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2009年6月13日 (土)

初代シルビアの木村一男デザイン説に反論を頂きました

(2009/11/02:追記)

当ブログのエントリー「日産 初代シルビア(CSP311)をデザインしたのは誰か? 」のコメント欄において、私が主張している初代シルビアの木村一男デザイン説に対して反論を頂きました。
私もその反論に対する反論をコメント欄にて述べています。
以下にその顛末を転載しますので、よろしければご一読下さい。

------------------------------------------------------------------------
木村氏が、「ゲルツの来日前にデザインをアドバイスしてもらいながら」(ディレクションしてもらった)と言っているのですから、ゲルツの来日が何時であるかは、「もう結果は出ましたね」と論拠とするにはほど遠いと思います。

そもそもあのスケッチ「そのもの」にゲルツの「アドバイス」「ディレクション」「デザイン手腕」がどれほど濃く、決定的に影響しているのかが解き明かされなければ、現状の説を覆す説得力は一切持てないでしょう。

投稿: たく | 2009年6月 1日 (月) 午後 01時48分

>たくさん
初めまして。コメントありがとうございます。

>木村氏が、「ゲルツの来日前にデザインをアドバイスしてもらいながら」(ディレクションしてもらった)と言っている
これは初めて聞く話です。是非、この木村氏の証言の出典を教えて下さい。
また、できることならば出典の当該部分を見せて頂けると助かります。
是非、よろしくお願いします。

因みに、木村氏を直接取材して書かれたOld-timer誌10号の記事には「木村さんのデザインしたシルビアはもっと丸味があったが、ゲルツの好みでより直線的でシャープなラインに手直しされてはいるという。」と記述されています。
この記述を素直に受け止めれば、ゲルツのアドバイスは上掲の初期スケッチが描かれた後(来日後)に為されたと考えるのが妥当だと思います。
しかしながら、たくさんのご主張は「初期スケッチがゲルツのアドバイスによって描かれた」ということですよね?
そうなると、Old-timer誌の取材で木村氏が語ったこととは食い違いが生じてしまいます。
しかも、たくさんの論拠も木村氏の証言となると、木村氏が二枚舌を使ったか、あるいは私かたくさんのどちらかが事実誤認していることになりますね。

参考までに、木村氏を取材して書かれた記事を2つアップしておきます。(ひとつは前出のOT誌10号です)
090601_old_timer10  090601_nostalgichero_51
       (クリックで拡大表示)
 
ご覧のように、ノスヒロ誌の記事には「ピニンファリーナのスケッチの描き方を真似て、シルビアの絵を描いた」とは書いてありますが、ゲルツの名前は出てきません。
また、どちらの記事からも、ゲルツが“来日する以前”からシルビアのデザインに関わっていたことは読み取れません。

そもそも、木村氏がシルビアの初期スケッチを公開したのは、自身がシルビアのオリジナルデザインを描いたことを証明するためですから(ソース:ノスヒロ誌51号 P44~45)、木村氏がシルビアの初期スケッチにゲルツが関わっていたと証言することは、常識的に考えられません。

尚、ゲルツはシルビアの「木村一男デザイン説」を否定していません。↓
http://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/goertz-intervie.html

木村氏は自分がシルビアをデザインしたと証言しており、ゲルツもそれを否定していないのですから、何が真実かは言わずもがなでしょう。
このように当事者双方の見解が一致していますから、「木村一男デザイン説」を部外者が覆すのは現状では難しいと個人的には考えます。

