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2011年7月 2日 (土)

【S30Z】総括と、ゲルツの関与についてと、田村氏のイラスト

初代フェアレディZ(以下、S30Zと表記)に関するエントリーを2本(↓)アップしましたが、ご覧頂きましたでしょうか。
1st Gen Datsun Z (初代フェアレディZ) デザイン決定までの流れ(暫定版)
疑惑の写真

S30Zと言えば、数多生み出された国産車の中で、世界的な人気が最もあるモデルであることは論を俟たないでしょう。
そのヒストリーは既に語り尽くされていて、新事実の発見など無いだろうと思っていましたが、意外や意外、40年以上の時を経て大どんでん返しがあった訳です。(上記エントリーを未読の方は、是非ご一読下さい)
S30Zファンにとっては、まさに青天の霹靂ともいえる新事実の発覚だったと思います。
その新事実を要約すれば、S30Zのエクステリアデザインとして採用されたCA案は、原案を吉田章夫氏が、最終的なリファインを田村久米雄氏が担当していたということです。

 
ここで、これまでS30Zのデザイン開発のヒストリーを語る時に多用された“AC案”という表記を使わないのは、それが事実に即していないからで、以前のエントリーを読んで頂けば分かる通り、通説とは違ってA案とC案の折衷案を担当したのはC案を担当した吉田氏だったことと、スタイリングの2/3はC案を踏襲していたことの二点を勘案して“CA案”という表記にしました。
もっと簡単に言うと、俗に言うAC案はC案にA案のフロント廻りを組み合わせたものでしたから、C案(あくまでもこちらがベース)にA案の一部をくっつけたという意味でCA案とした訳です。

さて、そうなると疑問になるのが、CA案に松尾良彦氏がどの程度関与していたのかということですが、これは“関与はなかった”というのが真相のようです。
吉田氏や田村氏がCA案を煮詰めていた時、松尾氏は西川暉一氏が担当していたD案に熱心に指示を出されていたとのこと。
しかしながら、松尾氏は当時、不思議な行動をとりました。
それは、仕様が変更される以前の一回り小さいCA案のクレイモデルを引っ張り出してきて、S30Zの開発とは無関係な第二造形課のモデラーさんなどを使い写真撮影を行なったのです。
その写真には不可解な部分が多く、明らかにヤラセであったことは田村氏が以前のエントリーで指摘した通りで、このとき撮影された写真がその後、色々な書籍類に掲載されたために、あたかもCA案に松尾氏が関わっていたかのように我々は印象操作されてしまった訳です。
でも、真相は上記の通り、CA案を担当したのは吉田氏と、吉田氏が第二造形課に転籍したあとCA案を引き継いだ田村氏だったのです。
このことを、是非多くの人に知ってもらいたいと思い、今回S30Zに関するエントリーを公開した次第です。

しつこいですが、S30Zのデザイン開発年表をここに再掲しておきます。
また、田村氏からメールで寄せられたコメント(初出のものです)も掲載しておきますので、併せてご覧下さい。

        <年表をクリックすると拡大表示します>
110702_s30z_design

吉田さんは、A案は松尾さんだと言っていますが、もしそうなら私がCA案を担当してリファイン作業を進めている期間(ほぼ10カ月)、松尾さんがあれこれ指示をしてくるはずですが、吉田さんが居なくなってから私の担当していたCA案、E案にはほとんど無関心で、西川君の担当していたD案には熱心にあれこれ注文を付けていました。
造形課内ではモデルの進行に合わせて、次のステップに進ませるモデルはどれかと合議が行われ、進行して行くのですが、常にCA案が最有力で、次が私の担当していたE案がいいのでは、という状況になるのですが、松尾さんは必死でE案を潰しにかかっていました。
私としても二つの案を同時にリファインすることは不可能だし、CA案の方がよりスポーツカーにふさわしいと思っていましたので、あまり気にしてはいませんでした。
なんといってもCA案は吉田さんの時から5〜6回もリファインを続けており、デザインの練成度が他のモデル(D案、E案はそれぞれ2モデルで1〜2回のリファインをした程度)とは違っており、それでいいと思っていました。
B案は誰のオリジナルなのか、松尾さんの文献でははっきりとは書いてありませんが、実際のモデリングは吉田さんが担当していました。(松尾さんがあれこれ指示をしていた様子から、これは松尾さんのアイディアだったのではないかと思っています。)
B案はストップとなってほどなくD案、E案が始まっていますし、D案には松尾さんがあれこれ注文を付けていましたので、松尾、西川の合作だったのではないかと思います。
』(メールから転載)

