« ホンダの古い特許とRC143の動態復元映像など | トップページ | 【S500】お詫びと訂正【最高出力】 »

2008年5月12日 (月)

ホンダS500の正確な発売日と発売されるに至った経緯に関する一考察

○ホンダS360やT360/S500の試作車について研究・考察している「三妻自工 Web site」はこちらです。
○Web site that researches and considers the concept model of HONDA S360 and T360/S500 is
here.

このエントリーは5月8日のエントリーの続編です。
このブログを初めてご覧になる方、或いは当該エントリーを未見の方は、5月8日のエントリーからお読み頂ければと思います。
 
ということで、まずは東京ブロック会の試乗会について。
東京ブロック会の試乗会は、箱根の芦ノ湖スカイラインと荒川テストコースの二箇所で行なわれたようです。
箱根での試乗会が行なわれたのは '64年1月17日と18日、荒川テストコースでの試乗会が行なわれたのは同年1月26日と2月2日です。
080512_ (この画像はBOND様よりご提供頂きました)

前回のエントリーで書き漏らしてしまいましたが、試乗会はS500だけのものでなくて、T360とS600の試乗も行なわれました。
驚くことに、S500とS600の試乗が同時に行なわれていたのですね。
080512_64_akas
          (クリックで拡大表示/この画像はBOND様よりご提供頂きました)
 
こちらが箱根で行なわれた試乗会の様子です。
080512_s500
                        (この画像はBOND様よりご提供頂きました)

残念ながら雨が降ってしまったため、試乗会は中止になったらしいのですが、それでも13名の会員がかけつけた、と別の写真のキャプションには書かれています。
 
雨が降る中、T360の試乗も行なわれました。
080512_ak
                          (この画像はBOND様よりご提供頂きました)

よく見ると、前から1・3・4・6番目の車輌と、2・5番目の車輌の車体色が微妙に違っていますね。
先頭と2番目の車輌をよく観察すると、どちらも軽自動車用の仮ナンバーが付いていますから、“T360(メイブルー)とT500(モスグリーン)”というような機種の違いに拠る車体色の違いではないようです。
そうなると、色が薄い方は“ベージュ”で、濃い方は“メイブルー”なのかもしれません。
やはり、この時期にはまだボンネットのHマークが白く塗られていないですね。
 
こちらは荒川テストコースで行なわれた試乗会の様子です。
080512_64__2
                   (クリックで拡大表示/この画像はBOND様よりご提供頂きました)

荒川テストコースは鈴鹿サーキットよりもはるかに小さい施設だったため、ご覧のように試乗車の台数も少なめだったようです。(推定20台くらいでしょうか)
試乗車の中にはS600もあったはずですが、画像を丹念に調べてもS600を探し出すことは出来ませんでした。

  
ということでここまでをまとめると、販売店を対象にしたT360/S500/S600の試乗会は、下記のスケジュールで行なわれたことになります。
 
1月17日 箱根 芦ノ湖スカイライン (東京ブロック会)
   18日 箱根 芦ノ湖スカイライン (東京ブロック会)
    22日 鈴鹿サーキット             (中部ブロック会 or 関西ブロック会)
   28日 荒川テストコース          (東京ブロック会)
    29日 鈴鹿サーキット             (中部ブロック会 or 関西ブロック会)
2月02日 荒川テストコース          (東京ブロック会)
 
「28日に荒川テストコース、29日に鈴鹿サーキット」というタイトなスケジュールだったことを考えると、荒川試乗車と鈴鹿試乗車は別物だった可能性が高そうですね。
そうなると、試乗車は70台程度あったのかもしれません。
 
このように、'64年1月末にホンダが大規模な試乗会を行なった理由ですが、それはS500の発売日が '64年2月1日だったからです。
S500を発売するにあたって、発売日の直前に販売店向けの試乗会を行なった訳ですね。
因みに↓これが、S500の発売日が '64年2月1日だったことを示す物証です。
080512_21 (この画像はBOND様よりご提供頂きました)
<S500>二月一日の全国一斉発売を前に…。 」と確かに書いてありますね。
尚、このエントリーで使用した画像は、下掲の朝日新聞の記事以外全て、ホンダの社内広報誌「フライング 特集号(S39.02.15発行)」から引用しました。(フライング誌を提供して下さったのは読者様です)
故に、記述されている内容の信憑性については折り紙つきです。
  
ホンダS500が発売された時期については、私はこれまで'63年10月(第10回全日本自動車ショーへの出展をもって販売開始)と思っていました。
デリバリーが始まったのが、年が明けた'64年1月から。
実際にホンダも、S500の販売価格を公表した際に「'63年10月から売出す」と発表していました。
080512_630720_459 (クリックで拡大表示)
     朝日新聞'63年7月20日付朝刊より引用
 
S500の発売日が'64年2月1日だったということは、ユーザーへのデリバリーも'64年2月1日以降に行なわれたはずですね。
この推測は、ガレージ・スズキさんが行なった調査の結果(S500は '64年2月と3月にしか登録された実績がない)と符合しますから、おそらく間違いないでしょう。
ということは、一般に言われている「S500は'63年10月発売、'64年1月からデリバリー開始」という説は誤りだったことになります。
正しくは「S500の発売日は'64年2月1日、ユーザーへのデリバリーは'64年2月1日以降」となりますね。
このことは、「モーターファン '64年4月号」のエスに関する記事にも記されているそうです。
残念ながら私は当該誌を持っていないので確認できないのですが、お手元にある方はご覧になってみて下さい。
同じ記事中には、S600が市場に出回るようになったのは3月1日からだった旨の記述もあるそうです。
 