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年6月 1日 (月) 午後 06時43分

>木村氏が、「ゲルツの来日前にデザインをアドバイスしてもらいながら」(ディレクションしてもらった)と言っている

しまった!この部分は、管理人さんがUPされたスケッチがすでに完全に初代シルビアのデザインでありかつ十分に「直線的」であるので、あのスケッチを「描いた段階ですでにゲルツの助言は受けていた」という意味で書かれたのかと思って引用したものでした。つまり出典は、上記貴殿の文章です^^;)。
ローウイ直系でBMWでも実績を作った口が達者な(当時はこれも人気デザイナーの重要スキルでした^^)ゲルツが、今で言うクリエイティブディレクター的な立場で、あの「木村スケッチそのもの」にも決定的なディレクションを施したという「推測」が、ゲルツデザイン主張派の「推察」のベースなのでしょう。
それを打ち崩すには、「あの木村スケッチにゲルツが関与していない」という証拠が必要ですが、それが一切無いのではないでしょうか?
当時、海外のデザイナーにディレクションを乞うのは出張が基本でしたので、「ゲルツの赴任前にはゲルツはこのデザインスケッチに関与していなかった」という論拠が求められるのだと思います。
もしかしたらどこかにそのような証拠となるものがあるような気もしますが・・・・まだ見たことが無いので、ぜひ拝みたいものです。
ジウジアーロが多くのデザインをクレジットを隠すことを条件に請け負ってきたように、有名どころのデザイン顧問をプロジェクトに雇ってしまった時点で功績は「ナレッジに勝ったと目される」海外デザイナーのものとされるのが常でした。中には日本人デザイナーの功績が過小評価されてしまうケースもあったであろうと思われますが・・・このシルビアに関しては、まず上記の「証拠」がないと・・・という気が個人的にはいたします。

投稿: たく | 2009年6月 2日 (火) 午前 01時15分

>たくさん
コメントありがとうございます。
出典の件、了解致しました。
 
>「木村スケッチそのもの」にも決定的なディレクションを施したという「推測」が、ゲルツデザイン主張派の「推察」のベースなのでしょう。

これはちょっと違うと思いますね。
既に定説となっていたシルビアのゲルツデザイン説への反証として、木村氏は自身が描いたスケッチを公開していますから、仰るような論は立たないと思います。

>「あの木村スケッチにゲルツが関与していない」という証拠が必要ですが、それが一切無いのではないでしょうか?

事実関係が“なかった”ことを証明するのは大変難しいですから、証拠が出てこないのは至極当然のことでしょう。
むしろこの場合、「木村スケッチにゲルツが関与していた」と主張する、ゲルツデザイン説を唱える側に挙証責任があると私は考えます。
主張の根拠が提示されない論には、何らの信憑性もありませんからね。

まあ、私が敢えて証拠を挙げるなら、それは“未だにゲルツデザイン説の信憑性を担保する証拠が出てきていない”という客観的事実でしょうか。
“「木村スケッチにゲルツが関与していない」という証拠がない”ことがゲルツデザイン説の根拠になるなら、その逆の論も当然成立するはずですからね。

でも、こんなものは実際には証拠にはなりません。単に可能性を論じているに過ぎませんので。
つまりゲルツデザイン説は、何らの根拠もない推論でしかないということです。

一方の木村デザイン説は、木村/ゲルツの両氏の証言によって信憑性が担保されています。
信憑性を担保するものが何もないゲルツデザイン説と、当事者の証言という証拠がある木村デザイン説のどちらが真実に近いかは、言うまでもないでしょう。

因みに、ゲルツはシルビアのプロジェクトのために雇われた訳ではありません。
彼が日産とコンサルタント契約を結んだのとほぼ同時期に、シルビアやA550Xのプロジェクトが立ち上がったので、コンサルタントとしてそれらに関わった、というだけです。
フェアレディ(SP310)のエクステリアを手掛けた飯塚英博氏の証言によれば、『ゲルツはシルビアよりもFFのコンパクトセダンに夢中になっていた(出典 ノスヒロ誌 Vol,33)』そうですよ。

>当時、海外のデザイナーにディレクションを乞うのは出張が基本でしたので

これは一般論であって、シルビアの場合どうであったかは、別途検証が必要だと思います。
また、ゲルツは車輌のデザインを請け負ったわけではなくて、コンサルタントとして日産に雇われた身でした。(日産にオファーしてきたのはゲルツの方です。こういった海外のデザイナーからの売り込みは、当時かなりあったそうです。/出典は前出の飯塚英博氏の証言)
ゲルツの仕事は助言、アドバイス、意見を述べることであって、特定の車輌のデザインを主導して行うことではありませんでしたから、日産側から態々ゲルツのものとに御伺いを立てに出向く必要はなかったと私は考えます。
ゲルツは日産と契約していた間は、何度も来日していますしね。

最後に、誤解されると困るので念のため書いておきますが、シルビアの木村デザイン説を唱えているのは木村氏本人であって、私はそれをこのブログで紹介しているにすぎません。
木村デザイン説が誤りだというのならば、それは即ち当事者である木村氏の証言を否定することです。
ゲルツデザイン説を主張するには、木村氏の証言が誤りであることを立証しなければなりませんから、これは難儀なことだと思います。
当然ですが、木村氏の証言が誤りであることを立証するのは、ゲルツデザイン説を主張する側です。

