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2007年3月15日 (木)

日産2000GTの真実 その2

Web上にあるA550X(日産2000GT)に関する記述を、以下に集めてみました。
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○A550XはZのようなモノコック構造ではなくフレーム構造で、ボディの載せ換えができますので、ボディの試作にはうってつけだったと思います。

サイドのラインや窓の配置などゲルツ氏がデザインしたシルビアに通ずるものを感じます。
トヨタ2000GTのデザインもこのマシンから影響を受けていると思います。

A550X直系であるトヨタ2000GTとは構造や仕様面での共通点が多く、この3つのクルマが親戚関係にあることは間違いなさそうです。
ttp://www.geocities.jp/norimono_zukan/z31-01.html

○日産2000GTはヤマハ製なのです。
ヤマハ主導の企画だったのではないか…

片山氏のこのコンセプトを聞いたとき、おそらく一人のスタッフの頭の中に、こんな思いがよぎったに違いありません。
 「クローズドハードトップの2シータ-高性能スポーツカー・・・そういやそんなの(もしくはその設計図)が倉庫にあったな・・・」
 日産は新しく開発するのもめんどくさいし、なにより開発費を削って値段を抑えるために、倉庫にあったアレを流用したのではないでしょうか?
 アレ・・・、そう、日産2000GTです。
 だって、くり返すけど、コンセプトとボディサイズが3車ともほぼ同じ。

 : 全長(mm) 全幅(mm) 車高(mm)
S30Z: 4,115 1,630 1,285
日産2000GT: 4,177 1,568 1,226
トヨタ2000GT: 4,175 1,600 1,170
ttp://www.geocities.co.jp/MusicStar-Guitar/7004/z31-02.html

○図面自体が、ゲルツ(有名なのはBMW507とか・・・調べると面白いです)の仕事だったようです。
その設計が気に入らんかったのか(生産上の問題か、コストの問題?)、日産は自社開発のフェアレディの1600を世に出す、と(でも、Zの時は再びゲルツが絡んでいるとかいう説があります)。で、ゲルツの設計と自社での試作車がヤマハに残る、と。
ttp://blog.livedoor.jp/xl1200/archives/50723821.html

○最初にヤマハが話しを持ち込んだのが日産だとされています。
日産では順調に開発が遂行されていたようです。
ところが、完成直前になって日産はこの企画を急遽白紙に戻すという判断を下します。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ilikescottbike/42134270.html

○ヤマハも『4輪メーカー』になりたいという『野望』を抱いておりましたので、エンジンの改良などでは『満足』出来ません!!
日産を口説き落として、『自社製』の『試作車』を作ることを日産に承諾させるのでした。
そして完成したのが、この白黒写真に写る流麗なクーペ『NISSAN2000GT』なのです。
3台の試作車が完成し、まず1台を日産に手渡したのですが・・・・・・
この車は大きな欠陥を持っていました。
『技術的』な欠陥じゃありません・・・・・『馬鹿みたいに高い』のですよ!!
シャーシはバックボーンフレームを使用、足回りは前後ともダブルウィッシュボーン!!
前後にディスクブレーキを使用し・・・後輪側はインボード式を採用・・・・・・
そして、日本初となったであろうリトラクタブルヘッドライトを採用!!
これにヤマハ製の2000CC直列4気筒のDOHCエンジン。YX80型を搭載・・・・・
ttp://blog.yahoo.co.jp/toshi88104/archive/2006/12/4
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と、色々と書かれていますが、この中から本日は「A550X(日産2000GT)はヤマハが持ち込んだ企画」と言う点について検証してみようと思います。
 
●A550X(日産2000GT)はヤマハが持ち込んだ企画?
少し長くなりますが、まずヤマハがA550X(日産2000GT)の開発に関わるまでの経緯を解説しようと思います。
そもそも、ヤマハ発動機(株)のヤマハ技術研究所内に高性能スポーツカーの研究開発を目的とした「安川研究室」が設立されたのは’59年11月のことでした。
設立当初のメンバーは、安川 力氏と東大工学部卒の木下晴男氏のたった2人。
しかし、翌年には自動車部品メーカーなどからの中途採用者をどんどん入れて、最終的には20数名にまでスタッフの数は増えます。
 
