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2007年3月 9日 (金)

日産2000GTの真実 その1

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●日産2000GT(Nissan A550X)をデザインしたのは誰か?
 
日産とヤマハが共同開発した、本格的な2シータースポーツカー「開発コード:A550X(通称 日産2000GT)」に関しては、現在Web上で様々な風説が流されているようです。
例えば、「A550Xはヤマハ主導で開発された」とか、「A550XはS30のルーツである」とか、「トヨタ2000GTのルーツはA550Xである」や「A550Xをデザインしたのはゲルツ」等々。
一般に公開されることなく闇に葬り去られたクルマ故か、推測憶測が入り乱れ、それらがあたかも真実であるかのように言い広められて、現在では何が真実なのか、Webで入手できる情報では判らなくなっているのが現状のようです。
そこで僭越ながら、私が分かる範囲でですがA550Xに関する情報(ソースは主に当時開発に関わった方の証言)をここで開陳しようと思います。
当事者の証言と言えども、記憶違いなどがあるので必ずしも正しいとは言えませんが、単なる推測や憶測よりは真実に近いはずです。
是非、参考にして下さい。

では最初に、A550Xのスタイリングを手掛けたデザイナーについて。

A550Xも初代シルビア(CSP311)同様、Web上では「ゲルツ(Albrecht Goertz)説」と「木村一男(社内デザイナー)+ゲルツ説」があるようです。
数が多いのはもちろん(苦笑)「ゲルツ説」で、「木村一男+ゲルツ説」は圧倒的に少数派…。
では、本当のところはどうだったんでしょうか。

A550Xの話が日産からヤマハに持ち込まれたのは、ヤマハのエンジニア花川 均氏(A550Xのボディ設計を担当)によると1963年の春だそうです。
ゲルツが来日したのは日産 初代シルビア(CSP311)をデザインしたのは誰か?に書いたように1963年5月。 
つまり、花川氏の証言が正しければ、A550Xの開発はゲルツが来日する以前に始まっていたことになります。
これで、シルビアのデザイナーを検証したときのように、ゲルツが来日する以前に描かれたスケッチがあれば話は早いんですが、今回は残念ながらそのようなものはありません。
また、日産の関係者はA550Xの開発開始時期を「1963年8月」と証言しており、花川氏の証言と一致しません。

少々蛇足になりますが、ここで花川氏と日産の関係者の証言が何故一致しないのか、その理由を説明します。
日産において、フェアレディ(SP310)の後継車という位置づけで2L級スポーツカーの開発が始まったのは1962年10月です。
ヤマハがこのスポーツカープロジェクトへの参加を呼びかけられたのは、花川氏が証言しているように1963年春。
ヤマハは日産の要請を快諾してスポーツカープロジェクトに参加しますが、1963年5月にシルビアの開発が始まるとスポーツカープロジェクトは一時中断され、シルビアの開発が一段落すると再開されます。
ポイントは、シルビア以前と以後のスポーツカープロジェクトが連続したものだったのか否かなのですが、花川氏は連続したものと認識しており、一方日産の関係者はシルビア以前のスポーツカープロジェクトを「A550Xの前身」と認識しているため、A550Xの開発開始時期が両者で一致しないのです。
花川氏と日産の関係者のどちらの証言が正しいのか、私には判断がつきませんが、例え判断がついたとしてもシルビアの時のような物証(ゲルツが来日する以前に描かれたスケッチ)がないため、時系列を追ってA550Xのデザイナーを確定することは困難そうです。
そこで、今回は別の角度から検証してみることにします。

ゲルツの日産での立場は「デザイン顧問」でした。
「顧問」という役職はよく耳にしますが、具体的にどんなことをするのか私には今一つよく分かりません。
そこで「顧問」を辞書で引いてみると…
「こもん 1 【顧問】 (1)団体や会社などで、相談を受け、意見を述べる役。また、その人。(2)相談すること。意見を求めること。」
…とあります。
一言で言うと『アドバイザー』という感じの役職でしょうか。
そう言えば、シルビアでのゲルツの役目がまさに「アドバイザー」でしたね。
ではA550Xの時はどうだったのでしょうか。
日産の関係者が証言しています。

曰く…
(ゲルツが)ご自分で絵をお描きになることはなかった(芸文社 ノスタルジックヒーロー Vol.51 P69より引用)
…だそうです。

絵を描かずにデザインすることはまず不可能ですから、これで確定しちゃいますね。
日産の関係者の証言はゲルツの「顧問」という役職とも合致しますし、A550Xは木村一男氏の作品と言って差し支えないでしょう。
ただし、このA550Xに関しても、木村氏はゲルツの関与を認めています。
つまり、A550Xも初代シルビア(CSP311)同様、社内デザイナーの木村一男がゲルツの助言を受けながらデザインしたものなのです。
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Webを検索すると、「トヨタ2000GTもS30もルーツはA550X(日産2000GT)。A550Xはゲルツの作品だからトヨタ2000GTもS30もゲルツの作品」などという“風が吹けば桶屋が儲かる”式の推測を記したページがいくつもヒットしますが、彼等の理屈通りならトヨタ2000GTとS30は木村一男氏の作品ということになってしまいます。(苦笑)
もちろんそんな訳はなく、トヨタ2000GTは野崎 喩氏が、S30は松尾 良彦氏 原案を吉田章夫氏が、ファイナル案は田村久米雄がデザインしたものです
。(詳しくはカテゴリー「Nissan Fairlady Z(S30)秘められた真相」を参照下さい)
皆さんくれぐれも、単なる推測記事を鵜呑みにされませんように…。

A550X(日産2000GT)に関しては、他にも明らかに誤りと思われる風説がいくつかありますので、次回ひとつひとつ論理的に反駁したいと思います。
長くなりましたので、取り敢えず今夜はこの辺で。

最近放置プレイ状態の三妻自工 Web siteもよろしくお願いします。
 
 

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