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年6月 2日 (火) 午後 08時14分

>木村氏は自身が描いたスケッチを公開していますから

これが、論拠に「なっていない」というのが決定的かと。ゲルツが日産のデザイン顧問になったのは63年の1月という説をよく見ます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Albrecht_von_Goertz
http://www.angelfire.com/ns/silvia/index.html
http://blog.cardomain.com/2009/01/27/stand-up-and-be-counted-did-goertz-design-the-2000gt/
仮に日産初訪問63年3月であった100歩ゆずっても、あのスケッチが「ゲルツのデザインディテクションの賜物」ではないか、というのがシルビア=ゲルツデザイン派の考えなのです。あのスケッチにゲルツのデザインが「関与していない」という記述なりがどこかにあるのなら、「証拠」とよべますが、「木村氏がスケッチした」ことと「ゲルツのデザインは関与してない」は、話が別もいいとこですからね。
シルビアの独特の美しさには507で世界の賞賛を浴びたゲルツのデザインの特徴がふんだんに盛り込まれている、というのが上記の世界のゲルツ説を当然のものとしているわけで、これを覆すにはまずあのスケッチに「ゲルツの関与がなかった」という証拠がでないと何も論破したことにはならないですよ。

そしてさらに、上記のサイトのひとつにある「よりシルビアに近い」後期のスケッチ。かっこいいですね。すくなくとも初期スケッチより「シルビア的に美しい」。507風の強い正中線を持ったV型フロントに加え、その正中ラインと対称に「スキャロップド」された彫刻的フロントグリルがシルビアならではの個性ですが、同様の特徴を持ったフロントグリルは64年以前のデザインではゲルツの507だけです。
ゲルツの影響を「見て取るな」という方が無理がある。

問題は「デザインした」という言葉の定義を、都合よく解釈しないことです。
「はなるほどゲルツらしいデザインの良さに満ちている」という世界の定説を覆したかったら、2つのスケッチにゲルツのデザインディレクションそのものが「無かった」と主張する管理人さんの「論拠」を示さねばならないでしょ?
でも2つのスケッチにゲルツのデザインディレクションが「無かった」とは「誰も言ってもいない」のではないでしょうか・・・。

投稿: たく | 2009年6月 4日 (木) 午前 03時31分

>たくさん
コメントありがとうございます。

>あのスケッチが「ゲルツのデザインディテクションの賜物」ではないか、というのがシルビア=ゲルツデザイン派の考えなのです。

私はこのような論を今回初めて知りました。
ゲルツが木村氏の初期スケッチに関与していたとの主張は、たくさん以外に何処のどなたがされているのですか?
たくさんのこのコメントの出典を、是非ご教示下さい。

というか、元々この論はたくさんの誤解から生じたものだと私は認識しています。
誤解から生じた論を一般化して強弁されるのは、相当無理があるのではないでしょうか。
まあ、ぶっちゃけて言うと、誤解だったことが判明した時点でこの論は「終了」ですよね。
でも、たくさんが仰るには、この論はゲルツデザイン派にとって主流の考え方のようですので、確かにそうであることをここで証明して頂ければと思います。

>あのスケッチにゲルツのデザインが「関与していない」という記述なりがどこかにあるのなら、「証拠」とよべますが、「木村氏がスケッチした」ことと「ゲルツのデザインは関与してない」は、話が別もいいとこですからね。
>あのスケッチに「ゲルツの関与がなかった」という証拠がでないと何も論破したことにはならないですよ。

たくさんは「ゲルツが初期スケッチに関与していた」ことが立証されなければ、そもそもゲルツデザイン説自体が成立しないことに気付くべきです。
ゲルツデザイン説が“立証された説”として成立しなければ、当事者である木村氏が主張している木村デザイン説に対抗することはできません。
可能性を論じただけの推論は、当事者が主張している言説の前であまりにも無力です。
火星に火星人が存在しないことが証明されないからといって、それが火星に火星人が存在することの証明にはなりません。
火星には火星人が存在すると仰るのなら、ゲルツが初期スケッチに関与していたと主張されるのなら、その証明はご自身でするべきです。
相手に悪魔の証明を求めることは、持論に何らの根拠も信憑性もないといことを自ら証明するようなものですから、そのような言説が他者から支持を得ることはないでしょう。
反証が提示されない、単なる推測憶測の論など、そもそも論破する対象にすらなりません。
推論に対しては「証拠を出せ」の一言で済んでしまいます。
『反論には反証を付ける』、この当たり前のことをまずは実践して下さい。
反証を出せないなら、ゲルツデザイン説は証拠も無く推測憶測を重ねただけの「妄想」でしかありません。