安川研究室では「スポーツカーの命はエンジンだから、DOHCをやろう!」ということになり、お手本とするため駐留米軍の将校からMGA1600を購入。
“車体”“エンジン駆動”の二グループに分かれて、このMGAを徹底的に分解し研究します。
MGAの分解・研究が完了すると、続いてMGAと同じ水冷直列4気筒4サイクルDOHC 1600ccエンジンの試作に着手します。
このエンジンは、当時まだ世界のどこにもなかったオールアルミ製でした。
世界に類を見ないオールアルミエンジンの開発はさすがに困難を極めたようで、安川氏曰く「10台目くらいにやっといいものができた」そうです。
因みに、アルミ鋳物はピアノ部品を作っていた日本楽器の鋳物部で吹いてもらった由。
  
エンジンが完成すると、次は車体の開発に取り掛かります。
ヤマハ初となる四輪車の開発コードは「YX30」でした。
YX30のエクステリアデザインはGKデザインが担当。
当時世界でも珍しかったFRP製ボディの製作は、FRPボートの研究をしていた社内の別の研究室に協力を仰ぎました。
シャシーは角パイプの溶接による軽量なラーメン構造とし、YX30は安川研究室の発足からまる1年経った’60年暮れに完成します。
070315_a550x_01
完成したYX30は、開通前だった国道1号線篠原バイパスでテストされ、144km/hの最高速度を記録。
1号車が完成した半年後には、2+2クーペボディの2号車↓も完成します。
070315_a550x_02
スポーツカーの開発は順調に進み、安川研究室は順風満帆に思えたのですが…。
ちょうどYX30の2号車の試作をしていた頃、安川氏が雑誌で全板金製自動車エンジンの記事を見付けます。
このエンジンに大いに興味を持った安川氏は、川上社長の了承をとりつけ早速研究に取り掛かりました。
しかし、画期的な全板金製エンジンでしたが、約1年の歳月と1億円近い費用を費やしたものの結局ものにはならず、このことが原因で安川研究室は解散となり(’62年2月)、発動機部に吸収されてしまいます。
また、ちょうどこの時期(’62年11月)、スクーターの失敗とオートバイの不況でヤマハ技術研究所も解散になり、ヤマハの四輪車開発プロジェクトは完全にご破算になってしまいます。
 
それでも安川氏はスポーツカーへの夢を棄てきれず、仕事の続行を川上社長に懇願したところ、もともとその気があった川上社長が動いて日産との業務提携が実現します。(時期は’62年暮れ)
この仕事の窓口として、ヤマハ発動機に「開発部」が新設されます。
開発部の部長は小野重役、課長は安川氏、スタッフは主に安川研究室のメンバーでした。

日産との最初の仕事はプレジデント用V8エンジン設計の下請け、次にフェアレディ(SP310)のソフトトップの試作設計、続いて板金製エンジンを改良したヤマハDOHC2000ccエンジン「YX80」をセドリックに搭載する研究を手掛けます。
このように、仕事は主に日産の先行開発的なものでしたが、これらを通して日産との交流が盛んになり、ヤマハの技術も次第に日産に認められるようになります。
 
そして’63年春、本格的な仕事として日産からヤマハに、2L級のスポーツカーを共同開発する話が持ち込まれます。
ここ重要なのでもう1回書きますよ。
『日産からヤマハに2L級のスポーツカーを共同開発する話が持ち込まれます。』

スポーツカーを共同開発する話を持ち込んだのは日産の方でした。
そもそも日産内で、フェアレディの後継車となる2L級スポーツカーの開発が始まったのは’62年10月です。
この2L級スポーツカーの企画にヤマハを取り込んで開発したのが、A550X (通称 日産2000GT)だったんですね。
ヤマハのスポーツカー開発部門(安川研究室)は’62年2月に解散していましたから、ヤマハからスポーツカーの企画を持ち込むということはあり得ません。

ということで、『A550X(日産2000GT)はヤマハが持ち込んだ企画』というのは誤りです。
どうか鵜呑みにされませんように。
070315_a550x_03
長くなりましたので今日はこの辺で。
次回もひつこく、A550X(日産2000GT)に関する誤った言説を暴きます。

ホンダ スポーツ360/500・T360・その他の試作車について研究・考察している三妻自工 Web siteもよろしくお願いします。
 

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