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2011年6月25日 (土)

疑惑の写真

2011/11/30 本文の一部を修正
2011/07/02
“AC案”との表記を“CA案”に修正
2011/07/01 1件追記
2011/06/28 画像1枚と解説2件を追加
2011/06/27 出典が「Datsun510&240Z/グランプリ出版」の画像を差し替え
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前回のエントリーでは、クレイモデルなどの原寸モデルについて、田村久米雄氏に解説して頂きました。
残念ながら、多数製作された原寸モデルの全てを網羅するには至っていませんが、デザイン開発の現場におられた方に拠る各モデルの解説は、かなり説得力があったのではないかと思います。

さて、今回のエントリーで取り上げるのは、それら個々のモデル以外の写真、即ち初代フェアレディZ(以下、S30Zと表記)のデザイン開発の過程で撮影された、原寸モデルを製作中のスナップと思われる写真や、開発メンバーと原寸モデルが写った写真です。
ここで“思われる”と敢えて書いたのは、製作中のスナップに見える写真に、実はある疑惑があるからです。
その疑惑とは果たして何なのか。
何気ない写真にも、部外者には分からない秘められた事情が、どうやらあったようです。

  
このブログで、そういった当時の秘話をどこまで明かしてよいものか随分悩んだのですが、途中を間引いてしまうと伝わるものも伝わらなくなってしまうと考え、今回も思い切ってキワドイ部分まで公開することにしました。
40年の時を超えて明かされる意外な事情と真相を、是非ご一読頂ければと思います。

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110627_p172_a (クリックで拡大表示)
画像出典:Datsun510&240Z/グランプリ出版
吉田(章夫)さんの後を受けて私が担当したリファイン・モデル(このプロジェクトで初めてプロトタイプを造ることになる)が完成した直後、6気筒エンジンを搭載するのに対応した仕様変更をすることになり、木型から造り直すことになった。
インダストリアル・クレイは高価なことと20~30mm以上の盛り付けはモデリング作業に時間が掛かるため、私が中子となる木型の図面を描き、試作部にオーダーした。
これは、試作部から木型が届き、クレイの荒付け作業を始めた写真。
現場員であるモデラー達は常に上下共、作業服を着ているが、デザイン・スタジオのスタッフはモデリング作業時以外はYシャツ姿。
左端はスタジオチーフだった松尾さん、中央奥(ネクタイ姿)が私。


110627_p172_b (クリックで拡大表示)
画像出典:Datsun510&240Z/グランプリ出版
この写真のほか、何点か過去の文献で疑義のある“やらせ”ではないかと思われる不可解な写真があります。
このモデルの後ろに見えるフロントビューが僅かに見えるモデルは私が担当していたE案だが、吉田さんは既に第二造形課に転籍していたはず。
また、この荒削りの状況でうかがえるスタイルは吉田さんが担当していたA案、B案、C案のどのモデルベースとも思えず、モデルの置かれた定盤の位置からも西川君の担当していたD案のベースではないかと思われる。
ホワイト・リボン・タイヤ(デザインの邪魔になるので通常はこの手のタイヤは使わない。)も不自然。

(2011/06/28 追記)
また、荒削り段階ではクレイの削りくずが定盤上に沢山散らかっているはずなのに、なぜか定盤には削りくずが見当たらないのは、この写真がリアルではない証拠。

110627_p173_a (クリックで拡大表示)
画像出典:Datsun510&240Z/グランプリ出版
これも疑義のある写真で、この当時、第4スタジオに配置されたモデラーのリーダーだった阿部君に聞いても、右奥のモデラーの栗崎君(線図を描く作業中だったのに急遽呼ばれたのか、Yシャツ姿。)以外、手前のモデラーは誰だか分からないと言っていた。
恐らく第二造形のモデラーを吉田さんが連れて来たと思われる。
このモデルの奥にシートを被っているのは、シルエットから私が担当したCA案のようで、モデル奥で眺めているのは第二造形課のデザイナーの田中君で、彼がこのスタジオに居ることが不自然。
恐らく、下掲の最後とそのひとつ上の写真(フロントから写した写真)も担当デザイナーが居ないタイミングを狙って旧モデル(艤装時にウインドーに貼る黒ケント紙やアルミのモールが時間が経ってしまっているのでしわしわになっている。)を引っ張り出して撮影したものと思われる。
担当デザイナーがデザインを検討する時は自分一人でやることで、アイディアがまとまっていない段階でモデラーに指示できず、指示する時は荒削りでラフに形を造ったり、ナイフでラインを描いた状態でなければおかしい。
モデラーの最年長の栗崎君が離れた位置で別の作業をしているのも命令系統からしても不自然。