>上記のサイトのひとつにある「よりシルビアに近い」後期のスケッチ。かっこいいですね。すくなくとも初期スケッチより「シルビア的に美しい」。

リンク先を探してみましたが、該当すると思われるスケッチを見つけられませんでした。
お手数でも、スケッチが掲示されているページのアドレスを教えて下さい。
因みに、たくさんは上のレスで↓こうも仰られていますね。
>管理人さんがUPされたスケッチ(*初期スケッチ)がすでに完全に初代シルビアのデザインであり


>507風の強い正中線を持ったV型フロントに加え、その正中ラインと対称に「スキャロップド」された彫刻的フロントグリルがシルビアならではの個性ですが、同様の特徴を持ったフロントグリルは64年以前のデザインではゲルツの507だけです。
>ゲルツの影響を「見て取るな」という方が無理がある。

シルビアのグリルを含めたフロント廻りの造形に関しては、私はLarry Shinodaさんが手掛けたMako Sharkにより強い類似性を感じています。
http://www.carstyling.ru/en/cars.1962_Chevrolet_Mako%20Shark.html
Mako Sharkの影響は、シルビアの数ヵ月後にデザインされた日産2000GT(A550X)でより顕著になっています。
このように木村氏が手掛けたシルビアや日産2000GTのデザインの源泉は、ゲルツ作品以外からも探すことができます。
“BMW507だけ”というたくさんのご主張には、少々無理があるのではないでしょうか。

>問題は「デザインした」という言葉の定義を、都合よく解釈しないことです。
>「はなるほどゲルツらしいデザインの良さに満ちている」という世界の定説を覆したかったら、2つのスケッチにゲルツのデザインディレクションそのものが「無かった」と主張する管理人さんの「論拠」を示さねばならないでしょ?
>でも2つのスケッチにゲルツのデザインディレクションが「無かった」とは「誰も言ってもいない」のではないでしょうか・・・。

“2つのスケッチ”のうちの1つが何なのかは分かりかねますが、木村氏の初期スケッチを見てゲルツが「もっと直線的に」とアドバイスしたことは間違いありません。
しかし、初期スケッチの作成にゲルツが関与したことは立証されていません。
ゲルツデザイン説主張派の唯一の拠り所がこの部分なのですから、ゲルツデザイン説を主張される方は自説を確立するために、まず証拠を探し出してこのことを立証するべきです。
証拠を見つけられなければ、そもそもゲルツデザイン説自体が成立しませんから、木村デザイン説には対抗し得ません。
「世界の定説」なるものも、立証されなければ所詮は可能性を論じただけの“空論”でしかありませんよ。

例え木村氏がゲルツから助言やアドバイスを受けたり、あるいは他のデザイナーからインスピレーションを得るようなことがあったとしても、それらのインプットを纏め上げて実際に線を引いたのは木村氏自身です。
「絵を描くことはなかった」ゲルツが、カタチを創出、或いは提示することはほぼ不可能だったと考えていいでしょう。
つまり、実際に絵を描いたのが木村氏である以上、シルビアのエクステリアデザイナーとしてクレジットされるべきなのは木村氏です。
一本の線すら描いていないゲルツではありません。

木村氏は、初期スケッチにゲルツの関与が一切無かったからこそ、自信を持って『初代シルビアをデザインしたのは私です。』と断言されているのでしょう。↓
090604_old_timer10p7 (クリックで拡大表示)

そもそも、木村氏はゲルツデザイン説への反証として初期スケッチを公開したのですから、木村氏の認識が「初期スケッチにゲルツは関与していない」であることは明白です。
これが私の論拠その1です。
あくまでも「初期スケッチにゲルツは関与していた」と主張されるのなら、私は「証拠を出せ」と言うのみです。
喩えそれが世界の定説であっても、立証されていない空論に要はありません。

