2021年6月 5日 (土)

6月5日はT360の展示と試走が行われた日

T360の最初の試作車"XAK250"の展示と試走が建設中の鈴鹿サーキットで行われたのは、59年前の今日、6月5日のことでした。
下掲の写真は、大勢の販売店関係者が見守る中、グランドスタンド前を疾走するT360を写したものです。
元はモノクロの写真でしたが、私がやっつけで着色しました。
当時の雰囲気を少しでも感じて頂けら幸いです。
210605_xak (クリックで拡大表示)

 

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2021年4月11日 (日)

狭山製作所におけるAK250・AK280の塗装工程

去年の3月15日に投稿したエントリーで、埼玉製作所大和工場におけるAKトラックの塗装工程を説明しました。
今回は、AKのもうひとつの生産工場だった、狭山製作所での同車の塗装工程を説明したいと思います。
といっても、あまり詳しいことは分からないのですけどね・・・。(^^;ゞ
 
さて、狭山でのAKの塗装工程ですが、以下のようなものでした。
 
・溶接ボディ吊り込み
    ↓
・スプレー式リン酸亜鉛前処理
    ↓
・三槽式電着塗装装置にて浸漬電着塗装 (下塗り工程)
 ※第一槽:神東塗料 ワンコートブルー、第二槽:AK280用グリーン、第三槽:石産ペイント ワンコートブルー
 ※AK250は第一槽または第三槽で、AK280は第二槽で浸漬電着塗装が行なわれた
    ↓
・電着乾燥炉にて乾燥
    ↓
・メラミンアルキッド樹脂系塗料を吹き付け塗装(膜厚25ミクロン)
    ↓
・アンダーコート塗布
    ↓
・乾燥炉にて焼き付け乾燥
    ↓
・PVCシーラーにてシーリング
    ↓
・塗装外観検査
    ↓
・組み立てラインへ払い出し

狭山の塗装工程の特長は、何といっても下塗り塗料の色でしょう。狭山では上塗り塗料と同じ色の下塗り塗料が使われました。(ワンコートブルー = メイブルーです)
その理由は・・・説明すると長くなるので割愛。まあ、色々と大人の事情がありまして、下塗りと上塗りの色が同じになりました。
AKやNシリーズではコストの関係で中塗りの工程が省略されましたが、下塗りはちゃんとしていたというのが事実です。
狭山製AKの塗装をサンディングすると、上塗りの塗膜の下から微妙に色味の違った下塗りの塗膜が現れるはずです。
機会があったらよく観察してみて下さい。
また、以上のような理由から、狭山製T360のボディカラーはメイブルーのみとなっております。同様に、T500はモスグリーンのみです。
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2021年3月31日 (水)

春ですね

地元の桜の名所、福岡堰で撮影
210331_0331b_aquos_sense4_lite(クリックで拡大表示)
Aquos sense4

近所の稲荷大明神で撮影
210331_0327_zenfone3 (クリックで拡大表示)
ASUS ZenFone3

近所の桜並木で撮影
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Aquos sense4

軽自動車検査協会で撮影
210331_0330_aquos_sense4_lite (クリックで拡大表示)
年度末なので激混みでした。当然ながら、桜はありません。
Aquos sense4

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2021年1月22日 (金)

オールドタイマー誌の付録カレンダーに・・・

オールドタイマー誌の付録カレンダーにトータス306(280A I型の1号車)の写真が掲載されているじゃないですか。
眼福、眼福。
210122_tortoise306 (クリックで拡大表示)
ところで、1971年5月に開催された「全日本鈴鹿1000Km自動車レース 」にトータス305という名前の車両が出場していますが、これは残念ながらトヨタ2000GTではありませんでした。↓
210122_tortoise305 (クリックで拡大表示)

1971年1月に開催された「全日本鈴鹿300キロレース大会 」に出場したシロキヤ6は、トータス306そのものだったんですけどね。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1917&window_flg=1
210122_shirokiya6 (クリックで拡大表示)

ノスヒロ誌に取り上げられて有名になったレース仕様の2000GTの廃車体はトータス306なんじゃないか、と一部で囁かれているようですが、トータス306は280AのI型、廃車体はII型以降の量産型ボディなので、廃車体がトータス306ということはあり得ないですね。
残念ですけども。

 

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2021年1月 2日 (土)

明けましておめでとうございます

210102_reiwa3_ra301
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コロナ終息というゴールに辿り着けることを願って・・・。

 

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2020年11月13日 (金)