110627_p173_b (クリックで拡大表示)
画像出典:Datsun510&240Z/グランプリ出版
4×10mのスチール定盤が10面並んだモデル・ショップのこのショットは、私の担当していたCA案が常務会の承認を得てファイナルとなって松尾さんが「記念写真を撮るぞ」と言い出したので、私がCA案の原案者である吉田さんを第二造形に呼びに行って並んで撮った写真。
写っている人物は右から私(CA案/E案担当)、松尾(スタジオ・チーフ)、西川(D案担当)、吉田(CA案の原案担当)。
写っているクレイモデルは、左側の手前がファイナルとなったCA案、その奥(フロント向き)が旧CA案、その奥(後ろ向き)は私が担当したE案、その奥は西川君が担当したD案。
右側の奥は同様D案、その手前は私が担当したE案(上掲の上から二番目の写真にフロントの一部が写っている)、その手前はサイズの比較検討用に置かれた実車のサニー。
過去の文献では松尾(チーフ)、吉田(C案)、西川(D案)、田村(計測・線図担当)と記載されているか、私をカットした写真が掲載されている。


110625_nh45_a (クリックで拡大表示)
画像出典:Nostalgic Hero Vol,45  (左から松尾氏、千葉氏、桑原氏)

私が出向中に、松尾さんはプロジェクトの命題に無い、「2+2」や「オープン」「タルガトップ」などのプロトタイプを次々に制作し、何故か、このプロジェクトの生産展開の終盤期に松尾さんはヨーロッパのモーターショウ視察と米国日産への海外出張に出掛けたようで、この時に米国日産の片山社長に新しいモデルの写真を見せたようです。片山さんから「そんなことをやっている暇があったら、2シーター・クローズド・ボディのモデルを早く作ってアメリカに届けろ。」と言われたと雑誌の取材で述べています。
生産展開に取り組んでいなければならない時期に試作部に勝手にプロトタイプ制作を発注したことで、当時、造形課内で大騒ぎになったそうです。
「かたちの会」の二次会で先輩の八田 さんからその騒動の話を聞いて私も驚きました。
なぜか課長だった四本さんはこのことを後になるまで知らなかったようで、これから先、松尾さんが何を仕出かすか解らないと急遽、'69年1月に第4スタジオを解散させ、松尾さんを一切のスタジオ業務から切り離し、桑原君、モデラー数名(後輩のモデラーから訳も解らず、パーツのモデリング、図面を描かされたとも聞きました。)を使ってS30Zの生産展開を進めさせたようですが、秋のモーターショウには完了せず、未完成のまま、何とか格好をつけたようで、S30Zの国内、輸出仕様がバラバラなのはそのためだったようです。
S30Zがなぜ、完成形の姿で市販されなかったのか、この騒動の話を聞いて、やっと訳が解りましたが、個々のパーツデザインを誰がやったのかはほとんど解っていません。
中央のモデルは、ファイナルをベースにしたタルガトップのプロトタイプで、左後ろがクーペのプロトタイプです。
2台とも写真では判読しにくいかも知れませんが、バンパーは前面ラバーを装着し、オーバーライバーを付け、グリルは横バーのデザインです。
この作業に西川君が関与したはずですが、ここには写っていません。
インテリアスタジオの千葉君は、写真を撮るから来いと言われたのか、所在無げなポーズです。

  
110625_nh45_b (クリックで拡大表示)
画像出典:Nostalgic Hero Vol,45
サイズの小さい旧モデルで作業をしている写真(ウインドーの黒ケント紙がしわしわなのは数カ月経ってしまっている証拠です。)で、なぜこのような写真を撮ったのか解せませんが、このモデルのデザインには松尾さんをチーフとして、アシスタント・デザイナーとして吉田さんが協力してデザイン開発を進めていたという状況証拠を写真に残しておきたかったのではないかと思います。右にしゃがんでいるモデラーは、当時、D案をサポートしていた栗崎君です。
  
110625_nh96_b (クリックで拡大表示)
画像出典:Nostalgic Hero Vol,96
これも同時に撮影されたもので、ランプの照射角などの保安基準をチェックするのにコンベックス・スケールで測っているポーズは笑止千万です。
三次元測定機でランプ(中心と外形を出した状態でなければ測定はできない。)の光軸、上下、左右の照射角を測定しなければ不可能な作業です。
ここにも右端に第二造形のデザイナー田中君、モデルの右はモデラーの設楽君、左はモデラーの栗崎君、後ろの2人は第二造形のモデラーのようです。(リーダーだった阿部君が彼らの名前を知らないと言っていました。)