また、既に上のレスで述べていますが、木村氏がシルビアをデザインしたのは自分であると主張していることを、ゲルツ本人も否定していません。
http://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/goertz-intervie.html
この件も、ゲルツが初期スケッチに関わっていなかったことの「傍証」となるでしょう。
何故なら、ゲルツが初期スケッチから関わっていたのならば、彼は木村氏の主張を認めず何らかの反論をしたはずだからです。
ゲルツが木村氏の主張に対して反論しなかったということは、つまりゲルツは木村氏の主張を肯定したということです。
これが私の論拠その2です。

そして、木村/ゲルツの両氏がこれらの証言をしたことは、紛れもない『事実』です。
当事者の証言によって裏付けられた言説の前で、何らの証拠も示せない想像を巡らせただけの推論など、何の説得力も持ちません。

繰り返しますが、反論には反証を付けて下さい。
推論のみに依拠した反論に いつまでも付き合うほど、私も暇ではありません。
反証と冒頭の出典の件、是非よろしくお願いします。

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年6月 4日 (木) 午後 08時07分

----------------------------転載ここまで----------------------------------- 
その後、たくさんからの返答はありません。orz 

私としては異論反論は望むところなのですが、このように証拠が提示されず、あまつさえ自説の証明を私に求めてくるような反論では、とてもではないですが相手にする気になれません。
今後また、同じような論法で反論してくる方がいると困るので、参考までに論証の仕方を書いておきます。

<論証のやり方>
1 主張の根拠を提示しないとその発言は信用されない。
2 他者に対する反論は、反証を付けるか、その論理的矛盾を指摘すること。

私に対して反論を述べる場合は、取敢えずこの2点に留意して下さい。

それと、私は以前こんなエントリーを書いています。↓
「馬鹿」とは。
-------------------------------------------------------------------------
以下、とある論客氏の日報より引用。
   
「馬鹿」とは何ぞと問う人のありて、以下の如く答う。                   

1.論理的に話せない者。
論理的に話すというのは、先ず以て根拠に基づいて話をするという事に尽きる。
但し、根拠は検証可能な物で無ければならない。
何故なら、議論とは感情や感覚の共有を求める事なのでは無く、
自己の主張の妥当性の検証を他者に依頼する事に他ならないからである。
故に、根拠は検証可能な様に再現可能性を担保した物が望ましい。
また、それに基づいて如何なる考察を経て結論に至ったのかを示す必要がある。
勿論、主張の際にその全てを語る必要は無いが、相手の質疑に回答出来ねばならぬ。
逆に傾聴する場合には此点に留意すれば、徒に煽動的であったり、教条主義的な主張に踊らされる事は少なくなるだろう。

2.根拠の検証を行わない者。
自己の物も含めて、特定の言説が提示した根拠が信の置ける物か否か懐疑し、
それに充分な検証を加える意思と能力を具備しているか否かという事である。
この事は対話者に盲目的な同意を求めるのではなく、妥当性の検証を依頼する議論の本義に適う事である。
一方で、これを行う事無く、他所で得た記述等を無批判に他者に吹聴して回る者が居る。
仮にその言説が正当な物であったとしても、その人物への評価は著しく減ぜられねばならぬ。
何故なら、その結論に至るまでの知的作業を行ったのは当該言説を為した本人であり、その者ではないからだ。
況して、その事を以って、言説の瑕疵や検証の責任を回避するに至っては論外である。

3.自己の主張を相対化出来ない者。
自説は絶対的な物足り得ない事を知るべきである。
完全なるに如くは無いが、如何なる言説も往々にして何等かの瑕疵を持つものだ。
但し、それ自体は何等恥じる事ではない、議論とは全知全能とは程遠い我々が、
衆知を結集して真理を追い究めて行く営みに他ならないのだから。
問題とすべきは、自説の瑕疵や不成立が明白であるにも関わらずに之を改めぬ者である。
恐らくは自尊心を保たんが為に徒に拘泥せんとするのであろうが、逆効果である事を知るべきだ。
対話者の多くはその者と以後、建設的な議論を行おうとする意思を喪失してしまうに違いない。
その段階に立ち至って、自己が不当に扱われていると憤慨しても遅いのである。

以上、私は斯かる議論の前提すら踏まえぬ者達を「馬鹿」と分類する。
-----------------------------引用ここまで--------------------------------

