“トヨタ2000GTは実質ヤマハ2000GT”って本当ですか?
久しぶりの更新になってしまいました。
相変わらず、毎日英作文に四苦八苦しています。
ところで、先日このブログのアクセス解析を見ていたら、「ヤマハ2000GT」のキーワードで検索して拙ブログにお越しになられた方がいることに気付きました。
そこで、私もマネをして同じキーワードでググってみたところ、トヨタ2000GTを開発・生産したのはヤマハだから“トヨタ2000GTは実質ヤマハ2000GT”、ヤマハがいなかったらトヨタ2000GTは誕生しなかった、的なことが書かれたブログやHP、掲示板の書き込みがたくさんヒットしました。
当時、既に四輪のトップメーカーだったトヨタを差し置いて、二輪メーカーのヤマハが当時の全国産車を性能的に完璧に凌駕する超高性能車を独自に開発したとは、インド人もビックリの話ですねぇ。
ところで、トヨタ2000GTのデザインを手掛けた野崎 喩氏は、Nostalgic Hero誌 Vol,30で以下のような証言をされています。
--- ヤマハをパートナーに選んだのは、どのような理由からでしょうか。
野崎 最初はトヨタスポーツ800のこともあり、関東自動車に生産を依頼する予定だったんです。でも、のちに関東自動車の社長をしたこともある稲川さんから「2000GTはヤマハ発動機と組むぞ」と言われ、驚きました。ヤマハも4輪進出をめざしており、川上源一社長が強く推したようです。 クリックで拡大表示
(Nostalgic Hero誌 Vol,30 P62より引用)
ご覧のように、トヨタ2000GTは元々、関東自動車と組んで世に出す予定だったようです。
歴史に"if"はありませんが、もし当時、トヨタがヤマハと技術提携をしていなかったら…。
それでもトヨタ2000GTは、当初の予定通り関東自動車の手を借りて誕生していた、ということになります。
この野崎氏の証言から、トヨタ2000GTの誕生にヤマハの存在(技術)が必須ではなかったことが、ご理解頂けるかと思います。
このようにトヨタ2000GTはヤマハの存在とは関係なしに世に出ていた訳ですから、「トヨタ2000GTはヤマハが持ち込んだ企画」とか、「ヤマハが設計図を持ち込んだ」というような話は、当然成立しなくなりますね。
「日産2000GT(A550X)=トヨタ2000GT」とか「アルブレヒト・ゲルツの影響」も否定されます。
いや、そうじゃないんだと。
トヨタ2000GTはヤマハが開発したんだと、あくまでも強弁されるのであれば、まず、この野崎氏の証言が事実でないことを証明しなければならないでしょう。
これは非常に難しいことと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
トヨタ2000GTが実質ヤマハ2000GTであることを、根拠を示して証明すればよいのです。
真実は一つですから、“トヨタ2000GTが実質ヤマハ2000GT”であることが証明されれば、この説にそぐわない野崎氏の証言は必然的に否定されます。
というか、“トヨタ2000GTは実質ヤマハ2000GT”と主張されている方の殆どが、主張の根拠を明らかにされていないのですよねぇ。
まずは、何を根拠に“トヨタ2000GTは実質ヤマハ2000GT”と主張されているのか、出典を明らかにしないと、私のようなへそ曲がりには“脳内ソースによる作り話”と決め付けられてしまいますよ。(笑
ところで前から疑問なのですが、トヨタ2000GTをヤマハ2000GTと侮蔑的に呼ぶ人はたくさんいるのに、関東自工が開発・生産したトヨタスポーツ800を関東自工スポーツ800(略すとカンパチ?)と呼ぶ人がいないのは何故なのでしょうね。
トヨタを貶めるには、ヨタハチよりも2000GTの方がより効果的だからかな…。
まあ、私はトヨタファンという訳ではないですし、熱心な2000GTマニアでもないので理由は正直どうでもよいのですが、愛する国産旧車史を歪められてはやはり捨て置けません。
“トヨタ2000GTは実質ヤマハ2000GT”と主張される皆さんにおかれましては、自説の正しさを早急に証明して頂きたくお願い申し上げます。
