トヨタ2000GTと日産2000GTに関する追記
ホンダS360やT360/S500の試作車について研究・考察している三妻自工 Web siteはこちらです。
ココログにはデフォルトでアクセス解析が装備されているのですが、昨日そのアクセス解析をいじくっていたら、「okaz::だめにっき」さんが拙ブログを引用して下さっていることに気が付きました。
引用されているのは、トヨタ2000GT(280A)と日産2000GT(A550X)に関するエントリーです。
詳しくは「okaz::だめにっき」さんの当該エントリーを読んで頂くとして、「okaz::だめにっき」さんに以下の点を指摘されましたので、ちょこっとエントリーを書いてみます。
>しかし個人的に気になったのは「本当にトヨタ2000GTがA550Xと無関係か?」という話。
>「三妻自工 Blog」さんではトヨタ側の資料を元にして解説してるが、そもそもロータス・エランを
>お手本にしたと思われるバックボーンフレーム方式や、ホイールベース・トレッド数値とかが
>トヨタ2000GTとA550Xとで非常に似通ってる部分については全く言及されてないのが気になる。
まずはバックボーンフレームについて。
とあるサイトには、トヨタ2000GTも日産2000GTもバックボーンフレームであったかのように書かれていますが、これは間違いです。
日産2000GTの車体は、「ボディはモノコック構造で、これにサブフレームを追加しました。」(ヤマハ側のスタッフとして車体設計に関わった花川 均氏 談)とのことで、バックボーンフレームは使われていません。
件のサイトには、他にも間違いがあるので、ここで指摘しておきましょうかね。
まず、トヨタ2000GTのリアブレーキを日産2000GTと同じ「インボード式」と表記していますが、正しくは「アウトボード式」です。
また、日産2000GTの足廻りを「前後ダブルウィッシュボーンと思われる」と書いていますが、前出の花川氏は「4輪独立縣架を狙ったのですが、最初はフロントがダブルウィッシュボーン、リアリジットがアクスルだったと思います」と証言されています。
「最初は…」と仰っているので、のちにリアも独立縣架に改修された可能性がありますが、日産2000GTは1号車が完成した時点で開発にストップが掛かっているので、構想あるいは設計のみで実際には改修されなかった可能性もあると考えられます。
もうひとつ。
日産2000GTに搭載されたヤマハ製YX80型エンジンは、2L直列6気筒ではなくて2L直列4気筒です。
つまり、“トヨタ2000GTと日産2000GTは共通点が多いのでトヨタ2000GTは日産2000GTの影響を受けているはず”という件のサイトの考察は、そもそも比較の前提となる諸々のデータが間違っているのです。
誤った前提から導き出された考察には何の説得力もありませんよね。
ホイールベースやトレッドの数値が似ている点については、両車とも当時の5ナンバー枠に収まるクルマであったことと、ロングノーズショートデッキ・ファストバッククーペで2座、FRという非常に似通ったパッケージングであった点などを勘案すると、むしろ各部の寸法が似てくるのは至極当然のことなんじゃないかと私は考えています。
ホイールベースやトレッドの数値が似ている点をもって、「トヨタ2000GTは日産2000GTの影響を受けている」と結論付けるのってどうなんでしょうね?
個人的には早計というか、根拠としては非常に弱いと思うのですが…。
先述のように、トヨタ2000GTと日産2000GTには機構的な共通点も殆どないですし。
「本当にトヨタ2000GTがA550Xと無関係か?」という点についてですが、花川氏は、
「日産2000GTの開発にストップが掛かった3ヶ月後くらいに、河野さんや高木さんなどトヨタのエンジニア数名がお見えになったんです。当時、私は車体設計の主任だったのですが、その時にトヨタ2000GTの開発を命じられました。’64年の暮れでしたね。」
と証言されています。
トヨタのエンジニアで、トヨタ2000GTのシャシー設計を担当した山崎進一氏は
「私がヤマハとの関係を聞かされたのは’64年12月10日ころだったと思います。なんでも豊田英二さんのところにヤマハの川上源一さんが『ウチに開発部があって、好きな連中がいるから使ってくれないか』と頼みにこられた、ということでした。」
と証言されています。
また、ヤマハのサイトを見ると、ヤマハがトヨタ2000GTの開発に参画した時期は、’65年1月となっています。(※ヤマハのサイトが閉鎖されてしまったのでこちらに当該サイトをキャプチャした画像をアップしました。)
トヨタ2000GTは’64年12月10日までに、全体計画図の作成や各種計算が済んでいました。
これらの事実関係を素直に受け止めれば、トヨタ2000GTが設計の初期段階に於いて日産2000GTの影響を受ける機会は“なかった”と言えると思います。
もし影響を受ける機会が“あった”という方がいらっしゃれば、是非それを実証して頂きたいですね。
最後に、興味深い情報をご披露しましょう。
よく、ヤマハがトヨタにスポーツカーの企画あるいは設計図を持ち込んだと言われますが、本当に持ち込んだものは違います。
ヤマハが実際に持ち込んだものは何かというと、自主開発したスポーツカー「YX30」だったのです。
この情報のソースはこちら。→『オリジナリティを生み出す2輪と4輪の技術と視点 長谷川 武彦氏』(9ページの最後から10ページの頭のところに記されています)
もしかしたら、このスポーツカーを持ち込んだという話が、いつの間にか歪曲されて「スポーツカーの企画、あるいは設計図を持ち込んだ」ということになってしまったのでは?、と愚考する今日この頃です。
余談ついでに…。
スペースフレーム+FRPボディの軽量な車体に、MGAの1600ccツインカムエンジンを参考にして製作した試作ツインカムエンジン(1580cc、88hp/5600rpm)を搭載したYX30が完成したのは’60年の暮れでした。
YX30の実力は、最高速度144km/h。
一方、当時二輪においてヤマハの好敵手であったホンダが’62年に発表したホンダ スポーツ500は、ラダーフレーム+鋼板ボディの車体に自社設計の500ccツインカムエンジンを搭載して、130km/h以上の最高速度を記録しています。
斯様に四輪車の開発では一枚上手と思われるホンダをして、モノコックボディのクルマ(N360)を開発、発売するまでには約5年の期間を要していることを考えると、「ヤマハがトヨタ2000GTを開発した」などという話がいかに荒唐無稽であるかが分かろうかと思います。
「okaz::だめにっき」さんのエントリーに名前が挙がっている山口京一氏ですが、現在この件についてはダンマリを決め込んでおられます。↓
http://diary.jp.aol.com/applet/ft2wexxspc/20061104/archive
まあ、アルブレヒト・ゲルツと日産との間にあった一悶着のことを考えれば、自動車評論家としては当然の対応と思われます。
それと、トヨタの第7技術部というのも出てきますね。
ご存知の方も多いかもしれませんが、トヨタ自工の第7技術部というのはモータースポーツを担当した部署です。
トヨタ2000GTの初期設計を行ったのは、プロジェクトリーダーの河野氏が社内から集めた極少数のエンジニアとデザイナー。
「日産が描いた図面を元にして作ったのがトヨタ2000GTだった。この話は当時の第7技術部に在籍していたトヨタの技術者ですら認めており…」とのことですが、第7技術部の技術者はトヨタ2000GTの初期設計には関わっていない門外漢ですから、残念ながらその証言には何らの説得力もないと言わざるを得ません…。
シルビアの初期スケッチ(左)とA550X(右)はちょっと似ていますね
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