こちらも踏まえた上で反論して頂けると有難いです。
以上、よろしくお願い致します。


(2009/11/02:追記)
先月の31日に平塚市美術館で行なわれた、「フェアレディZを語る」と題した日産OB「かたちの会」のメンバーによる座談会の模様を、職人さんがコメント欄に書き込んで下さいました。
この座談会に於いて、座談会に「かたちの会」のメンバーとして参加していた木村一男氏の口からはっきりと、CSP311の基本デザインが木村氏ご自身のものである旨、語られたそうです。
つまり、“たくさん”のご主張(反論)は正しくなかったということです。
これにて一件落着ですね。

座談会終了後、いち早く報告して下さった職人さんに、この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。。。
また、座談会があることをコメント欄にてご教示くださったKATSUさんにも、あらためて謝意を表します。。。

平塚市美術館/企画展示
カー・デザインの歴史 -NISSAN 情熱と機能の美-
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2009205.htm 

-------------------------------------追記ここまで------------------------------------

090613_csp311rc

  

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コメント

ゲルツにしろピニンファリナにしろ当時の日産首脳が日産意匠部には説明なく独断で契約など決定したという話なんで、そんな状況で来日前にすでに木村氏にアドバイスしたというのちょっと不思議な気がしますね。

投稿: ろくりん | 2009年6月15日 (月) 午後 07時53分

>ろくりんさん
コメントありがとうございます。

>日産首脳が日産意匠部には説明なく独断で契約など決定したという話なんで
そうだったんですか。
でしたら、ゲルツが来日する前からシルビアに関わっていたという話は、やはり解せないですねぇ。

まあ元々シルビアは、造形課の四本課長が自動車ショーで見たコンテッサ900スプリントに感化されて、「我々も負けないものを作って、次回の自動車ショーに出展しよう!」ということで開発が始まったクルマで、当初は量産する予定など全くない造形課発案の単なるショーモデルでしたから、態々お金を掛けて海外のデザイナーに、たくさん風に言えばディレクションですか、監督とか指揮という意味らしいですが、そういったことを依頼することは常識的に考えてあり得ないと思います。
それと、これはあくまでも私見ですが、シルビアのデザインを仕切った(デザインの可否を決めた)のは、ゲルツではなく言いだしっぺの四本課長だったのではないでしょうか。
シルビアのことは、試作車の内見会が行なわれるまで、社長の川又氏や重役連中は知らなかったそうですから、あくまでも造形課が主導して開発を進めたようですね。
それ故、社内の規約に合わなくてショーへの出展が認められず、一度お蔵入りになっています。

あと、シルビアはそもそも造形課がイタリーに対抗するために始めた企画ですから、外国のデザイナーに監督/指揮を頼んでしまっては身も蓋ないんじゃないかと…、そんな観点からもゲルツディレクション説には無理があるように私は思います。^^;

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年6月16日 (火) 午前 08時14分

追伸、 おそらく当時 プリンスがイタリアデザインを導入、の情報が業界に早くから広まっていたらしく、 日産首脳が 、ならばわが社も、と 社内デザイン部門の考えとは逆の方向に走ったのかも。三菱もそれまでイタリアテイストで開発してたコルト1000を、首脳陣の独断で連れてきたプレッツナーがあっさりあのデボネアと同じ四角い形にしたそう。両社に共通点は 自動車以外から来たトップが開発部門を飛び越え 独断で事を進めてしまうところだったそう。評論家の徳大寺先生いわく、日産や三菱のトップには自動車好きがいなかった、それがトヨタやホンダとの違いと。なるほど銀行やグループから首脳が来ていたメーカーの弊害だったのかも。

投稿: ろくりん | 2009年6月16日 (火) 午後 03時59分

>ろくりんさん
コメントありがとうございます。

>ならばわが社も、と 社内デザイン部門の考えとは逆の方向に走ったのかも。
プリンスの後追いだったかどうかは私には分かりかねますが、日産も早くから(61~62年頃?)イタリアデザインを導入していましたよね。
SP310を手掛けた飯塚氏の証言によると、ピニンが送ってきた410ブルのモックアップは、全幅が当時の小型車枠におさまっていなくて、やむなく日産で手直ししたらあんなカタチになってしまったのだとか。^^;
シルビアに関しては、造形課が独自に作るつもりだったのに、ちょうどタイミング悪く(?)会社がゲルツを雇ってしまったので、ゲルツの干渉を受け入れざるを得なくなってしまったのではないでしょうか。
まあ個人的には、シルビアのデザインはゲルツの助言通りに直線的に修正されてよかったと思っていますが…。

