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2008年8月30日 (土)

『商品誕生(ホンダスポーツ500)』@昭和38年7月31日付 朝日新聞記事

○ホンダS360やT360/S500の試作車について研究・考察している「三妻自工 Web site」はこちらす。
○Web site that researches and considers the concept model of HONDA S360 and T360/S500 is here
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「ホンダスポーツ500価格クイズ」の抽選会(S38.07.22開催)が行なわれた直後の昭和38年7月31日付 朝日新聞に掲載された『商品誕生』という記事に、ホンダスポーツ500が取り上げられており、発売に至るまでの経緯や同業他社の評価など興味深い話が掲載されているのでテキストを起こしてみました。
よろしかったら、ご覧になってみて下さい。

↓こちらが当該記事をスキャンしたものです。
080830_630731_ (Click image for full size)

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商品誕生

 “野武士”で知られる、いつもノーネクタイの本田宗一郎氏に、ネクタイをつけさせる日があった。七月二十二日、東京ヒルトン・ホテルのホールを借切り、赤坂のきれいどころを動員した「ホンダ・スポーツ五〇〇」の価格クイズ抽選会。二回にわたる新聞各紙の全面広告と合わせて、ざっと一億五千万円をかけたこの宣伝は、本田氏のもうひとつの“突然変異”だった。「宣伝はしない。ホンダの車が街を走る。それが宣伝だ」といっていた同氏。その“変節”の理由を聞いたら~~~「初めての四輪車の門出ぐらい、花々しくやらせて下さいよ。これだけやったら、あとは広告しません」。

四輪車進出の悲願
 本田技研工業が四輪車進出の悲願を立てたのが、創業十年目の三十一年。
本社の設計部に四輪車担当部門を設け、その後できた技術研究所も協力して、五回にわたり試作車が作られた(注1)。昨年春やっと原型ができ、秋の自動車ショーで試作完成車を発表、今年十月発売にいたるまで(注2)、六千人の従業員を常にムチうっていたのが「オートバイ屋からの脱皮」という合言葉。それは、先輩の同業者が舌をまく。こんどの“なぐり込み”となって爆発した。
 しかし七年間の道は、近くこの車が参加するリエージュ(ベルギー)~ソフィア(ブルガリア)~リエージュのラリーコースのように、アウトバーンとデコボコ道の交錯だった。オートバイの国際レースでは“常勝将軍”だったホンダも、四輪車となると壁にぶつかる。当初の空冷V型エンジンは焼切れ、はじめのデザインの車体は風圧でへこんだ。テストも、あらゆる過酷な条件のなかで行われた。鈴鹿サーキットで最高時速百三十五キロ、平均八十キロ、十万キロ無整備でやった走行テスト。米国カリフォルニア、海面より百メートル低い気温四十度のさばく盆地「死の谷」、雪をいただく海抜二千五百メートルの低温、低圧地「マンモス・レーク」でやった耐久テスト。

宣伝にも“突然変異”
 しかし結局は、オートバイの経験がモノをいった。四気筒・四気化器の水冷直列エンジン、高回転を可能にするころがりベアリングを使った軸受けなど、この種のスポーツカーとしては新機軸のすべてが、ホンダ・オートバイの落とし子だった。車体のデザインも、すでに八回、型を変えたオートバイの風防の流線型が、もとになった。こうして排気量五百三十一ccで最大出力四十四馬力、毎分八千回転という“小粒だが強力”なスポーツカーが生まれる。
 ここまでは、技術屋本田社長の陣頭指揮だった。売り出しの段になって、藤沢武夫専務が活躍する。消費者に値段をあてさせるクイズ、東京郵便局開設以来という、十五日間に五百七十三万余通もの応募葉書が集まった。四十五万九千円という価格発表。その広告に「今後十年間値下げいたしません」。そして抽選会。~~~これらはすべて、藤沢氏のアイデアだった。「年内に月産千台、来春千五百台、すぐに五千台まで行きます。スポーツカーであると同時にレジャー・カー、ビジネス・カーとしてつくってありますからね」と藤沢氏、どこまでも強気だ。

首をかしげる業界
 しかし、これは日本のスポーツカーの先輩「ダットサン・フェアレディ一五〇〇」を昨年十一月から月平均三百台売っている日産自動車が、首をかしげる。
「世界で一番売れているMGやトライアンフ(いずれも英国)でさえ月産五、六百台。そんなに売れるはずがありませんよ」。小型スポーツカーとしては性能がいいが、それだけに使いこなせる運転者は限られ、素人がふつうの乗用車のつもりでやったら、たちまちエンジンを痛めてしまうだろう~~~というのがその理由。ふつうの乗用車らしくなっているのは後のトランクが大きいぐらいで、もともと機能からみて、スポーツカーとビジネスカーは両立しない、ともいう。本田が安い値段の秘密としてあげる生産のドラム・ターン方式(車体や部品は固定し、回りから一度にいくつも工作機械を働かせて仕上げる装置)も、日産にいわせれば少量生産の「常識」。短距離向きの性能からみて「リエージュ~ソフィア・ラリーでも最後まで走り通せますかね…」となかなか手きびしい。
 この判定がどう出るかは、売出し後でなければわからないが、スポーツ・タイプの乗用車を試作したことのあるトヨタやプリンスは日産、本田の両社にスポーツカーの道を閉ざされた形だ。本田が当面は否定している、普通の乗用車への進出計画とともに、自由化時代の乗用車業界は、もうひとつの乱戦の芽をはぐくんでいるようだ。

(以上、原文ママ)
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注1:軽トラックを含めると、S500が発売されるまでにおよそ10種類の試作車が製作されています。ここで軽トラックを含めるのは、スポーツ360が軽トラックからの派生に近い形で誕生しているからです。詳しくはこちらを参照下さい。
注2S500の実際の発売日は昭和39年2月1日


記事では、“スポーツカーとビジネスカーは両立しない”と言い放たれていますが、実際にビジネスカーとして使用された実例があるので、以下に挙げておきます。
080830_s500 (Click image for full size.)
   ※この画像はBOND様よりご提供頂きました


    

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