私が'67年4月に西川、桑原と一緒に第4スタジオ(エクステリア)に配属された時、既にC案をベースにA案のフロントを合体したCA案が始まっていました。このリファインを西川、桑原が吉田さんをサポートして完成させました。(ハードトップモデル) 
その時期、私は、ウインドーシールドが高くなり、ロールバーを装着したSRに対応したH/Tルーフのデザインを担当しました。
その後、吉田さんの下でCA案のリファインをサポートした後、突然、吉田さんが第二造形課に転籍することになり、CA案は私が引き継ぐことになりました。
入社以来、パーツデザイン、ルーフだけのデザインしか担当したことが無かったので、ボディ全てを担当できることがものすごく嬉しかった記憶があります。
私がCA案のリファインを始めると総括展示でCA案の評価が高く、「これが本命だろう」という状況になり、スタジオチーフの松尾さんはD案、E案をやらせてくれと数ヵ月後、D案(西川)、E案(田村)のデザイン開発(この時は、スケッチ無しで、いきなりフルサイズ・クレイモデルでのデザイン作業)が始まります。
CA案は吉田さんの時代から何度かのリファインを重ねているので練成度が高く、他のモデルとは完成度の違いがあり、役員展示でも承認を勝ち取ることになります。
この状況で慌てたのがスタジオチーフです。
このままでは、デザインをしたのは「田村だ」ということになってしまい、訳の解らないアリバイ工作(疑惑のモデルショップでの写真撮影)をしたのだと思います。
この後、私は第4スタジオを追い出されてしまいますので、後のことは知らされずにいましたが、最近になってやっと謎解きが出来ました。
』(コメント欄から転載)

今回の年表でC案をベースにしたモデルにA案のフロント部を合体したCA案がS30の出発点であることを始めて公にできたことを嬉しく思います。
狐目だったランプハウスがくっきりし、オーバーライダーを備えた風貌はやっとスポーツカーらしいイメージになったと思います。
TCAに異動する事になる吉田さんは多くの日産車のデザインを担当していますが、デザイン途中で手を離れたS30に今でも拘っているのは、原案を手掛けたのは自分だという認識があるからなのだと思っています。
私が引き継いだ時にのっぺりとしたボディサイドにエアスクープなどを入れるのは邪道(機関設計からのオーダーがあれば別ですが)だと感じていたので、ウエストとサイドシルにキャラクターラインを入れたリファインをしたら、これでプロトタイプを作ろうということになり、これとは別に対抗案をとD案、E案を始めることになったのです。
私自身は、ゼロから始めた訳ではなく、吉田さんのCA案を担当した時から、弱点をとことんまで消していったらファイナルまで辿り着いたといった印象で、普通は立位で眺めてデザインをチェックするのですが、私はしゃがんで周囲をチェックしても板金の端部を感じることが無いようにフロントエプロン、リアスカート、サイドシルを奥までデザインしました。
』(メールから転載)

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ところで、日本ではあまり話題になりませんが、海外ではS30Zのゲルツ(Albrecht Graf Goertz)デザイン説が根強く信じられているようです。
これには理由があって、ゲルツ氏自身が過去にS30に関与したと吹聴したり、訴訟をちらつかせて日産に無理やり“自身の影響”を認めさせてしまったからなのですが、実際にはゲルツ氏の関与や影響など全くなかったことは、これまでのエントリーを通読して頂けば分かる通りです。
一応、この件も田村氏から証言を得ていますので、証拠として掲載しておきます。

ギョエツ氏(*)の日産に居た時期とS30の次期スポーツカーの開発計画が 始まる時期がずれているので彼が関与したことなどあり得ない話です。

ギョエツ氏が日産に出入りしていた頃、ヤマハに試作をオーダーしており、次期スポーツカーについてミーティングしたり、ヤマハに行ってサジェッションしてもらったりということはあったようですが、彼がアドバンス・スタジオに出入りしたことはなく、全て会議室でのやり取りのレベルだったと聞いています。
Zはアドバンス・スタジオが正式に第4スタジオとなってからの話なので(ゲルツ氏の関与は)あり得ません。

*当時の日産関係者は、Goertzをギョエツと発音する方が多いそうです。

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ということで、S30Zに関する新事実を、田村氏の証言を基に紹介してきた訳ですが、これまで一切表に名前が出てこなかった田村氏ってどんな人?と、興味を持たれた方も多いと思います。
田村氏については、三栄書房の『旧車人 Vol,2』に詳しいので、興味を持たれた方は、是非手に入れてご覧になってみて下さい。
110702_kyushajin_a  110702_kyushajin_b
                                (クリックで拡大表示)

旧車人には田村氏が描かれたS30Zのイラストが掲載されているのですが、同じイラストを田村氏から先日メールで送って頂いたので、以下に掲載しておきます。
尚、このイラストは当時物(業務で描いたもの)ではなくて、当時のことを思い出しながら最近描かれたもので、S30Zの最終デザインとのことです。

110702_illustration_tamura_a (クリックで拡大表示)

110702_illustration_tamura_b (クリックで拡大表示)

“真のデザイナー”が描かれたS30Zのイラストから、貴方は何を感じたでしょうか?