コルト1000のエクステリアを担当したのは二村正孝氏でしたが、氏は当時のモーターファン誌で↓こんな風に述べられています。
「(コルト1000は)日本的感覚イメージの象徴として折鶴のもつ優雅な、格調高い、直線的で簡潔な造形とか、桂離宮の直載で気品のある力強いもの、日本刀の刀身のもつクールで気品の高い雰囲気を出すよう努めた。」
スケッチは数百枚描いたそうです。
そのうちの何十枚かはモーターファン誌に掲載されています。
まあ、裏の事情もあったのでしょうけれど、モーターファン誌の記事を読む限りでは、コルト1000は最初から「日本的な造形」を目指していたようです。^^;

>銀行やグループから首脳が来ていたメーカーの弊害だったのかも。
考えてみたら、国産メーカーで純血を守りぬいたのはトヨタグループとホンダくらいですから、やはり専門外の人間による経営には「弊害」の影響が少なからずあったのでしょうね。

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年6月17日 (水) 午前 09時03分

はじめまして。
KATSUと申します。


いつも興味深く拝見しております。


インハウスデザイナーは基本的に表に名前が出ない分、こういった世界に興味が薄い人には、車に限らず、大手メーカーの工業製品が誰のデザインか?という点で、今でもいろいろと誤解されていることが多いと感じます。


日産で言うと、中村史郎氏が来て以来の日産車はみんな氏の作品だと思っている人もいるし、

一連のパイクカーに限っては、カタチにしたのは日産のデザイナーなのに、コンセプトアドバイザーとして外部から関わった坂井直樹氏の作品ってコトで通ったりしてますよね。(Be-1とか、坂井氏の功績として良く挙げられますしね。)

自動車のデザインって、基本的にチームを組んでの共同作業となる場合が殆どですので、大枠で言えばそのデザインに関わった人すべての共同作品とも言えると思います。(すなわち大きく解釈すれば、上記の中村氏や坂井氏の件も否定できない)

しかしながら、その中でも他者に【自分の作品】と堂々と言える名誉を与えられるのは、やはりキースケッチを描いたデザイナーではないか?と私自身は思っています。

また、作品をまとめ上げるチーフデザイナーにしても、作品に関与したモデラーやその他のデザイナーにしても、製作プロセスにおける作品のブラッシュアップにどれだけ貢献したかの自負と他者に対する説得力で【自分の作品】として誇れる度合いが変わってくるのかな?と。(私が好きなデザインの車の中には、デザイナーのキースケッチが、モデラーやチーフデザイナーの力量・センスがあってこそ魅力的な作品に昇華したと思えるモノも少なくないのですしね)

そういった視点で見ると、ゲルツ氏が木村氏の初期スケッチに対し、「より直線的に!」という指示を出したことは事実なようですし、それが実車のデザインに効果的に働いているとも思うので、それだけでも、ゲルツ氏が初代シルビアのデザインに関与した(影響を与えた)という点は、認めてあげても良いかと思います。

また、それをもって、たく氏のように、初代シルビアをゲルツの作品だと解釈する人がいても、百歩譲って致し方ない気もします。

しかしながら、ゲルツのアドバイスがいくら効果的であったとしても、木村氏が初代シルビアのキースケッチ(しかも、そのスケッチには完成した実車に通ずるオリジナリティが既に備わっている)を描いたデザイナー=キーデザイナーであるという揺るぎない事実を越えることは出来ないというのが私なりの結論です。


ゲルツがチーフデザイナーとして複数のスケッチから木村氏のモノを選出したとかいうのであれば、ちょっとは考えも変わるかもしれませんが・・・。今明らかになっている資料から推測するに、それはなさそうですしね。


ちなみに、既にご存じかとは思いますが、平塚市美術館で開催される「カー・デザインの歴史 -NISSAN 情熱と機能の美-」

において、10月31日に"フェアレディZを語る”
を語ると題して、 飯塚英博氏、木村一男氏、吉田章夫氏の座談会が行われるようです。↓
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2009205.htm


ひょっとしたら、本人に真相をお聞きするチャンスかもしれません。ちなみに私はその他の車種の座談会も含め、参加する予定です。

投稿: KATSU | 2009年9月30日 (水) 午後 07時00分

>KATSUさん

はじめまして。
コメントありがとうございます!

