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2010年6月 8日 (火)

トヨタ2000GTの真実 その3

トヨタ2000GTはトヨタで企画され、初期の設計もトヨタが行っていたことは前回書きました。
また、トヨタとヤマハが業務提携を結んだのは、’64年末ではないかという推測も前回書きました。
それでは、年が明けた’65年以降のトヨタとヤマハの関係は果たしてどうなっていたのでしょうか。
  
’64年12月28日にトヨタのスタッフがヤマハを訪れて、日産2000GT(A550X)を見学します。
そして年が明けると、トヨタからヤマハに1/5基本計画図と線図が送られます。
1月15日からは、トヨタのエンジニア、山崎(シャシーと全体レイアウト担当)、高木(エンジン担当)、野崎(デザイン担当)の3名が、週4日(火曜日~金曜日、月・土曜日はトヨタ勤務)ヤマハに出張するようになり、これ以降トヨタ2000GTの本格的な開発作業が始まります。
  
ヤマハ側のスタッフは、統括責任者:安川 力部長、エンジン:遠藤嘉徳課長、シャシーと車体設計:福田課長をリーダーに花川 均氏と岩佐主任。
その他艤装関係も含めても、ヤマハ側のスタッフの総数は20名に満たなかったそうです。
 
それでは、トヨタとヤマハの具体的な役割分担はどうなっていたのでしょうか?
幸いなことに、手元にシャシーに関する設計分担の一覧表があるので、それをご紹介します。

070421_2000gt280a (クリックで拡大表示)
出典:Nostalgic Hero Vol,49

表にも書いてあるように、赤字がトヨタのエンジニア、青字がヤマハのエンジニアです。
この表を見るかぎりでは、主に設計を担当していたのはトヨタのエンジニアで、製図を担当したのがヤマハのエンジニアだったようです。
当時の仕事の進め方を、山崎氏はこのように証言しています。
週内にヤマハの担当者に指示したことや、ヤマハ側から依頼されたことについてレポートで報告し、仕事はすべて主任クラスとじかに話し合って進めた。
また、これは少々蛇足になりますが、ヤマハの印象を山崎氏は次のように語っています。
ヤマハはエンジンはともかく、シャシーではあまり経験がないように思った。
 
エンジン、ボディに関しては資料がないのでここでは言及しませんが、エンジニアが設計したものに対して最終的に可否を決めていたのは、プロジェクトリーダーである河野氏(トヨタ)だったようです。
ですから、開発の本拠がヤマハに移った後も、開発を主導していたのはトヨタであったことは間違いありません。
ということで、“トヨタ2000GTはヤマハが主導して開発した”という通説も、明らかに誤りだと言えます。 

ただし、試作車の製作や量産モデルの生産にあたって、ヤマハの技術力がいかんなく発揮されたのは間違いありません。
例えば、野崎氏が強く拘ったピアノ用ウッドパネルを使ったインパネは、日本楽器の協力により実現しましたし、FRP製リッドはヤマハのボートの成形技術を応用して作られました。
また、ボディはヤマハの熟練工によりひとつひとつ手で組み合わされ、少しの誤差もなく仕上げられています。(そのため月産5~20台と量産性は悪かった。これは余談ですが、トヨタ2000GTは1台作ると60万円の赤字が出たそうです。)
訂正2008年1月29日のエントリーに書きましたように、ヤマハには鋼鈑ボディを製作する技術がなかった
   ため、日産から移籍してきた西岡幹夫さんという方がヤマハの工員に技術指導を行なったそうです。
   また、ヤマハでテストライダーをされていた方のお話によると、浜松で板金塗装工場を経営していた
   Kさんという方が、ボディの仕上げをされていたのだとか。
   要するに、ヤマハの技術だけでは2000GTのボディを作れなかったわけですね。
 
ヤマハがトヨタ2000GTのプロジェクトにおいて、ヤマハの関わりを「共同開発」ではなくて「技術供与」と表現しているのは、以上のように、設計に於いては補助的な役割のみしか果たしていなかったからではないかと私は愚考しています。
 
