのですが、S30系のクラブのイベントに「サーフアイランダース」を呼んで、S30の愛好家と開発メンバーが音楽で一緒に盛り上がる、なんていう企画を実現できたらこれまた素敵だと思うのですが如何でしょう? ^^;

○栗崎氏は田村氏と同時期に日産を退職され、現在は北アルプスのふもとで民宿を経営されているそうです。

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千葉氏は第4スタジオ(エクステリア)からインテリア・スタジオに転籍されて、両方の部署でS30の開発に関わられたので、2度ご登場頂いています。
2011/12/20)上記文章を取り消します。
○千葉氏は、マルZ計画が承認されたのと同時期にインテリア・スタジオに移動になり、S30の内装デザインのチーフとして活動されたとのことで、S30のエクステリアには関与されていないそうです。
ここにお詫びして訂正致します。。。
しかしながら、松尾氏のサインが入った初期のA案のスケッチ(として公表されているもの)は、千葉氏がアドバンス・スタジオ時代に描いたスケッチと酷似しており、千葉氏のインスピレーションが初期のA案に影響を与えていたことは間違いないようです。

<以下は、田村氏に拠る解説です>
Mさんは旧車人のコラムで「アメリカ人はカーセックスが当たり前で、10%がカーセックスで生まれており、巨体が動き回っても壊れないようにシートを鉄板で補強した」と書いていますが、シートデザインを担当した中川君は「ランバーサポートの形状をキープするために背面に鉄板を補強したのが実情だ」と言っていました。
(S30の)ランバーサポート付のハイバックシートは、日本で初めてクレイモデルで原型を指定して製作した事例だったそうです。
 

私(田村氏)と同期入社(と言っても途中入社なので、武蔵美卒の私より4歳年長)の諸林康夫君は2年前(’65年)の初代ローレル(C30)のモデリング研修が終わると、私は510ブルーバードのスタジオに配属されますが、彼はエンブレムデザインを専門に開発する仕事を与えられました。
これからの5年間、日産の第一造形課の全ての車種のエンブレム、オーナメントは彼のデザインに統一されます。
C30,510,230,610,710など、車種ごとにテイストを変え、よくやっていました。
当然、S30Zも全て、彼のデザインですが、’69年のモーターショウの直前まで、Fairlady Z、Datsun 240Z,432などMさんからプロトタイプに装着する手造りエンブレムを次から次に作れるように命じられ、食堂も売店もない工場地帯に有った設計センターで何度も徹夜作業を強いられたようです。


モロさん(私はずっとそう呼んでいました。)とは途中入社で造形課に配属された唯一の同期だったので、週末ごとに都内に繰り出して、外車のディーラー巡りをしたり、まだ賑わっていない、青山、六本木、原宿、自由が丘あたりの ライブ喫茶やカフェに出掛けて、デザイン談義をしていました。
私が中学生の頃から日本美術通信学園のレタリング専科を履修しており、レタリングの重要性をモロさんに説いて、励ましていました。
今度のネームプレートはこんなデザインがいいんじゃないのとコースターやナプキンに描いていました。
Zのエンブレムをやることになった時、絶対太いブラッシュスクリプトがいいよと進言し、それまでスクリプトをやったことがないモロさんが一所懸命トレーニングして生まれたのがあのFairladyZ のロゴです。
手造りのサンプルが出来た時、テールゲートの右端に斜めに取り付けようと、相談して決めました。これにはMさんも反対はしませんでした。
(中略)
徹夜で疲れたモロさんは空腹を覚えながら会社を後にすることが何度も有ったそうです。


手造りのエンブレムは厚さ0.5mmのコート紙を何枚も貼り合わせ、カッターで周囲を15度の角度でカットして、エンボス面を除いて光輝アルミ箔を丁寧に貼って行きます。
エンボス面に色差しをして仕上げてゆきます。
モーターショーのモデルもモロさん手造りのエンブレムで間に合わせたそうです。

120109_driver_6912 (クリックで拡大表示)
※右ページのエンブレムがモーターショー出展車のものと思います。
  もし間違っていたらご指摘をお願いします。


モロさんはエンブレムデザイン一筋に6年余、カッターナイフひとつでモックアップを造っていましたので、モーターショーに展示されている展示車のエンブレムがコート紙とアルミ箔だけで造られていることにカメラマンの誰ひとり気付かなかったのでしょうね。
彼は私と一緒に日産を退職しますが、この時期、創業間もない「ローランド・ピアノ」のロゴタイプのデザインを手掛けています。
それから10年後、彼はオリジナルのれんの制作を始めますが、一昨年に会った時、70歳を超えているので下絵を描く時に筆を持つ手が震えてしまうのに、シルクスクリーンの型紙を切る作業でカッターナイフを持つと指の震えがピタッと止まるんだと言っていました。
のれんは後継者がいないので忙しんだと言っていました。



   


  

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