シルビアのデザインに関してですが、ゲルツ氏の影響は私も否定するものではありません。
私自身は、ゲルツ氏の助言によって直線的になったデザインの方が、木村氏のオリジナルスケッチよりも数段良いと思っていますので、「ゲルツ Good job!」と思っています。(笑

ただ、たく氏が言われるように、また一般に言われているように、シルビアが『ゲルツ氏の作品』かというと、ちょっと違うように思うんです。
何故かというと、シルビアの原案を考えたのも、その原案を直線的にアレンジしたのも木村氏だからです。
どちらの“カタチ”を創造したのも、木村氏なのですよね。
ゲルツ氏はといえば、シルビアに関しては絵を描くことはなくクリエイティブな作業はしていません。
とはいえ、彼の助言によってシルビアはより魅力的なカタチに変化した訳ですから、彼の功績も認めないといけないとは思います。
ただ、助言をしたのみのゲルツ氏と、実際に線を引いてカタチを創造した木村氏を同格に、あるいはゲルツ氏が上であるかのように扱うのはちょっと違うように思うんです。。。

もちろん、広義に解釈すればシルビアは開発に関わった全ての方の作品といえますから、シルビアはゲルツ氏の作品といっても間違いではありません。
でも、エクステリアデザインに限って言えば、やはりシルビアは木村氏の作品かと思います…。

例えば、シルビアのデザインの経緯を作曲に喩えると、こんな風になるんじゃないでしょうか。
「木村氏が原曲を作曲し、ゲルツ氏のアドバイスによってさらに木村氏が原曲をシャープな感じにアレンジした」
この場合、作曲者及びアレンジャーとしてクレジットされるのは、木村氏ですよね。
ゲルツ氏が作曲者としてクレジットされることはないと思います。
また、出来上がった楽曲がゲルツ氏の作品と言われることも、おそらくないでしょう。
ゲルツ氏が楽曲に関わったことは間違いありませんが、誰の作品かといったらやはり「木村氏の作品」となると思います。
やはり『創造した』という事実は重いですし、強いですよね。

KATSUさんも私と同じ見解をもたれている様で、同士を見つけた気がして大変嬉しいです。
ご紹介頂いた平塚のイベントですが、私は知りませんでした…。
10月31日の座談会、万難を排しても参加したいところですが、この不景気の折、仕事をサボる訳にはいきません。。。orz
KATSUさんが参加されて、もし何か面白い話や新事実など聞くことができましたら、教えて頂けると助かります。
不躾なお願いで恐縮ですが、ぜひよろしくお願いします。m(_ _)m

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年10月 1日 (木) 午前 12時47分

お久しぶりです。

先程平塚市美術館から戻ってきました。

管理人さんの仰る通り、CSP311の基本デザインが、木村氏ご自身のものであることが、トークショーの会場でご本人の口からはっきりと語られました。

木村氏、このブログもチェックしておられる様です。

投稿: 職人 | 2009年10月31日 (土) 午後 06時41分

>職人さん

どうもお久しぶりです。
平塚のイベントに行って来られたのですね。
お疲れ様でした。

>CSP311の基本デザインが、木村氏ご自身のものであることが、トークショーの会場でご本人の口からはっきりと語られました。

おー! そうなんですか!!
私がこのブログに書いたことのソースは、全て木村氏を取材して書かれた記事なので間違いはないと確信していましたが、あらためてご本人が語られたと聞いて安堵しました。
これからは、いかなる反論にもさらに自信を持って異を唱えられます!

>木村氏、このブログもチェックしておられる様です。

これは、嬉しいやら恥ずかしいやらですね。。。(汗
でも、個人的に大ファンである木村氏に拙ブログをご覧頂いていることは大変光栄です。
シルビアを一目見て気に入って買ってしまった、今は亡き私の父もきっと喜んでくれていると思います。^^;
 
イベントの情報をいち早くお知らせ下さりありがとうございました。
出来る事なら、私も木村氏のお話を直接聞きたかったです…。(無念

投稿: mizma_g@管理人 | 2009年11月 1日 (日) 午前 07時58分

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