(2011/06/28 追加)
110628_cg7002 (クリックで拡大表示)
画像出典:カーグラフィック 1970年2月号
この写真は、松尾さんがどんな口実で言ってきたのか記憶がありませんが、私が担当していたCA案の定盤で作業をしたいと、現行モデルをどかして旧CA案(私がリファインしたサイズの小さいモデルで、私のリファインを経てプロトタイプを作ることになって、塗装をはがしプロトタイプの型取りが済んだボディで、テールランプ、サイドシルなど石膏を剥がす時に崩れています。)を定盤にセットして崩れた部分を補修している様子が写っています。(ウインドーの黒ケント紙は時間が経ってしまっているのでシワシワになっています。)
現行CA案はこのモデルの奥にシートを被って移動しています。
モデルの奥でフェンダーあたりを見ているのはモデラーの栗崎君で、その奥に額だけが見えているのがスタジオチーフの松尾さんです。
これからどんな写真を撮ろうかと思案していたのだろうと思います。
手前の二人のモデラーはリーダーだった阿部君が名前を知らない(私も知らない)といっていますので、恐らく第二造形のモデラーではないかと思われます。
このモデルの奥のモデルは私が担当していたE案で、既にモデリング作業が終わって、艤装(塗装をし、ラインテープ、カラーシート、光輝アルミなどを張って実車らしい仕上げをする)作業を待つ状態で、こちらに顔を向けているのが私、下を向いているのがリーダーの阿部君です。
このモデルの奥はD案で、右が担当デザイナーの西川君、左がアシスタント・デザイナーの桑原君です。
この写真の右側にも定盤があり、西川君のD案、私のE案の別案が作業中でした。'67年の8〜10月頃ではないかと思います。当然、この時点では吉田さんは第二造形に異動して数か月後のことです。
この場所を使って上掲の疑惑のショットを松尾さんは撮影させていたのです。
松尾さんにどんな下心があるのかも知らず、撮影されていることすら私は知りませんでした。
過去の文献で、ここで紹介した一連の写真を掲載しているケースが多いのは、開発当時、スタジオにはチーフとして松尾さんがおり、吉田さんがアシスタントとして作業を進めていたことを証明するために記録したものだったのではないかと思います。ここに映っていない田村という人間はデザインには関わっていなかったという事なのでしょうか。

(11/07/01追記)    
このエントリーの補遺となるコメントを、田村氏が↓のコメント欄に書き込んで下さいましたので、あわせてご一読下さい。

 

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コメント

私が'67年4月に西川、桑原と一緒に第4スタジオ(エクステリア)に配属された時、既にC案をベースにA案のフロントを合体したCA案が始まっていました。このリファインを西川、桑原が吉田さんをサポートして完成させました。(ハードトップモデル)その時期、私は、ウインドーシールドが高くなり、ロールバーを装着したSRに対応したH/Tルーフのデザインを担当しました。
その後、吉田さんの下でCA案のリファインをサポートした後、突然、吉田さんが第二造形課に転籍することになり、CA案は私が引き継ぐことになりました。
入社以来、パーツデザイン、ルーフだけのデザインしか担当したことが無かったので、ボディ全てを担当できることがものすごく嬉しかった記憶があります。
私がCA案のリファインを始めると総括展示でCA案の評価が高く、「これが本命だろう」という状況になり、スタジオチーフの
松尾さんはD案、E案をやらせてくれと数ヵ月後、D案(西川)、E案(田村)のデザイン開発(この時は、スケッチ無しで、いきなりフルサイズ・クレイモデルでのデザイン作業)が始まります。
CA案は吉田さんの時代から何度かのリファインを重ねているので練成度が高く、他のモデルとは完成度の違いがあり、役員展示でも承認を勝ち取ることになります。
この状況で慌てたのがスタジオチーフです。
このままでは、デザインをしたのは「田村だ」ということになってしまい、訳の解らないアリバイ工作(疑惑のモデルショップでの写真撮影)をしたのだと思います。
この後、私は第4スタジオを追い出されてしまいますので、後のことは知らされずにいましたが、最近になってやっと謎解きが出来ました。

投稿: 田村久米雄 | 2011年7月 1日 (金) 午前 12時47分

>田村久米雄さん
補完のコメントありがとうございます!
これまで、最終案となった案をAC案と表記してきましたが、最終案は吉田さんが担当されたC案がベースになっていたようですから、やはりCA案と表記するのが、実情に沿っていて尚且つ誤解を招きにくいという点で最適といえそうですね。
エントリーの本文や年表の表記を、のち程すべてCA案に訂正(統一)しておこうと思います。

S30の第3弾のエントリー、昨夜書きたかったのですが、昨夜は海外の友人達へのメールの返信に時間をとられて着手できず…でした。
何とか、この週末中には書き上げて公開する所存です!
また、何か気が付かれた点がありましたら、フォローよろしくお願い致します。

  

投稿: mizma_g@管理人 | 2011年7月 1日 (金) 午前 05時45分


投稿: mizma_g@管理人 | 2015年5月 3日 (日) 午後 07時02分

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