別に難しいことはないですよね。
自身が真実だと信じる主張の根拠を明らかにするだけですから、こんな簡単なことはありません。
“主張”があるのですから“根拠”も必ずあるはずです。その“根拠”の開示を是非お願いします。
因みに、推論による仮説が物証や当事者の証言に勝ることはありませんので、ご注意下さい。
谷田部で撮影された2000GTの試作車 / カーマガジン187号より引用
誤解されると嫌なので、少々追記しておきます。
トヨタ2000GTの開発および量産化にあたって、ヤマハが大きな役割を果たしことは紛れもない事実であり、私はこれを否定するつもりは毛頭ありません。
このエントリーは、「2000GTはヤマハがトヨタに持ち込んだ企画」だとか「ヤマハが設計図を持ち込んだ」、あるいは「トヨタは2000GTの開発を100%ヤマハに丸投げした」「トヨタにはスポーツカーを開発する能力が無かった」などの、事実とは明らかに違う言説に疑義を唱えるものですので、そこのところを誤解なきようにお願い致します。
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コメント
はじめまして
今年2月ヤマハシステムバス工場見学に行きました。
そこでは2000GTは「すべてヤマハで製作」しました。と聞きました。
写真のみ展示してあります。
現在はクレスタの木目調のコンソール等は作っています。
投稿: キセオ | 2010年5月15日 (土) 午前 08時16分
>キセオさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
トヨタ2000GTの主要部品の生産や完成車の車組は、ヤマハ発動機や系列の会社で行なわれたので、そういった意味では“2000GTはヤマハが製作(生産)した”と言えますが、コスト低減のため一部にトヨタの既存モデルの部品が流用されていましたので、2000GTが100%ヤマハ製だった分けではりません。
また、開発はトヨタとの共同でしたから、「2000GTはヤマハが単独で開発から生産までの全てを行なった」という訳でもありません。
「すべてヤマハで製作しました」というヤマハの説明は全くの嘘という訳ではありませんが、少々言葉足らずな印象ですね。。。
できれば誤解が生じないように、もう少し詳しく説明して頂けたらなぁと個人的には思います。
投稿: mizma_g@管理人 | 2010年5月15日 (土) 午前 10時49分
ご無沙汰しております。
前掲キセオさんのコメントを拝見して「大阪城を築城したのは誰か。答え:大工」というなぞなぞを連想してしまいました。
投稿: 惰眠 | 2010年7月28日 (水) 午前 08時33分
>惰眠さん
コメントありがとうございます。こちらこそご無沙汰しています。。。
実は、私もキセオさんのコメントを拝読して同じ事を思いました。
確かに、答えは“大工”でも間違いではありませんが、試験の答えに“大工”と書いたら先生に○はもらえないですよねぇ。^^;
それと、これ故意に“大工”と説明しているなら、ヤマハさんちょっとイヤラシすぎるなぁと思いました。
流石に故意ではないと思いますが…。
投稿: mizma_g@管理人 | 2010年7月29日 (木) 午前 06時39分
私は自動車関係に詳しくないのですが、ここのコメント欄を読んでいて違和感を感じたのでコメントさせて頂きます。(私はどちらの設計でも一向にかまわないのですが大工に喩えることに論理的な違和感を感じたので)
大工の話が出ているので建築に喩えると、サグラダ・ファミリアの発注者はカトリック教会であり、設計はガウディ、建築したのは大工です。世界的にはガウディの作品と考えられています。
2000GTの話も同様で、重要なのは「誰の主導で設計したか」でしょうね。
トヨタのエンジニアがヤマハに出向して(ヤマハ側の)2000GT設計チームに参加したという幾つかのウェブサイトの記載が正しいなら、ヤマハが設計において主導的な役割を果たしたわけですから、ヤマハ製と表現しても過言ではないと思います。(その論拠はどのサイトにも記載されていないようですが)