幻の"ホンダ R800"に関する通説を、無知な管理人が無謀にもひっくり返して爆死するエントリー(暗愚

ホンダR800といえば、ホンダRSC(レーシング・サービス・クラブ)と鈴鹿サーキットが独自に開発した車両で、1969年4月に開催された鈴鹿500キロ自動車レースでデビューを果たし、並居る強豪を相手にトヨタ7(415S/V8 2,987cc)に次ぐ総合第2位を獲得した、驚異の小排気量レーシングスポーツであることは広く知られていると思う。
このR800は、ブラバムの"F3シャシー"を流用してRSCが独自に仕上げたフレームに、S800のエンジンとヒューランドのギアボックスを搭載したものだった。
そして、レース出場時にエントリーシート記載された車両名及び車体名は"ホンダ800R"であった。

正式な車名がR800か800Rかはさておき(この稿では、参考にしているホンダの資料に倣ってR800で統一する)、デビュー戦で好結果を残したことは、レースの翌日にサーキットホテルで会議をしていた藤澤武夫副社長(当時)に伝えられ、朗報を聞いた藤澤副社長はRSCの木村昌夫氏を呼んで話を聞き、「ちょっと(クルマを)見たいな」ということでサーキット内にあるRSCの工場に出向いて、R800を目の当たりにした。そして、この時 藤澤副社長が発した言葉は「このクルマ、ホントにここで作ったの?」というものだった。
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     (RSCの工場で藤澤副社長にR800の説明をする木村昌夫氏)
 

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2020年5月22日 (金)

日産の職制コード(部署コード)について

表題の件について、S30Zのスタイリング(ファイナル案)を手掛けた田村久米雄さんに尋ねた際の、田村さんからの返答をご紹介します。

Q:三妻自工
毎日グラフ'65年5月1日号に、以下のような記述がありました。
社内間の連絡を能率化するため、部課の名称がアルファベットと数字で区別されるようになった。実験部はY-20とあらわされ、第一、第二、第三の実験課はそれぞれY-21、Y-22、Y-23となる。
造形課にもこのようなアルファベットと数字を組み合わせた略称があったのでしょうか?

A:2013/12/20 (Fri) 10:25, "田村 久米雄"
’65年までは設計部造形課のコードはD56でしたが、おそらくプリンスを吸収合併した時点で職制コードの変更が行われました。第一設計管理部はK00、総務部はK01,技術電算課はK02、調査課はK03,第一設計部はK10,第一造形課はK12,第二設計部はK20,第二造形課はK22,第三設計部(東京荻窪の旧プリンス)はK30,第三造形課はK32となりました。この新たな職制コード化で何処の部署でどんな仕事を担当しているのかが解りやすくなりました。設計には、車体設計、車軸設計、補機設計、機関設計などの課に分かれていましたが、各課のコードは全く覚えていません。
マルZ開発時期から日産労組青年部の設計副ブロック長を務めていましたが、よその部署にコンタクトを取りたいときに、この職制コードは重宝しました。

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出典:毎日グラフ'65年5月1日号 (以下の画像も同じ)

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2020年5月12日 (火)

T360が現役だった頃の高画質映像

「1960s Ginza, Tokyo, HD from 35mm | Kinolibrary」

"1960年代の銀座"だそうです。
工場出荷状態と思しきT360H(高床式)が、銀座中央通りを和光本館の方から走ってきてみゆき通り(?)を左折するシーンが写っています。
T360のボンネットのHマークが白く塗られていますから、撮影されたのは1964年12月以降で間違いなく、映像に写っている他のクルマが1960年代前半に発売されたものばかりなので、撮影時期は1965年頃ではないでしょうか。
T360のあとに初代ハイゼットの中期型(バン)と初期型(水色のボディ)がやって来て、並んで信号待ちしていますね。

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2020年5月 7日 (木)

廉価版トヨタ2000GT(390A)と初代フェアレディZ(S30Z)の共通点

390Aの開発が関東自工で始まったのは、トヨタ2000GTが発売される直前の1967年(昭和42年)3月頃で、ちょうどその頃、日産ではのちにフェアレディZとして結実するマルZ計画が進められていた。
両車の共通点は、アメリカ市場をターゲットにしていたことで、390Aの販売価格は米国で3,500ドル(国内100万円)、S30Zの販売価格は米国で3,000ドル(国内100万円)とほぼ同価格に設定されていた。
片や採算度外視の手作り工芸品、片やマスプロダクション製品として企画された大量生産車。この二車が同価格帯で販売される可能性があったことは、意外な事実といえよう。

以下は、S30Zのファイナルデザイナー田村久米雄さんから頂いたメール。
マルZ計画時の設定価格のソースと、2000GTとS30Zを比較した際に感じた氏の率直な所感が伺えます。