以上が、私が調べた結果判明したトヨタ2000GTの真実です。

〔以下の画像は、全て試作1号車のもの〕

070421_2000gt_02

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2007/04/21 20:29
         

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TOYOTA 2000GTの真実」カテゴリの記事

コメント

もう一件、書き込みをお許し頂きます。

文中、「ヤマハでテストライダーをされていた方」として、
カサブランカの笠さんのサイトにリンクを貼られています。
そこでは、浜松の板金工場経営者Kさんだけを取り上げていますが、
私が、ヤマハ発動機で当時の関係者に直接聞いた話では、
「大卒の初任給が1万数千円だった時代に、
 東海地方の腕利きの板金工30人を、月給3万円で雇った。」
とのことでした。

板金職人達の仕事ぶりについては、
「トヨタで大まかにプレスしてきた部材を、職人達が手叩きで仕上げを行った。」
「板の手前側を叩くと、不思議なことに向こう側の端が持ち上がり、見る見る曲面になっていく。」
等々の、現場で見ていた当時の技術部員の話が印象的でした。

他にも、ヤマハ発動機がトヨタから供与を受けた技術は数多く、
4サイクルエンジンは、トヨタの支援がなければ、
現在のヤマハエンジンは存在していない程大きなものがあります。

※管理人注:2000GTに使用されたパネルは全てヤマハでプレスされたうえで手板金によって仕上げられていたことを、ヤマハの社員の方から教えて頂きましたので追記しておきます。(2011/11/06)

投稿: 鶴屋南木 | 2010年8月 8日 (日) 午後 01時22分

>鶴屋南木さん
こちらにもコメントを頂きましてありがとうございます。
ヤマハが板金工を30人も雇っていたお話、興味深く拝読しました。
このお話は、下掲の長谷川 武彦氏の回想文中にある「手板金の経験者、上手な人をいかにして集めるかが大変な苦労でした。」との記述とバッチリ符合しています。
http://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview67.pdf

ヤマハでは2000GTの量産にあたって、大勢の“腕のよい”板金工を雇ったようですが、それでもトヨタによる完成検査でダメだしをされたそうですから、2000GTを造るのは本当に大変だったのでしょうね。
それと、トヨタからの技術供与のお話。
こういうのは所謂“中の人”でないと分からないことなので、ここで教えて頂けことを大変うれしく思いますし、こういう話がもっと世間に広く知られればよいなと思います。
トヨタを叩くために事実を歪められている現状は、本当に悲しいですね。。。

投稿: mizma_g@管理人 | 2010年8月 9日 (月) 午前 06時43分

何でたった4人しか来なかった会社の人達が、「20人しかいなかった」会社を云々言えるのか理解できませんね。それで、その4人がクルマ全般を分担して数ヶ月で「設計」したというのなら、電卓すら満足に無かった時代、図面はおろか、計算すら大したことはしていないということですよ。
一方でCADなんぞ存在せずA4図1枚描くにも半日はかかった当時のこと、ヤマハ側としてもエンジンからボデーまでクルマ全部の図面を数ヶ月で20人で描くなんて言うのは不可能です。現実的には直前に関わったA550の経験、図面を多数流用するしかなかったことでしょうが、監修するのはたった4人、そういったことに気付かれもしなかったことでしょう。