08/06/09追記ガレージスズキさんの調査結果を覆す資料を発見しました。詳しくは こちらのエントリーをご覧下さい。そのため、以下の考察は誤謬である可能性があります。発見した資料の真贋が確定し次第、このエントリーを訂正する予定ですので、以下の考察は参考程度にお読み頂ければと思います。

S500がいつ頃まで売られていたかは分かりませんが、後継車であるS600が1月に発表、3月には市場に出回っていたことや、S500が2月と3月にしか登録されていなかったことを勘案すると、3月(S600が発売される)までと考えるのが妥当ではないでしょうか。
そうなると、S500の販売期間は極僅か(実質1ヶ月ちょっと)だったことになります。
ただ、予約はおそらく前年の自動車ショーが開催された頃から受け付けていたでしょうから、この予約を受け付けていた期間まで含めればもう少し長くなるかと思います。
しかしながら、通常は発売前の予約期間を販売期間には含めませんから、S500の販売期間は“およそ1ヶ”で、一般に言われている“3ヶ月”というのは誤りということになると思われます。
 
さて、それでは何故、S500の発売は当初予定していた10月から4ヶ月も遅れてしまったのでしょうか。
その理由は、発売日の2日前('64年1月30日)に行なわれた新聞記者会見で、藤澤専務が明かしています。
曰く…
発売のおくれたのは、去年の9月頃S500では、外国においてインターチェンジからハイウェイに入るときに、加速に若干物足りなさを感じるが、S600なら、その心配が全然ないという話が研究所からあった。ホンダとして初めて市場に出す以上、やはり世界のどこに出しても太鼓判のおせる車を待って市場に出すべきだ、ということで今まで遅れた訳です。なお、その間に、販売店にもS500を配車して自分たちで十二分に試乗してもらい、故障が全然なく、自分たちが販売する場合にも修理の心配なしに売れるということを現実に味わってもらったわけです。 」(フライング 特集号/S39.02.15発行より引用)
…とのことです。

うーん…、正直分かったような分からんような説明ですね。
“太鼓判のおせる車が出来るのを待っていたために遅れた”とのことですが、待った末に出来上がった車は、加速を良くするするために出力向上を図ったS500なのでしょうか、それともS600なのでしょうか。
S600は、ちょうどこの会見が行なわれた1月に発表されているのですよね。
一方、S500の方は、車名の表記が「Sports500」のカタログ2種、同「S500」のカタログ2種で確認しましたが、すべて「44ps/8000rpm」となっており出力向上が図られた痕跡は確認できません。
08/05/13訂正:S500は'63年8月までに当初の44psから47psに馬力アップされていたことをモーターファン'63年10月号で確認しました。詳しくはこちらで解説していますので、本エントリーと併せてお読み頂ければと思います。)
ということは、もしかしたら“S600の開発を優先したためにS500の発売が遅れた”のかもしれません。
 
もしそうならば、「何故S500を発売したのか」という疑問が個人的にはわいてきます。
何せ、S500とS600は僅か1ヶ月違いで発売されていのですから、S500の発売を取止めてほんのちょっと待てば、より完成度の高い世界のどこに出しても太鼓判の押せる「S600」をホンダの市販乗用車第1号として発売できたはずです。
でも、ホンダはそれをしなかった…。

これは私見ですが、S500が発売された理由は、主に以下の3つだったのではないでしょうか。
・Sports500/S500の生産は'63年6月16日から始まっていた(但し、初期の生産分は試作車)ため、在庫があった。
・発売前に受注していた分を捌く必要があった。
・1日も早く小型車の販売実績を作りたかった。

ホンダは特振法を回避するべく、四輪車メーカーとしての既成事実を作るため、S500の開発を行ないながら、常に先手を打って広報や販促活動を行なっていました。
このことが仇になり、いざS500が完成してみたら性能的に満足のいくものではなかったが、すでにオーダーを受けてしまっていたため売らざるを得なかった。
そのため、S500は受注していた分だけをやむなく販売し、急遽開発した本命であるS600をS500とほぼ同時期に発売した。
S500の発売を遅らせたのは、間をおかずにS600発売してS500のオーダーを受けないようにするため。
…こんな推論は成り立たないでしょうか。
 
例えばフライング誌には↓このようなイラストと記述があります。
080512_s5_s6_
                           (この画像はBOND様よりご提供頂きました)

イラストも文章も、S500はS600を伴って登場したように書かれていますね。
このことから、ホンダはS500を発売したあと間をおかずにS600を発売する腹積りだったことが伺えます。
 
四輪でも世界に打って出るつもりだったホンダにとって、性能に不満のあったS500は本来発売したくはなかったはずです。(実際にS500は海外では販売されませんでしたね)
それでもS500の発売に踏み切ったのは、上述のように発売しなければならない理由があったからとみて間違いないでしょう。
斯様にあまり望まれずに誕生したS500は、発売後すぐにカタログ落ちする運命にあった、とても不幸な星の下に生まれた“悲運のクルマ”と云えるのではないでしょうか。

以上、主観に依拠した推測を多分に含んだエントリーになってしまいましたが、フライング誌から引用した画像や文章は“客観的な事実”を記録したもので、十分信用するに足りる物証です。
皆さんもこれら“客観的事実”からS500のヒストリーを推測されてみては如何でしょうか。


 

|

« ホンダの古い特許とRC143の動態復元映像など | トップページ | 【S500】お詫びと訂正【最高出力】 »

Honda Sports500/S500」カテゴリの記事

Honda T360 T500」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/158972/20913828

この記事へのトラックバック一覧です: ホンダS500の正確な発売日と発売されるに至った経緯に関する一考察:

« ホンダの古い特許とRC143の動態復元映像など | トップページ | 【S500】お詫びと訂正【最高出力】 »