件名 細谷さんのトヨタ2000GTの記事
送信者 田村 久米雄
宛先三妻自工
日時2013年09月16日 21:54:35

三妻自工さんへ
私がブルーバード510やS30のデザインに従事していた’66〜’68年頃、トヨタと日産は自動車業界の覇権を争っており、レース活動も日産はプリンス自動車を併合して積極的に参戦していましたが、トヨタが自社技術でトヨタ7で挑戦していたのに日産はシボレーエンジンを持ち込んでレースに臨んだ時は「技術の日産」のプライドを捨てて広告宣伝効果だけを狙った戦術に社員として落胆したものです。トヨタ2000GTが4輪ディスクやDOHC、フルシンクロ、4輪独立懸架などの新メカを採用していることを知っていましたが、自分が担当しているS30が何処まで最新メカを採用してくれるのか不安に感じていました。マルZ計画(次期スポーツカーを2シーター/クローズドボディのデザインで開発せよと云うプロジェクトでは当初から3000ドルの販売価格が目標でした)では100万円が販売価格のターゲットでしたから、’69年のモーターショーでS20エンジンを搭載した「フェアレディZ432」がマグホイール装備で185万円の価格で発表された時には「嘘だろう!!」と思いました。今にして思えば担当デザイナーの居ない状況で生産展開をしなければならない状況だったのでやむを得ない事だったのでしょうが、輸出仕様、国内仕様がバラバラで発売しなければならなかった状況に胸が痛みます。



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2020年5月 5日 (火)

トヨタ2300GT(俗称)と390Aを混同している御仁が多いことが嘆かわしい

一般にトヨタ2300GTと呼ばれている輸出仕様の試作車(正式にはトヨタ2000GT/MF12L型)は、後期型がベースでSOHC 2,300ccの2M-B型エンジンを搭載しているのが特徴。
MF12L型を"廉価版"と説明する向きが多いが、これは誤り。米国向け廉価版として試作されたのは390Aである。
390Aは前期型をベースに、原価低減のため内外装を関東自工がデザインし直した(但しラフなデザイン案はトヨタが提示)試作車で、関東自工がボディの製作と艤装を担当する予定だった。
390Aの販売価格は米国3,500ドル、国内100万円に設定され、月産500台で5年間生産する計画であった。
試作予定台数は6台(初期の2台はヤマハ製ボディ、中期の2台はヤマハ製のボディパーツを関東自工で組み立て、後期の2台は関東自工がボディを製作)だったが、実際に試作されたのはLHD仕様の1台のみだったようだ。
ただし、RHD仕様のインテリアを写した写真が残っている。おそらくこれは、インテリアのモックアップであろう。
参考までに、トヨタ2300GTと呼ばれているMF12L型は9台(MF12LC型2台を含む)製造されたうち、S/N #1、#2、#6、#8、#9の5台の現存が確認されている。
200505_390a 200505_390a_2 (クリックで拡大表示)

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2020年5月 2日 (土)

【driver@web】ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!

1964年2月26日に荒川テストコースで行われた、ホンダS600のメディア向け試乗会を取材したドライバー誌の記事(1964年4月号に掲載)がdriver@webにアップされています。
表題の記事は最近執筆されたものですが、当時の記事そのものがPDFで公開されていますので、興味のある向きご覧になってみて下さい。
ゴールデンウィークをReading Weekとして過ごすのも一興かと思いますよ。

ホンダS600の実力を試す試乗会の舞台は、なんと荒川の河川敷だった!【東京オリンピック1964年特集Vol.5】
200502_driver196404 (クリックで拡大表示)
試乗会でお披露目されたこのS600は、S500の車体とエンジンを流用して研究所で仕立てられたものでした。
実は、S500の生産設備でS600を作る事は出来なかったんです。藤澤さんがS500の発売遅延の理由を説明した際に、「S600の登場を待って」と述べたのはこういった事情があったからでした。
もう少し分かりやすく言うと、S500とS600には決定的に違う部分があったためS600の量産開始が遅れ、それにつられるカタチでS500の発売も予定より遅くなってしまった、という訳です。
両車の決定的に違う部分については、もったいぶって申し訳ありませんがここではナイショにしておきますね。

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2020年5月 1日 (金)

【トヨタの】ロータリークラウンと野口研究室【ロータリー開発秘話】

トヨタOBの天野益夫氏と野口正秋氏のインタビュー記事の中に、トヨタのロータリーエンジン開発に関する話が出てきます。
"マツダのロータリーエンジンを載せたクラウンが存在した"なんてことは、相当な国産旧車マニアでもご存じないんじゃないでしょうかね。
時節柄、外出自粛で時間を持て余している方が多いと思いますので、よろしかったら元記事の方も読んでみて下さい。知識が色々と身に付きますよ!
私はこんなのばっかり探して読み耽っています。(暗愚
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(出典)
天野益夫氏 ハングリー精神で前向きに忙しく歩いた50年
野口正秋 自動車の高度成長期を支えた生産技術の革新と先進技術開発

 

 

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«野崎 喩氏の寄稿記事について