               

  

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コメント

S30の発売以来、デザイナーとしてマスコミに取り上げられたことが一度もないので、S30のデザインについて公に話をしたことはありません。スタジオ・チーフだったMさんは私の担当していた仕事には関心が無かったようで、デザインのことを話したことも有りませんでしたので、彼の口からエンスージャストの皆さんが納得できるコメントが語られたことが無いのはそのためです。
'69の秋、私はモーターショウに出品するアドバンス・カーのデザイン/プロデュースを任されますが、(日産SW-Xとでも名付けてもらいたかったのですが、名称は「スタイリング実験車」という色気の全く無い名前で展示されました。)デザインするに当たっての
私のポリシーはS30のデザインをしていた時の考えと全く同じでしたので、紹介させていただきます。
1.そのモデルに与えられたスタイリングテーマで、もっとも均整 のとれた理想的なプロポーションを追求すること
2.車としての機能性とデザインを高度に融合させたデザインとす ること
3.全身どこをとっても無駄のない洗練されたスタイリングを実現 すること
スタイリング実験車はウレタンバンパーが実用化される直前ですから、フロント、リア、ボディサイド共、硬質ラバーでガードしています。キャノピーはQピラーのボタンを押すと上屋全体が上部にせり上がり、前方に開く構想です。
後続の車や人の視線に認識されやすいよう、Cピラーにテールランプを配しています。
写真では解らないでしょうがこのモデルは1/2スケールで造りましたが、サイズが小さくても卑屈なサーフェイスにならないようにまとめましたが、このテイストはS30も同様です。S30は全長
4115mm,全巾1630mmしかない小さな車なのですが、小さいことを感じられないデザインにまとめられたと自負しています。いかがでしょうか?


投稿: 田村久米雄 | 2011年7月 6日 (水) 午後 06時35分

>田村久米雄さん
コメントありがとうございます。
田村さんにはこれまで、デザイン開発の過程について大いに語って頂きましたので、今度は是非S30のデザインについて色々とご教示頂けたらと思います!
それと、解説して下さった「スタイリング実験車」の画像は、↓こちらのブログで見ることが出来ます。
http://blog.goo.ne.jp/koyapop/e/85c179acfa54d6ecd8538606873ff06e
未見の方は、上記解説と共にご覧になってみて下さい。
S30のボディサイズは、現行のマーチと比較すると全長が335mm長く、全幅は35mm狭い…といった按配ですね。
335mmというと随分長いように感じますが、実際にはA4サイズの封筒の長辺程度の長さですから、違いはほんの僅か。
そう考えるとS30は随分小さなクルマなのですが、多く方は実際の車格以上に大きいイメージを持っているのではないでしょうか。
斯く言う私も、S30は大きいクルマというイメージがあるので、実車を目の当たりにした時に、その小ささに毎回ビックリします。
小さいクルマをそう見させないというのは、やはりデザインの妙なのでしょうね。

投稿: mizma_g@管理人 | 2011年7月 6日 (水) 午後 11時58分

私が在籍した40年程前から、車のデザインについて語られる時に、デザイナーから出てくる言葉は英字の略語だったり、英語でタイトルを付けたり、説明の中で英語や哲学的な言葉があったりで、一般の人には何を言いたいのか極めて伝わりにくいことが多く、私の属している「かたちの会」でも現日産のデザイン部署が新車の解説をしてくれているのですが、正直、何を言いたいのかさっぱり解りません。私の頭が悪いのでしょうか。私がパーツ・デザインとして担当した510のDX用ホイールカバーは衛星として地球をゆっくり回転しながら周回する宇宙ステーションをイメージしてデザインしました。また、SSS用のホイールカバーはローマ帝国時代の二輪戦車のスポーク・ホイールをイメージしてデザインしましたが、先輩の内野さんに俗っぽい表現はしない方がいいと言われました。今回、40年の時を経てS30のデザインを担当していた人間がどんな思いでデザインしていたのかを正直な言葉で解説させていただくことにしました。多くのファンに納得していただければ、デザイナーとして望外の喜びです。青年時代に上司に冷たくあしらわ
れながら、後世まで残せるスタイリングを物にしたいと納得のゆく
仕事をしたと思っており、それが40年も経って世界中にこんなに多くのエンスージャストを引き付けていることが私自身、信じられない出来事です。皆さんに感謝です。

投稿: 田村久米雄 | 2011年7月11日 (月) 午後 08時08分

>田村久米雄さん
コメントありがとうございます。
S30に関するデザイン解説と写真、こちらに届いてるのですが、PCの調子が悪く文字入力が全く出来ないためエントリーを書けません。(このコメントは古いPCを引っ張り出してきて書いています)
何とか早急にPCを直してエントリーをアップしますので、しばしお待ち下さいませ。。。

投稿: mizma_g@管理人 | 2011年7月12日 (火) 午前 06時20分


投稿: mizma_g@管理人 | 2015年5月 3日 (日) 午後 07時05分

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