投稿: のし | 2010年12月29日 (水) 午後 06時36分
>のしさん
コメントありがとうございます。
>重要なのは「誰の主導で設計したか」でしょうね。
仰る通りだと思います。
私も拙ブログで、この点について深く追求しています。
詳しくは、トヨタ2000GTに関するカテゴリーにあるエントリーを読んで頂きたいのですが、簡単に説明すると、トヨタ2000GTはトヨタで企画されて初期設計や強度計算などもトヨタが行ないました。
ヤマハが関与したのは、トヨタで初期設計や強度計算などが済んだ後のことです。
また、開発の本拠がヤマハに移ったあとも、プロジェクトリーダーはトヨタの河野二郎氏が務めましたし、役割分担が分かっているシャシー設計に関して言えば、トヨタの山崎進一氏が主導的に設計を行ないました。
「トヨタのエンジニアがヤマハに出向していたのだからヤマハが主導して設計した」と考えるのは、ちょっと短絡的過ぎると思います。(おそらく“出向”という言葉のイメージからヤマハ主導と考えられたのだと思いますが、トヨタのエンジニアは、ヤマハに使われの身だったわけではありません。彼等は、開発の本拠がヤマハに移ったため、週に何日かヤマハに行って仕事をした、というだけです。それと余談ですが、彼等がヤマハに出向くときは、会社が研究用に買った他社のクルマに乗って行ったそうです。)
トヨタ2000GTは、試作車も量産車もヤマハが生産を請け負いましたので、作ったのはヤマハ(ヤマハ製)で間違いありません。
しかし、のしさんが仰るように“創ったのもヤマハ”というのは語弊があるでしょう。
ヤマハがトヨタ2000GTの開発に関わったことは間違いありませんが、ヤマハが単独でトヨタ2000GTを開発したわけではありません。
設計に関して言えば、トヨタは終始一貫して設計に関わりましたが、ヤマハは途中からの参加でした。
ですから、ヤマハをガウディの立場に当てはめるのは適切でないと思います。
私と惰眠さんの“大工”の例えについては、トヨタ2000GTの開発の経緯をよく理解して頂けば、納得してもらえると思います。
お時間のある時にでも、当ブログのトヨタ2000GTに関するエントリーをご覧になってみて下さい。
投稿: mizma_g@管理人 | 2010年12月29日 (水) 午後 11時25分
トヨタ2000GTに関して、開発者の安川力さんが「いつの日も遠く」
と云う著書の中で詳細に開発の経緯を書かれており、ここに書かれ
ている内容は一部事実とは異なります。
複数の開発に携わった方々からも同一の話を聞いており、それらは
事実だと思っております。
ここのシステムが分からないのですが、送信をしたら公開されてし
まうのでしょうか。
もし、そうなら管理人さんのアドレスを教えて頂ければ、そちら
にその話を送信したいと思います。
投稿: ぷーさん | 2011年11月 4日 (金) 午後 06時18分
>ぷーさんさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
安川氏の著書「いつの日も遠く」については、MONOマガジンNo,323に掲載されているトヨタ2000GTに関する記事に参考文献として書名が記されており、その存在は知っていたのですが、探しても入手することができずこれまで読んだことがありませんでした。
安川氏の著書と、当方のエントリーの内容では一致しない部分があるとのことですので、これはとても気になります。
「いつの日も遠く」の当該部分を拝読させて頂けたら、大変有り難いです。
当方へのメールの送信は、↓こちらのプロフィールのページから出来るようになっています。
http://mizma-g.cocolog-nifty.com/about.html
お名前などの個人情報は伏せて頂いて構いませんし、面倒な挨拶なども割愛して頂いて構いません。
ご送付の件、お手数でもよろしくお願い致します。
投稿: mizma_g@管理人 | 2011年11月 4日 (金) 午後 08時32分