投稿: | 2011年3月 2日 (水) 午後 09時58分

>ななしさん
コメントありがとうございます。
本来ならば、名前(ハンドルネーム)も書かれていないようなコメントなど相手にはしないのですが、今回はレスを書いておきます。
ななしさんのコメントを要約すれば、「開発に関わったスタッフの数が少なく開発期間も短かったトヨタ2000GTには、A550Xの設計が流用されていたはずだ」となるでしょう。
しかしながら、トヨタ2000GTの開発でヤマハ側のリーダーを務められた安川 力氏は、『トヨタ2000GTとA550Xは全く別の企画であるので、A550Xの開発を通じて培われた技術がトヨタ2000GTに採用されたことはなかった』とモノ・マガジン No,323('96年8月2日号)で証言されています。
つまり、ななしさんの推論は、残念ながら当事者の証言によって否定されます。
また、確かに当時はまだ電卓は普及していなかったかもしれませんが、タイガー計算機のような機械式の計算機は一般的に使われていましたし、一部の企業や大学にはすでに大型の電算機が導入されていました。
ななしさんが、同時はまだ紙と鉛筆で強度計算などを行なっていたとお考えならば、それは時代錯誤もはなはだしいと言わざるを得ないでしょう。
また、ホンダの例を挙げると、当時まだ二輪メーカーだったホンダが、鋼鈑ボディのSports360とSports500の開発を'62年6月から始めて同年10月には各2台ずつ合計4台を完成させて、同月より開催された第9回全日本自動車ショーに出展しています。(この他にT360の試作車も3台完成させて、ショーに出展しています)
この時のSports360とSports500は動かないモックアップではなくて、ランニングプロトタイプでした。
ホンダは、自動車ショーが終了した11月にメディアを集めて、ショー出展車の試乗会を行なっています。
このような例もあるので、トヨタ2000GTの短期間での開発は、決して不可能ではなかったと個人的には考えています。

投稿: mizma_g@管理人 | 2011年3月 3日 (木) 午後 08時53分

興味深く読ませていただきました。
ちょっと疑問なんですが、設計分担の殆ど全部が「山崎氏」になっています。
トヨタを冠するモデルで設計の担当もしくは承認印を押すのがヤマハの社員ではマズイので、名目上は「山崎氏」で実質の設計はヤマハの社員が多く参加したと推測します。

山崎氏の設計が終えて計画図のバラシが始まるまでヤマハの社員は指を咥えて見てた?なんてことは無いでしょう。

個人的な意見ですが、全体のプロデュースや仕様の決定はトヨタで詳細はヤマハが担当では?

投稿: よっぱ | 2011年5月23日 (月) 午後 04時59分

>よっぱさん
コメントありがとうございます。
まず上掲の設計分担の一覧ですが、これは山崎氏を取材して作成されたもので、ノスヒロ誌49号69ページに掲載されています。
それと、山崎氏の仕事を担当したヤマハ側のスタッフですが、岩佐秀一氏(主任)と若手の方が2人の合計3名だったそうです。(この情報も出典はノスヒロ誌49号です)
280Aのシャシー設計に携わった計5名の方(トランスミッションの設計・製図はトヨタの佐伯外司氏が担当しました)が、夫々どのような仕事をされたのか、詳細については私には分かりませんが、山崎氏の記憶では一覧の如くだったようです。
山崎氏は280Aプロジェクトの主要メンバーのお一人でしたから、私はその証言を信じてこのエントリーを執筆した次第です。
何を信じて何を信じないかは人夫々だと思いますし、私は自分の価値観を他人に押し付けるつもりもありません。
ただ、主張には根拠を、反論には反証を付けないと、なかなか他者を納得させることは出来ないのではないかと思います。
可能性を論じているだけでは、真相には1mmたりとも近づけませんからね。
ご参考までに、山崎氏を取材した記事はカーマガジン誌326号にも掲載されていますので、機会がありましたらお読みになってみて下さい。


投稿: mizma_g@管理人 | 2011年5月23日 (月) 午後 07時18分

はじめまして、とても興味深く拝見させていただきました。ところで、2000GTの生産台数ですが、本当は何台でしょうか?通説よりも実際は、もう少し多いようにも思えますが・・・。

投稿: N | 2012年2月12日 (日) 午後 04時10分

>Nさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
トヨタ2000GTの生産台数ですが、正規のルート以外で市場に出た個体が20台以上あるそうですから、所謂通説よりは多いようですね。
ただ、私はこの件に関して詳しい情報を持っていないので、残念ながら細かい数字までは分かりません。
確か、吉川信さんのバイブル本(2000GTの写真集)に生産台数に関する記述があったと思いますので、もし正確な数字をお知りになりたいのでしたら、そちらを参照されることをお薦めします。
バイブル本は、ヤマハの全面協力で制作されたようですので、資料としては一番信頼できるものだと思います。

投稿: mizma_g@管理人 | 2012年2月12日 (日) 午後 09時14分

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